概要あまりにも当たり前過ぎて・・・
書籍やインターネットを幾ら調べてみても、こゝに書かれている基本的原理は見つかりません。見つからないからこそ、このホームページを立ち上げたのですから。人(書籍、先輩)ではなく、自然=仕組み=法即性が指導者。詳細な仕組みは直接、作物や虫に教わっています。また、自然農法を知らない者、新しい者(後輩)が実際に答えを教えてくれる先生です。全てが逆。既存の知識は説明のためです。
詳しく知りたい方は、ここは飛ばして 次へ(基本へ) → お進み下さい。概略だけ知りたい方は、以下だけお読み下さい。
なお、ここは純然たる「食」のための「農」のサイトです。自然を過剰に美化や絶対視している、自然崇拝者・人為行為過敏症の場合、アレルギー症状が・・・^^; 。 農法以前環境問題や新しい農法(自然・有機・循環・持続型・微生物・無施肥など)に関心、あるいは疑問があるからこそ、ここを訪れたのだと思います。先ず、他との違いを明らかにしておきます。何事にも「やってはならないこと」、「やらなければならないこと」があります。また「やっても良いこと」、「やらなくても良いこと」もあります。ところが、施肥・防除の呪縛から逃れた「つもり?」の、最も先進的と思われている農法ですら「やらなければならないこと」が“ある”ということに気付いていません。その「やらなければならないこと」をやれば、人々の健康や環境保全に、如何に甚大な影響を与えるかを明快に解き明かします。農法云々という前に常日頃、皆さんが何気なく取っている行動から見直してみます。そこには何とも不思議な現象が・・・(笑)。「新しい農法を求め、一生懸命・努力・研究・苦労を重ね○十年」という、その道では知名度の高い立派な方々(指導者)がおられます。そして、その技術を伝えようと頑張っておられます。また、それを見習おうと多くの方が日夜努力を重ねています。 でも、何処か変と思いませんか?。彼らは「誰も真似のできないことを成し遂げた」からこそ有名なのです。つまり凡人に彼らの真似はできません。見習うことは諦めましょう。たとえ指導者(人)から答えを貰っても、それは「人の脳(悩)法」の答えです。 そして「一生懸命・・・」は理に沿っていない証であり、反自然の分がマイナスの現象となって現れているだけのこと。既に先輩がそれを証明しているのに今更、同じことを繰り返してみても何の役にも立ちません。過去の全ての農法は人々の長年の経験を元に「人が組み立てた」知識・技術体系です。 そのため全て、人の側に基準を置いた「人脳(悩)法」であり、自然の側に基準を置いた「自然農法」ではありません。それ故に知らずゝの内に「自然の理」に反してしまっているのです。「理」に従えば誰でも、何処でも、何時でも、無理なく、楽して目的を達成できます。 このサイトにある「基本通り」にやれば、作物は勝手にできてしまいます(既に実践者により証明済み)。ところが何時まで(3年以上)経ってもできない方がいます。「一生懸命・努力」の方です。当人は「ここに書いてある通りに」やった“つもり”。 そして炭素循環農法より「上を目指して」と・・・。しかし基本から逸脱。単に表面上の形だけを真似「やってはならないこと」に腐心しています。その結果は皮肉なことに、自身では解決できず「研究・苦労」の末「各種の障害の見本市」状態。当人は、この農法の実践者と思って(称して)いても“似て非なるもの”です。 「上を目指して」と思うことは、大いに結構。でも、自然の側ではなく、己の思いに囚われ、サイト案内(心得)や基点(視点)の意味が全く理解できず、眼前に現れる事象に翻弄されています。大変ありがたい方(答えを貰える反面教師)ではありますが、本人の苦悩はいかばかりかと思うと・・・。 過去の農法は殺し農法百姓は、太陽と土と空気と水さえあれば植物は育つということを、何時の間にか忘れてしまったようです。そして「虫が虫の餌を、菌は菌の餌を食べるのは当たり前だ」ということを見落としています。自然状態で虫が緑を食べ尽くすことはありません。菌が人や動植物を食べ尽くすこともありません。虫(菌)は「虫(菌)の餌」以外のものは食べない(られない)からです。 自然の仕組みを忘れ、人は害虫(菌)という幻に怯え、それらを殺し、つい数十年前までは人の口に入ることのなかった「虫の餌」を横取りして食べることが、異常であると気付かずに、平気で食べるようになってしまいました。科学的との美名?のもとに、何時の間にか、当たり前のことを当たり前と思わなくなってしまったのです。 土に「有機物=有機炭素化合物」が不足すれば作物は生育不良になることをプロの農業者なら誰でも知っています。でも、有機物を必要としているのは土壌中の微生物であり植物ではないということは、知っていても意識されていません。 その証拠に、有機物(炭素)を最も適した状態で土壌中の微生物に与えていません。適した与え方をすれば、どのような仕組みで何が起こり、人々の健康や地球環境に、どんな影響を与えるか、原点に返って見つめなおしてみる必要があるのではないでしょうか。 何もいまさら、改めて「炭素循環」などと言わなくても、自然の野山や農業現場では、昔から当たり前に行われていることです。しかし、意識されていませんから非常に無駄が多く、炭素不足のため養分循環が円滑に行われていません。 それを補おうと施肥に頼り、養分バランスを崩し「人の食物」を作る筈が、実は「虫の餌」を作っているのが、堆肥・天然農薬の有機農法や化学肥料・化学農薬の慣行農法であり、これは「施肥・殺し農法」です。 そして、過去の自然農法(自然の猿真似農法や一切の資材を否定した断食農法)も、旧概念(人の側から事象を捉える)から完全に脱却しているとは言えず、殺し(排除)が行われる限り、たとえ有機・自然農法と称していても施肥農法と同様な危険性をはらみます。 虫(菌)が「何のために」「どのような物を食べるか」理解すれば、虫に食べられない作物(人の食物)を作ることは、それほど難しいことではありません。寧ろ非常に簡単で「何故こんな簡単なことに、今迄気付かなかったのだろう」というのが実践者の感想です。 自然は人に何も要求しないこれまた、当たり前のことですが無施肥と言っても、植物が育つのに必要な養分や量に違いがあるわけではありません。実際に無施肥・無農薬で作物を作っている者は多数います。でも、詳しい養分供給の仕組みまでは、理解されていないのが実情でしょう。理論的裏付けの欠如から手探り状態で多くの試行錯誤を繰り返し、安定した生産体制に至るまで遠回りをし、多くの労力と時間を費やしています。そして、多種多様な農法が提唱され、また実践されています。農法は農家の数だけあるとも言えますが植物が育つ基本的な仕組みは一つ。その仕組みに沿わなかった時、作物は虫の餌となります。 虫の餌か人の食物かは、養分の供給の仕方(バランスを保てるかどうか)で決まり、理論さえ分かれば無駄な苦労をすることはありません。単純に考えて自然状態で虫に食われない植物があるのですから、それと同じ状態(仕組み)を再現すればよいわけです。 同じと言っても、何も全てを同じにする必要はありません。時計の針は逆には回りません。文明人が今更、サルや未開人の真似をしても始りません。最も基本的、あまりにも当たり前過ぎて誰も気付かなかった「炭素」の循環の仕組みを同じにすればよいだけです。 要は自然の仕組みを知り、その仕組みを最大限に活かし作物を生かすこと。仕組みさえ活かせれば資材を選びません。反発を承知であえて言います。化学合成、遺伝子組み替えか天然資材、非組み換えかは、本質的問題ではありません。化学、天然に関わらず「肥」と「殺し」は御法度。肥を与えた結果が殺し。問題の本質は「殺し」にあるのです。 「肥」は人の勝手な思いであり、自然の要求ではありません。いったい、「肥」という概念は何時の頃からあるのでしょう。人が耕作を始めた千、万年?の昔からでしょうか。 自然は人に何も要求しません。人が「肥やす」という傲慢な思いを捨て、真摯に自然と向き合ったとき、初めて自然の真(本来)の力(意志)が見えてきます。 そして「防疫」という概念から解き放たれたとき、自由を与えられます。自然農法は「自由農法」でもあるのです。自然の意思と人の思いが合致した時、自然は人に全てを与えます。 農業と炭素循環炭素循環は生命体の最も基本的な現象です。生き物相手の百姓が基本を忘れては「命」ある作物を育て、人々の「命」を守ることはできません。食物連鎖と呼ばれているのは生命連鎖であり、食とは命を食べ命を「循環」進化させることです。鉱物(無機物) → 微生物 → 植物 → 動物 → 人、と命が循環、進化するわけです。「人」は命の進化の最終形態であり、現時点で最も完成度の高い、自然の作品。物理法則に「エネルギーの保存則」というのがありますが、物だけにそんな便利な?法則が働くわけではありません。これは「無量」の世界の仕組み。「命」は初めから命そのものであり見かけが変わるだけ。命がいきなりできたり、無くなったりするのではないのです。 生命現象とは命が見える“かたち”になった状態であり、見える部分は見えない部分の結果として現われるに過ぎません。全てが命です。「E=MC2」の E に相当するのが「命」であり、MC2 に相当するのが「生命(体)」。見える命(生命体)にとって、水(酸素)を除けば炭素が第一の必須元素。炭素の循環量に応じて他の元素(養分)も循環します。炭素循環=生命。と言っても良いでしょう。 「必須アミノ酸の樽(一番短い樽板までしか水は貯まらない)」という考え方同様、短い樽板の所までしか他の養分も有効利用されず(最小養分律)、樽板の高さが揃わない場合、単に無駄になるのではなく邪魔になると言われます。 有機物は炭素骨格を持ち、水や炭素は樽の箍(たが)や底板のような物。人の思いで必須養分をP,N,K,他、と勝手に限定し、土壌分析の結果だけで養分の過不足を判断しようとすることが間違いの元です。土壌分析はスチール写真のようなもの。施肥農法では役立っても、常に循環している瞬間の状態は、循環農法では無意味です。 養分は常に微生物等により固定されたり可吸化されています。土は生きています。人は地球の自然、生態系の中で、地球は太陽系・銀河系・宇宙の中で生かされています。全てが必須なのです。 炭素循環農法の概要自然が生き物(命)を生かす仕組みを理解し、農耕地に於ける炭素循環を人為的に効率化。炭素循環量を森林並か、それ以上にすることによる無施肥・無防除の自然農法です。慣行農法や有機農法の全ての障害は施肥にあることを明らかにし、植物が進化した環境、即ち「微生物の作り出す養分バランス」を保つことにより、作物にとって過不足のない養分供給を可能にします。バランスは人が「とる」ものではなく、「とれる」もの(自然に均衡するもの)なのです。 環境汚染の原因にもなる化学肥料、堆肥(ボカシ)も無用。逆に過剰施肥による汚染地を積極的に浄化。無施肥であっても慣行農法以上の収量が得られます。
方法は、いたって簡単。土壌中での有機物の分解は、C/N比40(炭素比=炭素量/窒素量)を境に、以下ならバクテリア(細菌類)、以上なら糸状菌(菌類)が主に分解を行うという特性を応用します。 自然と同じようにC/N比40以上の、難分解性・高炭素有機物(生の雑草・作物残滓・緑肥作物や、C/N比調整・醗酵処理=キノコ培地化した木材チップ等)を土壌中に入れるだけ(耕起・混ぜ込み=炭素循環の効率化)。自然林野では落ち葉や朽木(C/N比40以上)を菌類が最初に分解し、細菌類は二次・三次分解者です。 自然林野での分解過程の再現。高C/N比有機物は土壌中の糸状菌が一旦ガードしてから、ゆっくり発酵分解する(食べる)ため、急激な腐敗分解による窒素飢餓(ブロック)現象や、生の有機物による障害は起きません。 炭素の供給量に応じ微生物相は豊かに、バイオマスは増大。豊かな微生物相が有機物の処理能力を更に高め、微生物から供給される養分だけで、施肥栽培並みの生育に必要な養分供給が可能になります。 もう、お気付きでしょう。従来より土壌改良と呼ばれている、よく知られた技術です。化学肥料が登場する以前には、極当たり前に行われていた、里山の刈り柴を入れる技術と何ら変わりありません。違いは、自然の理(仕組み)を熟知して、マイナス現象を発現させないか否かだけです。 有機物を堆肥化せず生で使うため、従来の堆肥を使う農法の1/3〜1/10程度の有機物資材で足り(基本はその圃場内で生産)、省力・省エネです。堆肥化や化学肥料を止めれば、二酸化炭素の排出量を大幅に削減できます。堆肥化に伴う放出分は二酸化炭素総排出量(日本)の約3.5%。放出分をバイオ燃料化すれば倍の7%。 これに、工業的窒素固定(世界の全エネルギー消費の約2%)。環境浄化、修復・保全に関わるエネルギー損失(耕作自体が環境保全)などを考えれば、二酸化炭素総排出量の10%前後?の削減は可能と推定されます(温暖化と二酸化炭素排出との因果関係には疑問もあるが)。 微生物は使える炭素(有機物)がある限り、遊離(無機化)し垂れ流し状態の、過剰な肥効成分(無機状態の窒素や燐など=使われていない)がなくなるまで増え続け、土壌を丸ごと醗酵。作物に必要な養分を生きた状態に(有機化=生物化)します。 すると土壌は清浄化し、たとえ必要量以上に植物の成育成分が土壌中にあっても(実際の全窒素は慣行の半分以下)、土自体には植物が直ちに使える肥効成分がないため、硝酸の過剰吸収や有機物の腐敗が起きません。 実測値は施肥栽培における無機態窒素適濃度の1/40〜1/180 。これは痩せた土手土と同程度(0.1〜0.2mg/100g)の硝酸濃度です。この数倍以上だと虫に食われます。 更に、生きている養分(微生物、雑草等)は流出するどころか、大気中から常時、炭素や窒素を新たに固定、外部から一切資材を持ち込まなくても施肥栽培並みに作物は育ち、施肥による諸問題(有機物資源や化石資源の浪費、環境汚染・破壊、連作障害、作物の質の低下など)も起きません。たとえ持ち込んでも、作物の窒素吸収量の1/10〜1/3程度。つまり、作物が使う窒素は土壌中に常在していません。 他の無機成分(可吸態・不可吸態)も微生物が一旦取り込み(有機化=生物化)、土壌の清浄度と肥沃度(養分供給力)を保ち、バランスを整えてから作物に供給します。植物に必要な成分は、微生物が使え(食べられ)さえすればよいのであって、植物にとって可吸態である必要はないのです。 病虫害や連作障害等は、土壌中の有機成分の腐敗・分解の結果、産生された腐敗物質や無機化した窒素(アンモニア態+硝酸態)、肥料として投入された無機態窒素が直接の原因。間接的には、腐敗による土壌の物理性の劣悪化(団粒構造の崩壊→緻密化→腐敗硬盤層形成等)や、それに伴う生物性、化学性の悪化等です。生物性、化学性が良ければ機械的な踏み圧や降雨では土は硬化もしないし、すぐ戻ります。 有害成分の発生や、無機成分による養分バランスの崩れがなく、健康に育った作物は、虫や菌の活躍の場ではないため寄り付かず、無防除が可能。そして、過剰な硝酸や腐敗物質を吸収しない作物は、味も日持ちも良く(菌が食わない)、人畜の健康に良い、本来の人の食物となります(炭素循環農法の野菜の硝酸イオン濃度)。 炭素循環を円滑に行えば、土壌は団粒化し、通気性、通水・保水性は改善。農耕地となる以前の森林・原野が持っていた以上の、環境浄化力・保全力を取り戻すと同時に、安全で美味しい農産物の生産が可能になります。 「自然農法」は故岡田茂吉氏が説きました。また高炭素資材の利点を応用したのは「躍進微生物農法」の創始者、故島本覚也氏です。両氏の功績と先進性に敬意を表し、ここに明記しておきます。 しかし、理論的な解明が十分とは言えず、精神論に片寄りがちで難解であったり、施肥農法の枷から逃れられず、矛盾や無駄がみられます。 炭素循環農法は、これらと関係なく一百姓の実践の中から得られた農法です。しかし、単に経験だけに頼らない、理論に裏打ちされた一連の技術体系です。
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