ドクター中松・華麗なるプロフィール

このプロフィールは中松義郎氏の著書、紳士録等をもとに作成したものである。できるかぎり当時の新聞記事等の第三者資料により確認はしているが、氏の著書のみが根拠となっているものもあることをお断りする。

1982年から1991年については『ドクター中松の頭をもっとよくする101の方法』の年譜に詳しいため大幅に省略し、日本国内での活動と、海外での活動のうち中松氏がしばしば言及するものに限定して掲載した。また、世界発明コンテストの受賞歴については「ドクター中松小事典」の「世界発明コンテスト」の項目を参照のこと。


1928年6月26日 横浜正金銀行員・中松一氏の長男として出生。本籍東京都港区。
1933年頃 初の発明「自動重心安定装置」を完成。
1941年 東京第一師範学校付属小学校卒業。
1941年 麻布中学校入学。
1942年頃 初の特許「無燃料暖房装置」を発明、出願。
「醤油ちゅるちゅる」を発明。
1945年 麻布中学校卒業(繰上卒業)、海軍機関学校に入学(58期)。
1948年 「ナカビゾン」を発明、特許出願。
1950年 成城高等学校理科甲類(旧制)卒業。
1950年 東京大学第一工学部石油工学科(旧制)入学。
在学中、発明研究会を結成。
1953年 東京大学第一工学部石油工学科卒業。
1953年 第一物産(現・三井物産)入社。
在職中、ナカマレーヤ(ヘリコプタによる送電線架線装置)、ナカサンダスタ(農薬散布装置)を発明。
ヘリコプタによる日本一周記録を樹立。
この頃、大磯で吉田茂元首相の直接の薫陶を受ける。
1958年6月「画面拡大縮小映画フィルム」が「科学技術庁注目発明」に選定される。
1958年 ナカマスコープ株式会社設立、代表取締役に就任。
1959年 イ、アイ、イ株式会社顧問に就任。
1960年頃 郷ユリ氏(当時イ、アイ、イ株式会社社長)の養子となる。
1960年9月 イ、アイ、イ株式会社副社長に就任(1973年まで)。
1966年9月「ナカビゾン」により「世界発明コンテスト」で一等金賞を受賞する。
1971年5月 ナコー株式会社(現・株式会社ドクター中松総合研究所)設立、
代表取締役社長、現在に至る。
1972年シーピー株式会社設立、代表取締役社長。
1976年ドクター中松パテント事務所設立、代表、現在に至る。
1979年2月世界で初めて個人としてIBMにコンピュータ関連特許をライセンス。
1982年11月24日 国際著名人名誉殿堂入り、INVの尊号を授与される。同殿堂副会長に就任。
1982年12月 アメリカ発明協会副会長に就任。
1983年4月 「磁気テープドロップアウト除去装置の開発育成」により科学技術庁科学技術振興功績者」に選定される。
1983年11月2日 天皇陛下より秋の園遊会に招待される。
1985年11月 財団法人日本顕彰会「社会貢献者特別功労者賞」を授与される。
1986年11月17日 国際著名人名誉殿堂より「世界栄誉賞」、「大統領賞」を授与される。
1987年10月14日 「世界天才会議・国際発明EXPO」を新宿NSビルで開催。
1988年4月8日 ジョージ・ブッシユ米副大統領より親書を手渡される。
1988年5月11日 国会議事堂にて政策審議会で日米摩擦、特許法についてレクチャー。
1989年3月6日 ニューズウィーク誌で世界ベスト12に選定される。
1990年3月18日 国際新科学学会最高顧問に就任。
1990年4月3日 高島易断総本部名誉館長に就任。
1990年5月6日 ピッツバーグ・パイレーツの始球式を大統領にかわり行う。
1991年1月17日 国連アースデー日本代表に就任。
1991年4月7日 東京都知事選挙に無所属で立候補。
1991年7月26日 コロラドスプリングスのテスラ学会で「テスラ賞」を世界初受賞。「グレートサイエンティスト5人」の一人に選ばれる。
1992年6月26日 「V12達成・発明生活プレ60年祝賀会」をキャピタル東急ホテルで開催。
1992年7月26日 参議院議員選挙(比例代表区)に「発明政治」より立候補。
1993年6月25日 「ユーゴスラビア・NHK協力世界を変えた二大科学者の夕べ」をホテルオークラで開催。「国際創造学会」を設立。
1993年7月18日 衆議院議員選挙(東京3区)に「新自民党」より立候補。

現住所107 東京都港区南青山5-1-10 南青山第一マンション1105
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事務所107 東京都港区赤坂2-10-9 ランディック第2赤坂ビル ドクター中松総合研究所
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