氏の著書を読むと、ある本には副社長が専用機で中松氏の特許を買いにきたことになっているが、べつの本を読むと防弾チョッキを着込んで中松氏自ら米国に乗りこんだことになっていて、この段階で中松氏の言うことを信用しなくなる向きも多い。
しかし、中松氏がIBMにライセンスを供与しているのは事実である。日本IBM広報部によると
「確かにIBMは、ディスケット(フロッピーの商品名)に関して16のライセンスを中松さんから受けてます。ただそれがどんなものかはお教えすることはできません」(『朝日ジャーナル』1992年4月10日号)
という。だが、この契約の性格は、
「IBMは、1979年の2月以来、中松さんとの間に契約を結んでいます。それはIBMが自ら開発した製品を、日本で売るに当って、将来、中松さんとの間に摩擦が起るのを避けるためのもの。その点は、我々は最初から認めているんです。その契約が、今年の7月、東京で弁護士間で更改されただけなんですね」(日本IBM広報担当マネージャー・中島利文氏、『週刊新潮』1981年10月8日号)
という発言によって、その内容についても、
「でもね、(この契約に含まれている)完全透明ケース(ナカマリールのことか)の発明といったって、これは誰でも考えつく思いつきでね、新製品でもなんでもない。1979年以前からも存在し、使われていたものです。ただ、どこの社も、そんなものについて特許申請をしていなかった」(同・中島氏、『週刊新潮』1981年9月3日号)
という発言によってうかがい知ることができるであろう。このあたりはIBMとしても触れられたくない部分のようであり、当時のIBMの発表については中松サイドの記事ではあるが『東京新聞』1981年9月22日を参照。
中松氏は1959年にコンピュータ用磁気テープを取り扱う商社「イ、アイ、イ株式会社」に顧問として入社し、1960年に副社長となっている。1973年まで取締役であったらしい。この頃も「経営の発明」だの、自作の「EIEソング」だのと(『週刊新潮』1966年4月30日号)、奇癖はまったく変わっていない。この時期のことについて、中松氏の著書ではまったく触れられていないが、なぜだろうか。
中松氏による発明の定義。スジとは論理性、ピカとはひらめき、イキとは実用性である。研究は一スジのみであり、アイデアはには二ピカしかなく、開発には三イキしかない。この3つの要素を全部持っているものが発明である。それゆえ東大百年史上発明家は中松氏ただ一人であるそうな。
一スジ二ピカ三イキをさらに細かく分析すると「ケチョウ、スピゾケ、ピケアイキ」となる。「ケ」はケシで先入観を払って頭脳を白紙の状態におくこと、「チョウ」は調査、「ス」「ピ」はスジとピカ、「ゾ」は製造、「ケ」で結果を実験、新しいアイデア(ピカ)と再実験で「ピ」「ケ」、「ア」が総仕上げのアゲ、最後に「イキ」となる十段階をいう。
水からエネルギーを抽出する装置である。「効率4パーセントしかない水を電気分解する旧式なものではな」く、「エネルギー効率が90パーセント」であるが、水をエネルギーとして使うために生態系サイクルから水が減るという欠点を有するらしい。もちろん構造は不明。
中松氏の特許出願の中でそれらしいものといえば、「電子加熱固体高分子電解質水電解エネルギー装置(特許出願公開(以下、特開)平4-9485)」(特定の固体高分子膜を有する電解槽の陽極室に水を供給し、固体高分子膜を電解質として水を電解することにより、クリーンエネルギーとしての水素ガスを低コストで製造するもの)と、「膜膜発電装置(特開平4-10367)」(固体高分子膜電解膜から発生したガスを固体起電膜に供給することにより、低コストで小さくて軽い燃料電池を得るもの)を組み合わせたものが考えられるが、電気分解でないとするとこれも違うのだろうか。
中松氏はこの発明によって「国連アースデー」の日本代表に指名され、「ガンジー世界平和賞」を受賞したとか。これらはどこが主宰しているのか不明であるので、確認はできなかった。
父・一氏(故人)は東京高等商業学校卒、横浜正金銀行(現東京銀行)勤務、母・芳野氏は95歳、父は桐村義英氏、東京女子高等師範学校卒、夫人・繁里氏は昭和11年6月24日生まれ、青山学院女子短大卒、長男・義樹氏は昭和44年1月11日生まれ、長女・薫里氏は昭和45年7月23日生まれ、青山学院大学国際政治経済学部卒、次男・義成氏は昭和48年5月4日生まれ。
義樹氏の誕生日が1月11日であることには理由がある。中松氏によると「子供を産むのも発明ってことで1月1日に産もうと狙い打ちしたの。綿密な計画のもとにね。医者も間違いなく1月1日に産まれるって言ってたんだけど‥‥。それがね、家内が階段で転んで、お腹の中の子供の首にへその緒がひっかかっちゃったわけ。で、出産日がずれたのね。でも1月1日の次は、1・1・1がいいんじゃないかって思いついて、1月11日に帝王切開で産んだ」(『宝島』1992年4月24日号)そうだ。
中松氏は1989年9月20日に「韓国文化勲章及世界平和大賞」なるものを受賞しているという(『ドクター中松のもっと頭を良くする101の方法』p208)。韓国文化院(韓国大使館の附属機関)に中松氏が韓国文化勲章を受賞したというのは本当かどうか聞いてみた。答は「そんな話は聞いたことがない」ということだった。また、朝日新聞・読売新聞・毎日新聞の三紙には報道されていない。
韓国には1973年制定の五冠章という文化勲章があるが、その勲章が日本人に初めて授与されたのは1991年10月のことであるから、中松氏の勲章とは別物である。 中松氏の「韓国文化勲章」というのは本当に韓国政府が出している賞なのだろうか。
名前だけを聞けば、温廃水で雪を融かす装置を想像するのが普通であるが、中松氏がそのようなつまらぬものを発明するはずもない。
この発明の明細書(特開昭58-120906)によると、沸騰水型原子炉の炉内に雪を取り込んで一次冷却剤とし(当然炉内は外部と連通している)、発生した水蒸気でタービンを回して(回るかな?)、装置の動力にするのだという。タービンを回した後の汚染された水はタンクに貯めて安全な場所に捨てるという(安全な場所とはどこだろうか)。 さすがに特許庁は「安全対策が記載されていない」という理由で拒絶査定している。 中松氏は人類の敵かもしれない。こんな奴を「国連アースデー日本代表」に選んだのは一体誰だ?
1990年設立の超常現象研究団体。旧称・国際新科学学会。中松氏は同年3月に最高顧問に就任している。会長は早稲田実業学校教諭・実藤遠氏。「ミスター・マリック超魔術の嘘」「サザエさんの秘密」「ドラえもんの秘密」などの怪著・奇著で知られるゆうむはじめ氏も理事をつとめている。
1982年11月24日、日本人でただひとり、中松氏を殿堂入りさせ、世界で15人のINVの尊号を授与し、1986年11月17日「世界栄誉賞」と「大統領賞」を授与し、さらに1987年11月4日「発明博士号」を授与した、この国際著名人名誉殿堂 (International hall of fame)なる組織は、中松氏の友人Dr. アレギザンダー・マリアンチーノ(マリナシオ)が代表取締役をつとめており(松沢呉一「ドクター中松という珍発明」『宝島30』1993年11月号)、中松氏自身も副会長である。
1989年9月3日、その最高賞「ヒューマニタリアン・アチーブメント賞」を授与した全米発明会議(Inventors club of America)も、このDr. マリナシオが会長で、中松氏が副会長である。事実上同一の組織ではないかという疑念を抱かざるをえない。
「世界発明コンテスト」の日本側窓口。会長は当然中松氏自身。【ブッシュ大統領親書】も参照。
振動部を空気を流入させて空中に浮かせることによって、4ヘルツから40,000ヘルツまでの帯域をもたせることに成功したスピーカーだそうな。1985年の世界発明コンテストでグランプリを受賞。
いわゆるスポイト式石油ポンプ。14歳の頃の発明であるという。今回我々が調査した限りでは特許公報類を発見できなかった。しかし、このころの発明は大部分「タダ同然に買い取られ『特許』を名乗るイトマもなかった」(『週刊新潮』1958年4月7日号)というから中松氏名義ではないのかもしれない。
中松氏が初参加した1966年当時、正式名称は"The World Biggest International Invention and New Products Contest at New York, U.S.A."といったそうである。この時ナカビゾンで"The 1st Gold Prize"をとったという(『3×の人生(新2版)』p186-197)。 その後の受賞については、中松氏の著書をもとにをまとめた表をご覧いただきたい。しかし、1992年3月現在「11年連続グランプリ」「連続V11」(『ドクター中松の頭をもっと良くする101の方法』カバー)であり、なおかつ1993年に「15回連続発明世界一グランプリ受賞」(『平成5年7月18日実施・衆議院議員総選挙(東京都第3区)選挙広報』)というから、年1回開催されているとすれば、勘定が合わない。
そして、その権威も疑わしいものである。科学技術庁振興局奨励課によると「アメリカのインターナショナル・インベンターズ・エキスポという民間会社が催しているもので、アメリカ政府も特許庁もかかわっていない私的なもの」(『週刊新潮』1984年6月21日号)という。しかも、中松氏自身がそのコンテストの会長である。その詳細については【ブッシュ大統領親書】の項も参照。
| 1966年?月 | 第?回 | ナカビゾン |
| 1982年5月 | 第6回 | ドクター中松パター |
| 1983年5月 | 第7回 | ドクター中松ブレンチェア |
| 1984年6月 | 第8回 | ドクター中松三次元浮遊振動ソニックシステム |
| 1985年5月 | 第9回 | ドクター中松フロッピー媒体および装置 |
| 1986年5月 | 第10回 | ドクター中松セレブレックス |
| 1987年5月 | 第11回 | ドクター中松ライト・オプティカルデバイス |
| 1988年5月 | 第12回 | ドクター中松人間性向上ハイテク機能食品 |
| 1989年4月 | 第13回 | ドクター中松スーパーディスク |
| 1990年5月 | 第14回? | ドクター中松エネレックス |
| 1991年5月 | 第15回? | ドクター中松エンジン |
「性的興奮を助長する装置(特開昭61-8060)」は「公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがある」として伏せ字で公開特許公報に掲載されている。この発明は「SEX感度向上の周波数を出す」とかいう「ドクター中松SEEX」として商品化されているようだが、同じ理由で全文不掲載の「人間再生方式(特開昭61-253050)」とはいったいどういうものだろう。
「人間性能向上ロボツト(特開昭62-244084)」の商品名。「ドクター中松・セレブラルセンソリーレジリアンス理論」(正体不明)に基づき発明された人間の性能を向上させる装置。フリッカーテスト、疲労テスト、ヒラメキテスト、視力テスト、描画テスト、記憶力・計算力テストなどの向上がみられるという。「ドクター中松御休体頭心(おやすみどころ)」(電話03-3585-8585, 06-344-4333)で試用ができるらしい。
ところで、頭のよくなる椅子ブレンチェアやナカスカットはどうなったのだろうか。
「コンピュータを駆使したシステムで、票田の調査・分析が即座にでき、選挙対策に細かく対応できる」(『週刊現代』1992年8月22日号)ものらしい。「立候補者の選挙予測装置(特許出願公告(以下、特公)平2-45212)」のことであると思われる。この発明は(1)有権者個別調査に使用するナカビゾンを応用したカード、(2)各候補者の各ファクタを数値化し、それらの値から総合投票指数なるものを算出すること(具体的な数値化の方法、指数算出の方法は書かれていない)、(3)同様に各ファクタから候補者の強さを地域別に算出し、それをマップに打ち出すこと、の3点から成り立っている。
ずいぶん人手のかかりそうな方法だが、実際の使用例はあるのだろうか。ナカビゾンを持った世論調査員を目撃された方は編者までご一報をお願いする。
最初の立候補は、1991年4月7日投票の東京都知事選挙。新自由クラブ、サラリーマン新党、新政クラブ、環境党、主権在民党、UFO党、新文明党の推薦を受けた‥‥‥はずだが、当時3派に分裂していた「サラリーマン新党」のいずれも推薦していない(『サンデー毎日』1991年4月21日号)。どこの「サラリーマン新党」が推薦したのだろうか?この選挙での得票数は27,145票であった。
2回目の立候補は、1992年7月26日の参議院比例代表区に政党「発明政治」を結成しての立候補である。名簿搭載者は(1)中松義郎(64歳・国際創造学者・世界一の発明王)、(2)小池哲二(44歳・高崎芸術短期大学副学長)、(3)清水三雄(51歳・新自由クラブ代表)(4)渡邊長武(51歳・レスリング協会委員)、(5)長原隆宏(50歳・国際発明協会役員)、(6)藤田豊(69歳・教育研究協会会長)、(7)森田精吉(57歳・環境クリエーター)、(8)小松宏三(45歳・宗教研究家)、(9)黒須幸子(38歳、グラフィックデザイナー)、(10)河村正彌(85歳・東大元教授・工学博士)の10名であった。得票数139,728票。
3回目の立候補は、1993年7月18日の衆議院選挙で東京3区に「新自民党」から立候補している。このときには推薦政党は無く、推薦人に細川隆一郎、今泉常正(東大名誉教授)、河村正彌(元東大教授)、宮崎富哉(弁護士)の4氏が名を連ねている。得票数13,965票。今泉氏は中松氏在学当時東大工学部鉱山学科・石油工学科の選鉱学担当助教授であった。
ちなみにアメリカから大統領立候補の要請もきているとか(『サンデー毎日』同号)。合衆国憲法では、外国人はもちろん、帰化したアメリカ人にも大統領になる資格は無いはずだが。
発明創造道の要諦を織り込んだ、中松義郎作詞、作曲者不明の歌。氏の講演会では必ず観客と一緒に歌うので一部では有名であるが、詞と曲があわないことでも有名である。
中松氏の出身校。全学生時代を通じて第3位を確保していたのが中松氏の自慢で、「質量不変の法則」だそうだが(『週刊新潮』1958年4月7日号)、同学科の同期生は11人である。
卒業論文は「オートマチックディックシステム」。「ごく簡単に説明すると、コンピュータとミサイルともぐら戦車の3つをかみ合わせたような機械を作り、これが地球をくりぬいて、地下の天然資源を探すという考えだ」そうだ(『3×の人生(新2版)』p59)。後にフランスのメーカーから「フレクソ・ドリル」と称して製品化されたらしい(『ゴロ寝してスーパーマンになる法(上)』p38)。
1989年頃に東大工学部計数工学科の「計数工学特別講義」という科目で講義(おそらくは1回限りの講義)をしたようだが、他にも講義をしているのかどうかは不明。
中松氏自身は東大で特許法を講義していると称しているが、法律学の大学院を修了したわけでもなければ、弁護士や弁理士の資格を持っているわけでもない中松氏にそのような講義をできるとは思えないがどういうことであろうか。
中松氏を20世紀最大の科学者に選んだ「未踏科学・テスラ学会」あるいは「国際テスラ学会」(会長・J.W.マクギニス)とは、ドクター自身によると、かのIEEEの別名ということだが(『0からの創造』p149)、IEEEにそんな別名があるとかいう話は寡聞にして聞かない。
新戸雅章著『超人ニコラ・テスラ』(筑摩書房)によると、IEEEパイクス山支部が母体となって1979年に設立された「テスラ記念協会」という団体があり、またコロラドスプリングスにおいて1984年に設立された「国際テスラ協会」という団体もあるという。中松氏がいうテスラ学会とは、このどちらかであると思われる。
歴史上の五大科学者にアルキメデス、マリー・キュリー、ファラデー、テスラ、中松氏の5人を選ぶというからかなり変わった学会であることは間違いない。いわゆるニューエイジサイエンティストの団体であるという説もある。【ニコラ・テスラ賞】も参照。
熱力学第二法則に反しない永久機関が実現可能であることを証明する「ドクター中松バーチャルパーペチュアルエンジンセオリー」に基づいた永久機関らしい。
しかし、現物を見る限りでは、上に手をかざすと止まるという点や、非接触であるという点からみて、「光や熱のエネルギを直接回転力にする装置(特開昭59-129591)」(回転子および/又は固定子に光や熱等の放射線を電気に変換するエレメントを搭載し、前記放射エネルギでブラシを経ずに直接コイル上に磁場を発生させ、これに対応する磁場との反応により回転力を得ることを特徴とする放射エネルギを直接回転力にする装置)のように思われるが違うだろうか。
トウーソン市 4月13日、ピッツバーグ市 4月26日、ニューオルリンズ市 5月3日、ミズーリ州およびセントルイス市 5月5日、ロサンゼルス市 6月26日、コロラドスプリングス 7月24日、メキシコ・ティファナ市 9月6日、サンディエゴ市 9月8日……といった市や州が「法律で」ドクター中松デーを制定しているらしい。
他の市はともかく、少なくともサンディエゴ市のドクター中松デーは実在するようだ。「ドクター・ナカマツはグレート。確かに8月8日[原文のまま]はドクター・ナカマツ・デーです」(サンディエゴ市広報担当者、『週刊現代』1992年8月22日号)
ただし、米国の名誉市民号や記念日は地元に経済的貢献があれば極めて簡単に取得できるものらしい。名誉市民号については、筆者も留学しただけで授与された事例を知っている。
また、法律で制定された記念日といっても、「ドクター中松デー制定法」という法律を議決して制定したものではなく、個人記念日という制度が法律で決まっているだけで、しかるべき推薦人がいれば、市当局が簡単に証明書を発行してくれるものである。また書類の保存期限は1年間で、将来にわたって特別な行事があるわけでもない(松沢氏、前出)。
一辺が5センチほどの角形のグリップと、音叉の原理でボールが真芯にあたると快音が鳴り響くヘッドを特徴とするパター。独特のドクター中松グリップにより両肩と両手首が平行四辺形をなすため肋骨や心臓への負担がなく、方向のコントロールが容易になり、ヘッドの音によって距離のコントロールができるらしい。
後者の宣伝文句がふるっているので紹介する。「パターと人体を一つのコンピュータシステムと考え、中松ヘッドからの特殊音を人体のCPUにインプットしてメモリイし、これをアウトプットしてボールの距離をコントロールするという従来のパターでは不可能な全く新しい中松理論」だそうな。
「1993年7月、『ドクター中松コンピュータ・リール』各社のタダ乗りに対し特許庁審決で特許確定」(『政治を発明する』裏表紙)といっても内容がわかりにくいが、事件のあらましは、コンピュータリールの前面フランジを透明プラスチックで後面フランジを着色プラスチックで作ることにより、テープ量を判別できるようにするとともに、後面フランジの色によってテープ内容を分類する‥‥‥という中松氏の実用新案(実新1165363号、実公昭50-34593)は公知考案であるとして、富士写真フィルム・旭化成工業・住友スリーエム・ダイヤ・エレクトロニクスの各社によって無効審判請求がなされたことに対し、特許庁がその請求を認めなかったというものである。
その内容については昭和57年審判第6700号審決(審決公報第2377号掲載)を参照のこと。
紙シートを媒体とする録音器らしい。『3×の人生』には一章を割いてナカビゾン開発の苦労話が記されているのだが、いくら読んでも、光学的録音であるのか、電磁的録音であるのか、ジャケットがあるのかないのか、メディアが円盤であるのか方形であるのか、皆目わからない‥‥‥と旧版では書いたが、現物を確認したので、報告したい。
裏面に磁気コーティングされたA4判ぐらいの長方形紙シートを媒体とし、回転する磁気ヘッドが固定された媒体をトレースして音声を磁気記録・再生するという装置である。フロッピーディスクとは動作が逆であるし、ジャケットにも入っていないのであるが、中松氏が言うところのフロッピーには、このナカビゾンも含まれているので注意が必要である。例えば株式会社ドクター中松発行のパンフレット『誰がFLOPPYの発明者か』(発行年不明)には「フロッピーメディアとフロッピードライブを使用してニッコリ」とのキャプションがついた吉田茂と中松氏の写真が掲載されているが、そこに写っているのは「ナカビゾン5型」である。
1970年代までは学研から学習ソフトとともに販売されていたらしいが「あまり動かなかった」(売れなかった)とか。
場面によってアスペクト・レシオ(画面の縦横比)が変わるワイドスクリーン映画方式。1958年に松竹で実用化され、映画『銀嶺の王者』『雲の墓標』に使用されたが、こんなせわしないものが定着するわけもないことは言うまでもない。類似のものに「シネミラクル」というものもあったようだが、内容は不明。
中松氏が最近主張しているバーチャルリアリティの発明とは、このナカマスコープのことであるらしい。
Creative spritに満ちた人々が、数多くの人類の夢を実現させてきた中松博士を囲んで夢を語り、夢を実現させる団体だそうな。
中松氏を囲んでの月例会へ参加できる、月刊のDr.NAKAMATS NEWS(B4判両面コピー1枚)が送付される、メンバーズサロン(セレブレックス、Dr.中松パターが使用可能)が利用できる、ドクター中松製品、講演会・パーティーのチケットが割引価格で購入可能などの特典がある‥‥‥だそうだが、会費は社会人は入会金10,000円、年会費36,000円、学生は入会金8,000円、年会費24,000円である。
なお月例会には6,000円を払えば非会員でも出席可能である。
問い合わせ先は〒107 東京都港区南青山5-1-10-309、電話03-5467-5445。
褪色しない目の光る顔の広告看板。ドクター中松総合研究所屋上に掲げられ、今や赤坂溜池の名所。
一つの楽器で、ありとあらゆる楽器の音色が出せる楽器。どうもサンプラーの一種らしい。最近、中松氏はサンプリングの発明者も自分だと主張しているが、このナカムジークのことを言っているものと思われる。
中松氏が代表取締役社長をつとめる株式会社。1971年設立、1984年現在地の港区赤坂2丁目10-9に移転、1986年ドクター中松株式会社に改称、1989年現商号の株式会社ドクター中松総合研究所に改称。NACOは New, Advanced, Concept, Organization の頭文字をとったものである。社員は約20人、資本金は1億円(1995年現在)である。
中松氏の発明品の開発とその販売を主要業務とし、コンピュータ用磁気製品の販売も行っている。「完全フレックスタイム制」、「無定年」、「給与額の自己査定」など、ユニークな「経営の発明」で一部に知られる。
かつてイ、アイ、イ社員が「EIEソング」を歌わされたように「創造道の歌」を毎日歌わされているのであろうことは想像に難くない。
「アメリカの電子学会IEEEは、世界各国に二五万人以上の会員を持つ世界最大の学会であるが、この学会にはテスラを記念してニコラ・テスラ賞が設けられている。彼の偉大さがやっと認知されたのである。今年、私はそのテスラ賞を受賞した」(『ドクター中松の常識やぶりバンザイ!』p121)
「1991年7月26日、テスラ学会最優秀賞のテスラ賞を世界初受賞」(『ドクター中松の頭をもっと良くする101の方法』p210)
IEEEのテスラ賞なのか、「テスラ学会」のテスラ賞なのかはっきりしてほしいものである。【テスラ学会】も参照。
1989年3月6日に同誌の「世界ベスト12」に日本人でただ一人選ばれ、1時間あたり1万ドルと評価されたという(『ドクター中松の頭をもっと良くする101の方法』p207)が、実際には "Who Said Talk Was Cheap?" と題された「講演料はこんなに高い」という趣旨の記事に12人の講演料のリストが掲載されており、その中に中松氏も入っているというだけのことである。それに、このリストの欄外に "SOURCES: INTERNATIONAL GROUP OF AGENTS AND BUREAUS, INDIANAPOLIS SPEAKERS BUREAU AND OTHERS" との文字があり、エージェントの言い値をそのまま掲載しただけで、ニューズウィークの評価ではない。
中松氏がアメリカでどの程度有名であるのかを検証するため、``The New York Times Index, A book of Record''を使って同紙に中松氏の記事が何回載ったのかを調査してみた。結果は1966年から1992年の間にたったの2回、``Getting Smart by Sitting Down''(III, 15, Oct. 2, 1988)というセレブレックスの紹介記事と、``What a stroke of... Um, Ingenuity, Anyhow''(B, 1, Nov. 29, 1990)と題した世界天才会議の記事の2つだけであった。まあ、ニューヨークタイムズに記事が載るというだけでもたいしたものだとは思うが。
「人間関係を数式で表現したことを特徴とする人間関係方程式」であり、「解析処理により人間関係の改善、仕事の成績向上、独創的なアイデアや企画を生み出すことができ、史上全く類を見ない画期的な発明」であるそうな。その内容がどんなものか、例として特許の明細書(特開昭60-194800)に記載されている「風見鶏の方程式」とやらをご覧頂きたい。
カザミドリ度や変わり身の早さの単位とはいったい何だろうか。だいたい誰が風見鶏になりたいと思うのだろうか。
この数式は高校物理の教科書にも載っているRCL直列回路のインピーダンスを求める公式であるが、特許の明細書には、この調子で既存の公式の意味不明の適用例が、約80個も並べ立てられ、同じ調子の『人間関係方程式』という単行本も存在する。特許制度の趣旨を理解したうえでの行動であろうか、これは。
『人間関係方程式』は現在絶版であるが、『ドクター中松の常識やぶりバンザイ』の巻末にその一部が紹介されているので参照。
加治木義博著『新説ノストラダムスの大予言』には「1999年に救世主が出現するため、地球は滅亡の危機を免れ」、その救世主は「黒い髪の毛の日本人であり、その日本人はミカヅキの水(石油)を使わないエンジンを発明する」とあるらしく、中松氏はその救世主は自分であると主張している(『ドクター中松の常識破りバンザイ』)。
そんな話を都知事選の選挙公報に書かないでもらいたい。
中松氏のパーティーの発起人は、ジョージ・ブッシュから林家ペーにいたるまで網羅する豪華さで知られるが、実はFAXを一方的に送り付け、返事がないかぎり勝手に名前を使っているらしい(『週刊宝石』1991年4月4日、1992年7月16日号)。
「テレビスナック(特公昭62-19127)」(商品名「テレビにおいしい」)は、少々磯臭いスナック菓子の中心に約1mmの穴を開け、その穴からテレビを見ると、テレビがくっきりと立体的に見えるという発明。筆者も購入して実験したが、確かに効果はあった。目は疲れるが。中松家では一家そろってお菓子の穴からテレビを覗いているのであろうか。
「目においしい」もほとんど同様であるが、ヤツメウナギ等が混ぜられている点が違うようだ。これも穴から本を覗くと目においしいのだそうな。
「頭においしい」は、穴は開いていないがやはり磯臭いスナック菓子で、ゴマ、魚介類など「頭においしいものばかり30種類入り」という。
「頭においしい」「目においしい」の詳細は「頭の働きを良くする食品(特開S61-239847)」を参照のこと。
中松氏の出身校が東京大学第一工学部石油工学科(旧制)であるというのは周知の事実であるが、工学博士号の方はいつどこでとったのだろうか。
日本最大の博士論文コレクションを誇る国立国会図書館支部上野図書館で調査したが、中松氏の博士論文は発見できなかった。いくつかの博士名鑑を調査したが中松氏の名前は発見できなかった。「学士会」の名簿には工学博士号を持っていると書かれていたが、どこの大学のものであるかは書かれていない。また、東大資源開発工学科(旧・石油工学科)の同窓会名簿には、博士号を持っているとは書かれていないらしい。
ドクター中松総合研究所に問い合わせてみたが、中松氏の博士号は東京大学工学部のものであるが、詳細については正式に文書で取材要請をしていただきたいという返事であった。
選挙公報や名刺には「工学博士」の肩書きが記されていないという事実にも注意を払わなければならない。
工学博士号以外にも1987年11月4日に「国際著名人殿堂」から「発明博士号」を受けているらしい。一体これは何であろうか。
誤解されやすいのだが、中松氏の発明件数2360件というのは、2360件の特許・実用新案を持っているという意味ではない(第4章を参照)。筆者が集めた資料をみる限りでは、「2360件の特許を持っている」と中松氏自身が言っているのは、口をうっかりすべらせたと思しき1件だけで、後は2360件の「発明件数」や「発明特許」である。発明特許というのは、発明+特許という意味だろう。ただしその違いに気付かない記者が勝手に「2360件の特許」と書いてしまっている例は``The New York Times''から『宝島』に至るまで枚挙に暇がないほどである。このような記事が誤解を助長していることのであろう。
また、2360件という数字がここ十数年来全く変わっていない(筆者が知る限り、この数字が最初にでてくるのは『毎日新聞』1980年9月6日)ということを考えると、特許・実用新案の出願件数というわけでもない。一体この数字はどこからでてきたのだろうか。
客観的には確認のしようのない「発明件数」という曖昧な数字であるが、1958年には既に特許を出願していないものも含め約2000件(『週刊新潮』1958年4月7日号)であったという。この35年間いったい何をしていたのだろうか。
『政治を発明する』p2-3に日本語訳付きで掲載されている "International Inventors Exposition, 1988" (すなわち例の「世界発明コンテスト」、訳文では「国際発明協会」)の開催を祝賀して、ブッシュから"Chairman"(訳文では「会長」)の中松氏におくられた、1988年4月8日付の手紙のことである。
図らずも、世界発明コンテストが自前のコンテストだということ、「国際発明協会」=「世界発明コンテスト」であるということを暴露してしまっている。しかし、1988年にはブッシュはまだ副大統領のはずだが。
「翔ツ靴(特開平3-195503)」の商品名。ジョギングは膝と頭に悪いという中松氏の持論からうまれた「渋滞の自動車より速い」発明。
「頭のよくなる13の要素」入りの飲み物。ハト麦茶のような味である。
株式会社ドクター中松発行のパンフレット『誰がFLOPPYの発明者か』によると、中松氏が「シートに面積型に記録再生する媒体とドライブ」を発明したのが1947年、「フロッピー媒体とドライブの世界初の中松特許出願」したのが1948年、中松氏が「東大工学部に於てフロッピー媒体と装置の完成発明」したのが1950年、特許庁が「フロッピー媒体とドライブの中松特許を許可」したのが1952年11月20日のことであるという。
しかし、特許庁によると、
「あ、その件ですか。困っているんですよねえ、うちも。一度調べたことがあるんですが、中松さんの名前は、フロッピーそのものの関係では見つかりませんでした。だからといって、その基本特許を持っていないとはいえないんですよ。違う形で登録しているかもしれないし。もし番号が分かったら教えていただけませんか」(『朝日ジャーナル』1992年4月10日号)
という。
また、中松氏の著書を読むと、中松氏のライセンス下でIBMがフロッピーを開発したかのような記述があるが(『0からの創造』p140など)、IBMとのライセンス契約は1979年のことであるし、日本最初のフロッピーの特許は、IBMが出願した昭48-34162『磁気記録ディスク組立体』(優先権主張は1969年、発明者クリフォード・アイ・ダウソン他2名)ということであるから、それは誤り(誤解を招く書き方と言うべきか)である。
ともあれ、1952年11月20日に特許された中松氏の発明を調べれば、1947年に発明したフロッピーの正体がわかるはずであるが、それに該当しそうな発明は、「重色レコード」と「積紙式完全自動連奏蓄音器」の2件しかないので、この2つのうちどちらか、あるいは両方が、問題の発明のはずである。
結論からいうと、「重色レコード」と「積紙式完全自動連演奏蓄音器」というのは、どちらも、印刷等によって面積型録音法による記録線条を記した紙シートを読み取るという、光学式レコードプレーヤー(ナカビゾンの原形)のための発明であった(ただし光学式録音法自体は特許の範囲に含まれていない)。やはり、中松氏が言うところの「フロッピーの発明」というのは、「ナカビゾンの発明」と解釈しなければならなかった。
前者は2色の線条で音声を記録し、2色のフィルターを使ってそれぞれの線条を読み取ることにより、録音時間を増やすという発明である。後者は、この記録線条をギア仕掛けでトレースするピックアップや、オートチェンジャーを備えたプレーヤーの発明である。ただし、この記録線条は渦巻状や同心円状ではなく、櫛で引っ掻いたような多数の平行線の端をコの字状につないで連続させたものだ。発明の内容からみても『誰がFLOPPYの発明者か』の記述「シートに面積型に記録再生する媒体とドライブ」とも一致するので、問題の発明はこの2件のことであるとみてよい。
一説には、中松氏が発明したのは、フロッピーディスクではなく、「円盤への磁気記録」そのものであるというが、世界で最初に磁気記録円盤が発明されたのが1947年以降ということはないはずであるから、それは違うであろう。
1952年成立の特許であれば、1979年には既に失効しているはずである。例のIBMとのライセンス契約には、この2件の特許は含まれていないのであろうか。
なお、このパンフレットによれば、フロッピーディスクのジャケットの内張り、ハブの補強リング、窓の下にある2つの切り欠き穴などにも中松パテントが設定されており、「ご使用のフロッピーディスクは、ライセンスされたもの以外、中松パテントに抵触するでしょうからご注意ください」ということである。このあたりについては、ナカビゾンをフロッピーと言いつのる類の拡大解釈なのかどうか、筆者にはわからない。どの特許に抵触するのか教えてほしいものである。
入浴中、ゴムの空気ポンプを手で押して、浴槽に気泡を発生させ、その気泡で身体をマッサージしようという発明である。さすがに世界発明コンテストのグランプリではない。「フロゴルファー」もほとんど同様の代物である。
この数式が1992年の参議院選挙の政見放送で世の爆笑を買った「ICBMをUターンさせる発明」の正体である(『政治を発明する』p195)。
近藤政市東工大名誉教授、高山元空幕長らと共同研究しているだそうだが、この本のどこにも各変数の意味も書かれていなければ数式の意味も書かれていないので、まったく訳がわからない。そのうえ歴代の空幕長の中に高山という人物はいない。誰のことをいっているのだろうか。
また敵軍の上陸を阻止するために、夜間の余った電力を蓄電しておき、有事の際には電流を海岸線に流せば「電気椅子の嫌いな外国人には恐怖となり、日本には上陸しなくなる」(同)とか。開いた口が塞がらない。
「アメリカ、電子電気学会(IEEE)は、92年の『マン・オブ・イヤー』に私を選んだことを伝えてきた。」(『ドクター中松の常識やぶりバンザイ』p191)本当だろうか?中松氏はIEEEと「テスラ学会」を混同しているふしがあるのでには信用できない。【テスラ学会】も参照。
中松氏の後援組織。会費は無料であるが、一口千円の寄付金を払うと、金運・頭・愛と幸せ・子供・世の中・地球環境が「もっとよくなる御守り(気入り)」が来て、「国際著名人のサイン入り感謝状を無料でもらえる案内や、千円の百倍の発明品をもらえるチャンスなどかずかずの特典がもらえる」上に、この千円は「発明王ドクター中松の地球環境を救う新エネルギ発明の実現など世直しに使われ、又一部国連アースデー日本本部にも寄付されるなど有効に使われる」そうな。気入り御守りの正体は金ピカの名刺らしい。
申し込みは、郵送の場合、〒107 東京都港区赤坂2-10-9 ランディック第二赤坂ビル。郵便振替の場合、口座番号東京0-713467。銀行振込の場合、第一勧業銀行赤坂支店、口座番号055-1615022、口座名「もっとよくなる会」。