悪 夢〜11〜
鑑識が到着した頃には、病院の前は既に野次馬でごった返していた。玄関口には三台の覆面パトカーが停車しており、いずれも秩父警察署の車だ。入り口の前には黄色いテープが敷かれ関係者以外は立ち入り禁止となっている。それでも何が起きたのか興味を持つ野次馬たちは警護する警察官の前まで迫り、中の様子を伺っている。自動ドアの奥から事件現場まではブルーシートが設置され、周辺は一切遮断されている。入院している患者は看護師たちの指示により、部屋から出る事を禁止されていた。 昨日のうちに蛯原の入院する病院から連絡が入っていた。通報してきた看護師の話に寄れば、蛯原が奇怪な行動を取りそのまま死亡したと言う事だった。一報を受けた沖菜は署からの電話によって深夜に叩き起され、現場へと急行した。それが今から五時間前である。さすがに事件発生当時は深夜だったと言う事もあり、群がる野次馬たちは少なかったが、六時を過ぎた辺りになると、その数は一気に膨れ上がった。ただでさえ小さな街だ。例え小さな事件・事故であってもその噂の広まるスピードは都会の比ではなかった。 現場に到着した沖菜は思わず息を飲んだ。上の階へと続く階段の中で、先日面会したばかりの蛯原が変わり果てた姿で死んでいた。流れ出た夥しいほどの血は、階段を伝って一番下の段差にある広間で血溜まりを作っていた。看護師によってうつ伏せから仰向けに動かされたのだろう、蛯原の顔面はまさに崩壊しており、とりわけ眼球の部分は大きく凹み、とても人間の顔とは思えないほど、酷く損傷していた。同僚の里村はさすがに衝撃が強かったらしく、しばらくトイレから出て来なかった。無理も無い。秩父署に勤務してずいぶん経つが、ここまで損傷の酷い遺体を目にしたのは沖菜も初めてだった。 事件当時の様子を看護師たちに聞いた。看護師たちが待機していた上の階から、突然悲鳴が響き、急いで駆けつけると、そこには発狂した蛯原が逃げるように走り回っていたという。まるで何かに追われるように「来るな、来るな」と叫びながら、自らの意志で顔面を階段に打ち付けたようだ。看護師たちは蛯原について、不眠症を患っていたと話していた。沖菜が蛯原と会ったときは、そんな事口にしなかった。それは意図的に隠していたのか、あるいは話す必要がないと判断したのか。いずれにしても本人がこの世を去った今では、決して分かることのない事実だが・・・・。 数名の鑑識が分析に入る。写真を撮ったり、周囲に落ちている証拠物件をくまなく捜査し始めた。 それにしても不可解な事件だった。沖菜が面会に訪れたときは、とても発狂するようには見えなかった。事件の状況から判断するに、蛯原は自殺と判断する線が濃厚だ。それも不眠症が引き起こした幻覚症状が原因だ。沖菜は面会した当時の蛯原を思い出したが、とても自殺するようには思えなかった。一体何があったと言うのだろう。 更に沖菜を驚かせる事件がもう一つ、蛯原の自殺とほぼ同時に起こっていた。それは市内の自動車整備工場に勤務する高野俊樹と言う男が行方不明になっており、家族から捜索願が出されたのだ。既に高野が失踪して三日目になるが、気になる点は失踪している事実ではない。 高野俊樹と言えば、先日市内で交通事故を起こした田村真也の車に同乗した男である。家族の話し寄れば、三日前の朝、出勤する姿を見たのが最後だったという。こうも立て続けに事件が起こるのは秩父市始まって以来ではないだろうか。 不可解な点はまだある。蛯原は一連の事件で生き残った唯一の人間だ。そして行方不明になっている高野は、その事件が起こった翌日に交通事故を起こした車に同乗した人物である。単なる偶然と言う事も出来るが、一連の事件を堺に、奇妙な事件が相次いで発生しているのは紛れも無い事実だ。行方不明と自殺を関連付けて考える事は出来ないが、何か奇妙な違和感を沖菜は感じていた。未だ解決を見ないビル作業員焼死事件、女子高生惨殺事件、乳幼児焼死事件。そして蛯原の自殺に、高野の失踪。この二週間で市内で起こった事件は何一つ解決していない。 沖菜は俯いたまま一階へと降りた。先ほどまでは居なかったが、玄関口にテレビ局の車が乗り付けているのが見えた。やがてドアが開くと、中からリポーターらしき女と数人のカメラマンがカメラを回し始めた。立て続けに奇妙な事件が起こっている秩父市内の病院で、一連の事件で生き残った人物が自殺したとあれば、テレビ局の格好の餌食となることは容易く想像が付いた。 「凄い数だな」 ずっとトイレに篭っていた同僚の里村が戻ってきた。 「小さな街だからな、仕方ないさ。事件の真相に不安を感じているのが三割。興味本位が七割ってとこだろう」 沖菜は溜息交じりでそう言った。 「そんなもんだろうな、所詮は人事だろうし。グロテスクなものが見たいんだったら、いっそ見せてあげたいね。どれだけ気分悪いか分かるってもんだ」 「そんなことになったら大パニックだ。でも、事件そのものよりも、やった犯人や状況の方が気になるっていう点は納得だな」 「それで今回の事件についてどう思う?やっぱりビル作業員焼死事件と何か関係があると思うか?」 里村の表情は少々強張っている。 「まったく無いとは言えないだろうな。勿論、断定は出来ないが・・・・」 「こないだ言っていたみたいに、得体の知れない何かってやつか?」 「別にそうとは言っていないさ。ただ、あまりにも奇妙な点が・・・・」 そこまで言ったとき、沖菜の視界に気になる人間が映った。 玄関口の経て、黄色いテープが敷かれ、侵入制限のされた向こう側で、不安げな表情でこちらを見ている女子高生が映った。時刻は七時半を回っている。多分通学途中なのだろう。制服を着ているのですぐに分かった。他にも制服を着た女子高生は見えたが、明らかのその女子高生は他の生徒とは雰囲気が違っている。 もしかしたら彼女が蛯原の言っていた朝丘詩織だろうか?・・・。 「ちょっとすまん」 「おい、どうした」 沖菜は里村との会話を切り上げ、玄関口から外に出た。すると外で群がっていたテレビ局のリポーターたちが、沖菜の元に駆けつけた。 「今回の事件も、一連の事件と何か関係があるんですか?」 「自殺したのはビル作業員焼死事件で生き残った方だと言いますが、事件との関連性は」 いちいち答えている暇は無かった。 「目下捜査中です。どいてください」 沖菜はそう言いながら先ほどの女子高生を探した。だが既にその姿は無い。どうやら現場を去ったらしい。 ちょうどその時、沖菜の背後からこの事件を担当する秩父署の警部が出てきた。これによって沖菜に群がっていた報道陣はぞろぞろと移動し、あっと言う間に去って行った。病院から出てきた警部は報道陣に事件の詳細を伝えているらしい。皆そちらの方に意識が集中している。 自由になった沖菜は周辺を見渡した。しかしあの女子高生の姿は無くなっていた。病院の正門まで小走りで駆け寄り、前に広がる大きな通りを眺めた。この大きな通りは秩父駅へと続いている道で、学校があるとすれば駅の方角だ。通学途中で立ち寄ったとすれば駅のある右側の道を行ったに違いなかった。 正門から右の道を沖菜は走った。突き当たりで道は更に右へと折れており、この道をまっすぐ進むと秩父駅北口のロータリーへと出る。沖菜は突き当りまで走り、右へ折れている道を見た。 沖菜の視線が前方を見やったのとほぼ同時に、制服を来た女子高生らしき人物が左の道へと曲がって行ったのが見えた。一瞬だったが、背格好からして先ほど見た女子高生に間違いなかった。沖菜は走る速度を速め、後を追った。 道を左に折れると、沖菜に背を向けて前を歩いている女子高生が見えた。間違いなくあの女子高生である。 「君、ちょっと良いかな」 沖菜はそう言うと、前を歩いている女子高生と並んだ。 「はい」 突然話しかけられたので驚いているのだろう。少々警戒している雰囲気が伝わってきた。 「君、もしかして朝丘詩織さん?」 「そうですけど・・・・」 「ああ、やっぱりそうか」 顔も名前も知らぬ今日初めて会った人から名前を言い当てられて、更に不審に思っているようだった。 「どうして私の名前を知っているんですか? 「昨日亡くなった、あの病院に入院していた蛯原さんに君の事を聞いたんだ。事件の事で話を聞きに行ったそうだね」 沖菜がそう言うと、詩織はまずったと言う表情を浮かべた。詩織はそのまま何も言わずに黙った。 「蛯原さんに寄ると、君の友人が女子高生惨殺事件で犠牲になった。警察の精神異常者による犯行と言う見解に疑問を持ち、独自で調べていると聞いたんだが・・・・」 「だとしたらそれが何だって言うんですか?あなたには関係ない事でしょう?」 詩織は沖菜の言葉を突っぱねた。 「そう言う訳には行かないんだ。勝手に首を突っ込まれては困るからね」 「ずいぶん失礼な方ですね。名も名乗らず首を突っ込むななんて」 「ああ、失礼。僕はこういう者なんだ」 少々話し方のきつい詩織に沖菜は警察手帳を差し出した。 「刑事さん・・・・・」 「ああ、沖菜大樹。秩父警察署に勤務する刑事だ。一連の事件を担当している。素人が事件に関わるのは褒められた事じゃない」 「例え褒められた事じゃなくても、私がどうしようと私の自由です」 気の強い女子高生。詩織に対する印象はそんな感じだった。しかし見方を変えればはっきりしている性格の持ち主のようだ。刑事相手にここまで意見を言える女子高生もまた珍しい。気は強そうだが、芯はかなりしっかりしているようだった。 「刑事さんたちの邪魔をするようなことはしません。失礼します」 詩織はそれだけ言うと、その場を後にした。 「この事件には何か特別なものが関わっているような気がするんだ」 去って行く詩織の背に、沖菜はそう言った。 「えっ・・」 詩織は思わず足を止めた。 「君もそう思っているんじゃないか?だからいろいろと調べている。違うかい?」 詩織にとっては何故か説得力のある声だった。まるで本当は自分もそう思っているんだとう事を隠しているような感さえ伺える。 詩織は沖菜の目を見つめ、黙って頷いた。 「君に話したい事があるんだ。多分、君が思っている事と同じだと思う。お互いに情報交換と行かないか?もしかしたら君が知りたいと思っている情報を僕は持っているかも知れないだろう?」 刑事との情報交換。詩織は「それも悪くない」そう思った・・・。 |