悪 夢〜14〜
土曜日の午前中は平日の午前中よりも時間の流れが落ち着いているように思える。平日なら学校へ行ったり、職場に急ぐ人たちの姿を目にするが、完全週休二日制を積極的に適用している今日では、休日を足早に過ごす人たちの姿は減っている。日頃の疲れを癒すために、ここぞとばかりに眠る人が多いのだろう。休日と言う一週間のわずかな開放感が時間に落ち着きを持たせているのかも知れない。 沖菜の運転する車が待ち合わせ場所の公園に着いたのは十時を回った頃だった。本来ならこの時間くらいに目を覚まし、休日の予定をこなすのがいつものパターンだったが、今日はそうも行かず、まだ早い時間から詩織は出かける準備に取り掛かったのだ。いくら相手が刑事とは言え男だ。顔立ちから推測するにまだ若い刑事だろうと詩織は踏んでいる。大人びている性格とは言え、異性を意識しないわけではなかった。とてもじゃないがメイクもせず、ラフな格好で出かける事は出来なかった。 「顔色悪いですね。昨日は何があったんですか?」 詩織は昨日電話で聞いた沖菜の話が気掛かりだった。 「僕のところにも来たんだ」 「来た?」 「君が見たと言う血塗れの女さ」 「まさか・・・・」 詩織は驚いた様子で目を見開いた。 「正確に言うと女の姿は見ていない。だけど僕の寝室にある鏡にこんな文字が書かれていたよ」 沖菜はそう言うと証拠品のために撮影した昨夜の鏡の写真を詩織に手渡した。 「こんな事が・・・・・」 さすがに驚愕したのか、詩織の顔は真っ青になっている。一気に血の気が引いたようだった。 「きっと僕に対する警告だろう。あの時間違いなくあの部屋にいたんだ」 こんな事が起こっては顔色も悪くなるだろう。詩織はすぐに理解した。 「それで、君の携帯に送られた来た画像は」 「これです」 詩織はバッグから携帯電話を取り出し、沖菜に渡した。 そこにはやはり意味不明な画像が添付されていた。だが昨日詩織が指摘した通り、どうやら同じ場所でアングルだけを変えて撮影した画像に間違いなかった。メールの受信時間は二十時四十分と表示されている。 次に沖菜はそれ以前に送られてきた二枚の画像をもう一度確認した。受信時間は共に二十時四十分。添付されてきた画像もやはり同じ場所で撮影された画像のようである。 「この画像が示す場所には、おそらく何かあるんだろう。意味がなければ送るはずが無い。何か心当たりはあるかい?」 「どこかで見たような場所だなとは思ってた。だけど三枚ともアングルがめちゃくちゃで、周囲に建っている建物とかもブレて見えるから分からなくて。でもどこかで見たことのあるような場所だと思う」 「そうか、いずれにしても詳しく分析してみる必要がありそうだな」 沖菜はそう言うとエンジンを掛け、車を発進させた。 「どこへ行くんですか?」 「先日君も言っていたが、事件に関わった人間が次々と死んでいる。ビル作業員焼死事件で唯一生き残った蛯原も死に、交通事故を起こした車に乗っていた高野は以前行方不明。となると生き残っているのは君と僕。そしてもう一人、事故を起こした張本人の田村信也だ。彼に対する事件や事故の報告はまだ聞いていない。何か事が起こる前に直接会って話を聞こうと思うんだ」 「だけど彼は事故を起こしただけで、本当に関わっているかどうか・・・・」 「彼も見たんだろ?血塗れの女を」 「あっ!」 その通りだった。いくら偶然だったとしても見たことには違いない。 「これで行方不明になっている高野が仮にその女を見ていたとしたら、見てしまったがために行方不明になったと言わざるを得ない。そう考えると彼も危険な立場にある」 「本当に信じるんですか?」 「何を?」 「その・・・人間ではない。幽霊と言うか、呪いや怨念の存在を・・・」 「・・・・・・」 「刑事であるあなたがそういうものを信じるんですか?」 沖菜は返答に詰まった。正直言って信じるわけには行かない。何故なら沖菜の職業は警察であって、非現実的な思考の元で動いているわけではない。常に現実的な目で事件を把握し、実在する犯人だけを検挙する事が警察官としての務めである。巷で流れる都市伝説や、怖い話、幽霊にまつわる恐怖体験を否定する気は無いが、今までずっと「それは有り得ない事」として自分の中で処理してきた。どちらかと言えば幽霊の存在など信じちゃいなかった。 しかし今回はそうも行かない。事実、沖菜の周りで説明の付かない奇妙な出来事が起こっている。昨日、それは沖菜自身にも降り掛かってきた。証拠となる写真まであるのだ。あの出来事をどのように否定すれば良いのか、その明確な道が示されない以上、怪奇現象と言う説を否定するわけには行かない。呪いや怨念が存在する事を否定したい。そのためには一度肯定的な思想を持ち、事件を解明する事で真実を見極める必要があった。 「出来れば信じたくない。犯罪は常に人間が犯すものだと僕は思っているし、呪いや怨念が生きている人間様に害を及ぼすとは思えないさ。そんな事出来るわけがない。だけど、それを証明するだけの材料が無いのも事実だ。そうであるなら一度肯定し、全ての真実を暴いて見極める。事件の真相が本当に呪いや怨念だった場合、僕は初めてそう言ったものを信じるだろう。だから今は人間と怨念との両方の線で考えている」 「警察の人って頭の硬い人たちばかりだと思ってました」 「そういう人たちもいるさ。特にお偉い方は今でもそうだからね」 沖菜はそう言いながら本庁に勤務する書類族の連中を頭に浮かべた。警察の上層部は現場での判断ではなく、そのほとんどが書類で判断され、またそれによって動きが決る。現場の刑事と本庁との間に温度差があるのはこの辺が原因である。例え目の前で人が殺され掛かっていようと、本庁の連中は上層部の許可が下りない限り助けようとはしない。しかし、現場刑事はそうではない。長年の現場仕事で培った「刑事の勘」と言うものが鼻を利かせる。種類前提の本庁に対し、現場の刑事は現場が先なのだ。未だに所轄と本庁のとの間に摩擦が生じるのはそのせいだった。 「私たちも含まれるんでしょうか?」 「含まれる?」 「今まで死んで行った人たちの中に・・・」 「僕たちまで犠牲になるなんて、そんな事させるものか。そのためにも君と一緒に行動している。だけど含まれたとしてもなんらおかしくない。少なくとも一連の事件が起きるまでは女の存在など無かったんだからね」 「私も出来れば信じたくない。今まで起こったことは全部嘘だったらどんなに楽かって、何度も思った。未だにこんな事が起こるなんて信じられないくらいだから」 そう言った詩織の横顔は悲しげだった。そう言えば麻衣も何かあったときはこんな顔をしていたような気がした。学校で何か嫌な事があると、麻衣は下ばかりを見て俯いていた。そんな癖まで似ていると思うと、沖菜は何故か嬉しかった。 「一つ聞いて良いですか?」 それまで下を見ていた詩織が顔を上げ、運転している沖菜の方を見ながら言った。 「なんだ?」 「どうして私に協力してくれるんですか?他にもお仕事あるんでしょ?なのにどうして」 沖菜は返事に困った。麻衣の事を話そうかと、一瞬の脳裏を過ぎった。 「君と会ったのも何かの縁だ。そんな相手が自ら危険に足を踏み込もうとしている。僕は刑事だ。そんな君を放っておくわけには行かない。とにかく田村に会いに行こう」 沖菜はそう言った。 麻衣の事は話さなかった。それは話さなかったのではなく、この事件が解決したら話そうと思ったからだった。 田村が勤務する自動車修理工場は土日も営業している。昼夜問わず車のメンテナンスや急な故障などに見舞われる可能性がある事を考慮し、休日は交代制と言う形で取られている。 今朝方、沖菜はこの工場に連絡を入れ、今日田村が出勤しているかどうか確認をした。その結果今日は出勤していると言う話だった。沖菜と詩織は車を折り、工場の中へと歩いた。 「すみません、田村さんと言う方はいらっしゃいますか?」 先日の詩織と同じように、沖菜は入り口付近で作業している男に声を掛けた。 「いるよ。何か用?」 「こういう者です。呼んできてくださると助かるのですが」 沖菜は胸のポケットから警察手帳を見せた。すると男の顔に緊張が走ったのが伺えた。 「ちょっとお待ちください」 男はその傍らにいる詩織に目を向けながら、不思議そうな顔を浮かべて奥へと入って行った。休日とは言え、工場内は忙しそうだった。詩織の友達でも既に免許を持っている友人もいるが、車とはまだ無関係の詩織には工場内で行なわれている作業は未知の世界だった。そこら中にタイヤが転がり、エンジンのような部分が解体されている。事故で大破した車や部分的に大きく凹んでいる車などが多く、その周りを作業員たちが忙しくない動き回っていた。 隣に立っていた沖菜が小さく頭を下げた。見ると廊下の置くから田村がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。 |