悪 夢〜15〜



「刑事さんでしたか。あの時はお世話になりまして」
「その後身体の方は大丈夫ですか?」
「単なる打撲程度で済みましたからね。あれ、君は確かあの時の・・・・」
「こんにちは」
 田村は沖菜の隣にいた詩織に気づいた。先ほどの男と同じように刑事と詩織が何故一緒に居るのか不思議そうにしている。
 沖菜と田村は面識があった。田村が交通事故を起こした際、その後処理を担当したのが沖菜だった。事故後に再び沖菜が訪れてきたので、田村は心なしかばつが悪そうである。
「まだ何か御用でも?」
「今日は別の件で伺いました。お時間は取らせません。少しだけお話できますか?」
「分かりました。外へ出ましょう」
 田村の誘導で三人は外に出た。空には雲一つ無く、美しい青空が広がっている。
「それで何か?」
「高野さんから何か連絡はありましたか?」
「無いです。俺も心配しているんですが、電話しても出ないし、昨日家にも行ったんだけど、誰もいなかった」
「そうですか。実は高野さんのご家族から正式に捜索願が届けられたんです」
「ああ、やっぱり」
「こちらとしては何か理由があって行方が分からないと思っているのですが、ここ数日で変わったことはありませんでしたか?」
「変わったことと言われてもな、特になかったけど」
「そうですか」
「何故そんなこと聞くんですか?」
「先日、市内の病院であった事件はご存知ですか?」
「ああ、あの患者が自殺したとか言うヤツでしょ、知ってますよ。テレビでやってましたから」
「あの事件で亡くなったのは蛯原さんと言う方で、ビル作業員焼死事件で唯一生き残った人だったんです」
「らしいですね。それもテレビで言ってた」
「あの事件以来、奇妙な出来事が立て続けに起こっているんです。高野さんが行方不明になっているのもその一つです」
「だけど高野は関係ないでしょう。俺らは事故を起こしただけだし」
「こちらにいる朝丘さんから聞きましたが、あなたは事故当時、血塗れの女を見たそうですね?」
 沖菜がそう言った瞬間、田村の顔が真っ青になった。二度と思い出したくないのだろう。わずかだが顔が引き攣っている。
「見たけど、事件とは関係ないんじゃ・・」
「病院で自殺した蛯原さんは焼死事件で唯一生き残った一人。事件当時、現場に居合わせた看護師たちの話によると、蛯原さんは死亡する前、何かに酷く怯えていたと言っていました。蛯原さんが何か霊的なものを感じた可能性は否定できません」
 田村には沖菜が言わんとしている意味を少しずつ察していた。沖菜はなおも続けた。
「蛯原さんと高野さんに直接的な繋がりないでしょう。ですが、事件に関わった人たちが姿を消して行っているのは事実です。そして今現在無事なのは、僕たちを除くとあなたしかいない」
「おいおい、冗談でしょ。んじゃなにか?俺もその犠牲になるってのか」
「そうとは言ってません。あくまで非現実的な発想を用いるとそういう事になるというだけです。ですが事が起こってからでは遅いんです」
「これから何かが起こるかも知れないとでも言うんですか?そんな馬鹿げた話・・・」
「あなたが見た血塗れの女が関わっていると思うんです」
 それまでずっと黙っていた詩織が言った。
「あなたが見た血塗れの女を私も見ました。もし、あの女が関わっているのなら、無関係とは言い切れません」
「幽霊が人間を殺すってのか?子供じゃあるまいし、勘弁してくれよ」
 田村は明らかに動揺している。しかし強がっているせいで話を受け入れようとはしなかった。
「とにかく何かあったらすぐに連絡してください。それと念のため十分気をつけてください。何が起こるか分かりませんから」
 沖菜は自分の携帯番号の書かれたメモ用紙を田村に渡した。
「大丈夫だろ。きっと思い違いだって分かるさ」
「そうだと良いけど」
 詩織の意味深な発言は、田村の心に大きな影を残すに相応しいほどの破壊力を持っていた。

「顔色が優れないな。どうかしたのか?」
 車を運転をしながら一瞬詩織の顔を見た沖菜が言った。
「そんな事は・・・・。ただ、いつ自分たちに矛先が向くかと思うと・・・」
「つまり、殺されるかってこと?」
「ええ」
「そんな事はさせないさ」
「だけど皆死んでる・・・。行方不明になったり狂って死んだり。それを思うと怖くて」
 田村との話を終えた沖菜と詩織の車は、ビル作業員焼死事件の現場へと向かっていた。「携帯に送られてくる画像も気になるが、ここは原点に帰って、事の発端である焼死現場へ行ってみよう」
 そう切り出したのは沖菜だった。沖菜の運転する車は北上し、少しずつ現場へと近づいていた。
 詩織が怖がるのは無理も無い話しだった。沖菜も詩織が感じている恐怖を同じように感じている。事件を解明するための捜査なのだが、やはり命は惜しいものだ。誰だって死にたいとは思わない。だが二人はそんな命の危険を感じる魔の世界に居る。ここまで来た以上、もはや引き返せない事は分かっているが、それでも恐怖を打ち消す事は出来なかった。
「僕は刑事だ。必ず守ってみせる」
 そう言った沖菜の言葉に、詩織は何も言わず黙って頷いた。
 二十分も車を走らせると、ビル作業焼死事件の現場に辿り着いた。現場周辺は事件当時のままになっており、立ち入り禁止と書かれたバリケードが敷かれている。だがそのバリケードも粗末な形で置かれているだけで、所々に大きな隙間が目立った。これでは簡単に中へは入れてしまう。そんな光景を見て、詩織は一体何のための立ち入り禁止なのだろうと頭を悩ませた。
 まだ午後と言うこともあって周囲は明るい。雲一つ無い晴天の真上に君臨する太陽の光がサンサンと輝き、地上を明るく照らしている。そのため、忌まわしい事件現場でも夜のような恐怖感は無かった。
 沖菜の真後ろに詩織が続く。沖菜は大きな隙間の開いている部分を探し、バリケードを掻い潜り中へと入る。その姿を見て詩織も続いた。
 事件以来、ビルの建設は取り止めになり、作業に必要だった材木やコンクリートなどが無造作に置かれている。横倒しになった鉄パイプは既に錆び始めており、雨ざらしのままになっている事を伺わせた。そこは見るも無惨な荒地と化していた。
 沖菜は詩織を気に止めるでもなく、一人で先を歩きおかしな点が無いか探っている。詩織も特に後を追うことも無くそこら辺を歩いた。地面のいたるところに黒く焦げたような部分が目立つ。きっとその場所で作業員たちが焼死したのだろう。それを思うと気分が沈んだ。ここで人が死んだなんて、酷く重たい空気が心に充満していくのが分かった。敷地内にはブルドーザーが二台止まっている。いずれも運転手の亡くしたマシンだ。物言わぬそれはひっそりと佇むように置かれている。その姿がなんだかとても悲しく思え、詩織は足早のその場を離れた。
 本来ならビルの立つ場所の一角に来たとき、地面に平らな石が倒れているのを見つけた。詩織はそれを掴み、起こそうとしたが、あまりにも重過ぎてびくともしなかった。
「沖菜さん」
 詩織は沖菜を呼んだ。その時沖菜は建つはずだったビルの真後ろにいたらしく、詩織が来た方向とは逆の方向から駆け寄ってきた。
「どうした?」
「これ、なんだろう」
 詩織の指差した先には平らな石が横たわっていた。察するに石版のような物にも見える。
沖菜は跪き、その石を持ち上げた。
「何か書かれているけど、これじゃ読めないな。相当古いものらしい」
 それは間違いなく石版だった。石の表面には文字のようなものが書かれているが、長年放置されたままだったのだろう。酷く劣化が進んでおり、読む事が出来なかった。
「おそらくこの辺にあったんだろうな。ビルの建設で邪魔になり、根元の部分で切断してここに置いたんだろう。石の断片はまだ新しい傷だ」
「これってもしかして、祠のようなものじゃないかしら?」
「祠?」
「うん。何かを祭っていたんだわ、きっと」
「ところがビルの建設で邪魔になり破壊したという事か」
「多分・・・・」
 新しいビルを建設するためとは言え、祠と言う神聖なものを破壊する行為には共感できないが、近代化する現代に置いては仕方の無い事なのかも知れない。いずれにしても破壊してそのまま放置とは、いささか罰当たりな気がしないでもない。書かれている文字が劣化するほどこの石版、および祠は古いものなのだろう。
「ここで過去に何かあったんだ。だから祠を建てたとは考えられませんか?」
「ああ、僕も今同じ事を考えていた」
「これはあくまで推測ですけど・・・」
 詩織は静かに話し始めた。
「全ての事件の始まりはこの場所から始まってる。例えばこの場所で人が死んでいて、それを静めるために祠を作ったとしたら、それを破壊された霊が悪霊となって現代に現れた。そう考える事も出来ないかな?」
「万が一霊的な仕業なんだとしたらその線は濃厚だ」
「私が学校で見た女は物凄い憎しみに溢れていたわ。破壊されたこの祠と関係があるのかも知れない」
「確かに。関係ないとは言い切れない。今も言ったが、全ての発端はこの場所から始まっているからね」
 仮にこの祠に霊的な何かが眠っていたらと仮定する。ずっと眠っていた霊は、人間たちの勝手な行動によって無惨にも破壊された祠を見て、さぞ嘆き悲しんだだろう。その行為に憎しみを抱いても無理は無い。それよって現代に蘇った死者の怨念は次々と人間を襲った。
 まさに心霊の世界であるが否定は出来ない。沖菜も詩織ももはや霊的な概念を捨て去る事は出来ない状況に置かれているのだ。
「いずれにせよ、過去に何かあったのは事実だ。それが分かっただけでも収穫有りだ。どうやら過去の事件を洗い直す必要があるな」
 詩織は沖菜の話を聞きながら、頷いた。そしてしゃがみ込み、ハンカチを取り出し、石版を拭い始めた。
「どうした?」
「今となってはもうこの石版を元に度しても、祠の原型を作っても意味は無いかも知れません。だけど、人間の勝手な行為によって破壊されてしまったんです。せめて元に戻すくらいしなきゃ」
「・・・・・・」
 沖菜は何も言わず、しゃがみこんだ詩織を見下ろした。甲斐甲斐しいと言う言葉が似合う。そんなところもやはり妹の麻衣に似ていた。
「手伝うよ」
 そう言うと沖菜は詩織が拭って綺麗になった石版をあるべき場所へと移動させ、破壊された部分に土を被せ、元に戻した。

全ての作業が終わった頃には、既に夕日は沈みつつあった。祠を元に戻した二人は、近くのコンビニでささやかなお供え物を買い、祠の前にそれを置いて手を合わせた。人間の私利私欲のために、眠っていた霊を呼び覚ましてしまったのなら、これは人間に対する天罰なのかもしれない。ふと詩織はそんな事を思った。
「過去にあの場所で何があったのか、調べて見ようと思う。警察のデータバンクの中に当時の資料が残っているはずだ。君は出来るだけ一人で行動しないように心掛けてくれ。何が起こるか分からないからね」
「ええ、分かってます」
「何か分かったら連絡する」
「気をつけて」

 詩織を家まで送り届けた沖菜は、そう言い残し去って行った。


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