悪 夢〜5〜
真理亜の家は秩父駅から程近い閑静な住宅街にある。過疎化を恐れた市が東京のベッドタウンと呼ばれているさいたま市を見習い、出来るだけ安値の住宅を作れるように様々な思考を巡らせて完成に至った住宅街である。都心と違って交通の便も悪く、何よりその都心から大きく離れている事もあって、貸しアパートや借家の家賃は驚くほど安い。閑静な住宅街に一戸建てを建てることも、都心に比べたら容易に出来るし、知り合いに建設業者などがいる場合は表示金額よりも若干値切る事も出来るのが魅力的ではあるが、その分近場にコンビニがなかったり、大手スーパーやデパートがほとんど点在しないと言うデメリットもある。そのため、この地域に住む人たちにとって車は必需品である。車さえあって運転できれば買出しに都心まで出る事もできるし、交通の便が悪いのも路線に限られているので、道路の状態はむしろ都心よりもしっかりしていた。ただ都心まで行くには時間がかなり過ぎるという、やはりリスクを背負わなければならないが。 それでも住宅が出来れば人は集まる。人が集まればそこに生活が始まり、日常が成立する。都心のような華やかさは皆無だが、その場所なりの良い点がある事も決して忘れてはならない。多くの自然と山に囲まれた秩父が詩織は好きだった。 真理亜の家は詩織の家から歩いて十分程度の場所にある。真理亜も詩織も、高校までは別の学校に通っていたが、二人とも秩父生まれの秩父育ちである。生まれながらにして都心の華やかな世界とは無縁だったわけだが、二人は休日になると、片道二時間以上掛けて都心へ買い物へ行った。さすがに新宿や渋谷などのいわゆる「流行の街」には気後れしてしまう部分もあったが、池袋や上野などは付いて行ける範疇の街だった。休日になると朝早く起き、限界までお洒落な服に身を包み、出掛けたものである。それはつい最近の出来事であったが、真理亜を亡くした今となっては、遠い過去のように思えてならなかった。 真理亜の家の呼び鈴を鳴らすと、すぐに玄関の扉が開いて、真理亜の母である涼子が姿を現した。 「詩織ちゃん!」 「こんにちは」 涼子の目元は赤くなっていた。真理亜を失って以来、頻繁に涙を流している事が伺える。そんな姿に詩織の胸は締め付けられた。 「今日はもう学校終わったの?」 「はい。さっき終わってそのまま来ました」 「そう、どうぞ入って」 「お邪魔します」 涼子はどこか嬉しそうだった。 詩織と真理亜が親友同志であることを涼子は知っている。日常の何気ない会話や学校での出来事を話すとき、真理亜は必ず詩織の話もしていた。真理亜は時折詩織を家に招き、家族に紹介した事もあった。 娘の一番親しかった親友が家に来たとあっては、喜ばないはずがない。涼子はリビングに詩織を通し、お茶菓子を出した。 「すいません、どうかお構いなく」 「何言ってるの。ゆっくりしてってね」 「ありがとうございます」 詩織はそう言うと、真理亜の遺骨と数多くの写真が並べられた祭壇の前に立ち、線香を上げた。チーンと言う低い音が響くと、詩織は手を合わせ、写真の中で笑っている真理亜を見つめた。どの写真も屈託の無い笑顔で楽しそうにしている真理亜がいる。家族の計らいだろう。写真は数十枚にも及び、台の上めいっぱいに置かれていた。 胸が痛んだ。つい先日までこの笑顔と会っていたのだ。話をし、一緒に行動していた。それが今では写真の中で笑っている。もう現実には居ないのだ。もう二度と笑う事も無く、もう二度と動く事もない。もう二度と会えない。もう二度と声も聞けない。そんな思いが過ぎると、煌びやかな目から涙が溢れた。一度涙が溢れるとそう簡単には止まらない。特に詩織のように気丈で、人前では決して弱音を吐かない人間は、常に悲しみを塞き止めている習性がある。そのダムが崩落すると、流れる涙は勢いに乗って津波のように流れ出してしまう。 詩織の後ろにいた涼子がそんな姿を見て背中を擦ってくれた。その目にも大粒の涙が浮かんでいる。 詩織は出来るだけ早く涙が止まるように務めた。 涼子の入れてくれたレモンティーはとても美味しかった。出されたレモンティーは市販のものだろうが、真理亜の家にいると言う事が安心感を与え、久しぶりに味覚が刺激されるようだった。 「学校では・・・・」 最初に話を切り出したのは涼子だった。 「やっぱり話題になってる?この事件の事」 「ええ。これだけの事件ですから。それに、真理亜の事もありますし・・・。中には面白半分に事件を茶化す人も居るけど、皆警戒してます」 「そう・・・本当に気をつけて欲しいわ。もうこんな悲しみは沢山だから・・・」 涼子の手にあったカップが震えている。時折鼻を啜り、涙を抑える仕草を見せた。そんな涼子の姿は痛々しかった。 「今日はちょっとお伺いしたい事があって来たんです」 「何かあったの?」 「昨日の夜、時間は二十一時くらいだったと思うんだけど、真理亜の携帯を使って、私の携帯に写メールを送りませんでしたか?」 「写メール?」 「はい。送られてきたんです、これが」 詩織はそう言うとバッグの中から携帯電話を取り出し、送られてきた画像を見せた。 「この画像、明後日の方角を向いていて、何が何だか分からないんですよね。もしかしたら間違って私のアドレスに送ったんじゃないかな?と思って」 「変ね、それは有り得ない事だと思うんだけど・・・」 涼子は首を傾げながら意味深に言った。 「有り得ない事?」 「ええ、実は真理亜の携帯電話、無くなっちゃったのよ」 「えっ!」 まさかの言葉に詩織は驚愕した。 「告別式の前までは確かにあったんだけど、気付いたら無くなっててね。それで今日の午前中に契約を解除しに行って来たの。万が一拾った人に使われても困ると思って」 これは明らかに奇妙である。 仮に紛失した真理亜の携帯を誰かが拾っていたとしても、わざわざ意味の分からない画像を撮影して送信先に詩織を選ぶだろうか?確かにそれでも偶然と言う仮説を否定する事は出来ないが、となるとあの意味不明な画像は一体何を意味するのか。その辺は非常に曖昧である。画像をメールに添付するにはそれなりの作業が必要だ。ある程度メールに関する知識が無ければ送信する事は不可能。その操作の過程でも、送信先が偶然詩織に設定されたと言えるだろうか?その可能性は極めて低い。あまりにも偶然が重なりすぎている。 真理亜の携帯を拾ったのが家族の人間であれば、拾ったことを報告するはずである。だがそのような話は一切出て来ていない。現時点では少なくとも真理亜の家族が携帯を拾った可能性はゼロに近い。拾う可能性があるとすれば第三者である。だがしかし、告別式の前まであった携帯電話を、家族でもない第三者がどのような形で拾ったと言うのだろうか。 「変ね、誰かが使ったのかしら」 涼子が首をかしげながらそう言った。 「でも大丈夫ですよ。もう解約したわけですしね。今頃は使えないはずです」 当たり障りの無い発言だが、詩織の中に浮かんだ疑問は膨らむ一方だった。 「ところで、事件当日、あるいはそれ以前でも良いんですが、真理亜に変わった様子はありませんでしたか?」 詩織はいよいよ核心に迫った。 「変わったところと言っても、覚えている限りは全部警察に話したからね。特に何も無かったような気がするんだけど・・・でもどうして?」 「こんな事言うのは変かも知れないけど、私、この事件について納得してないんです」 「納得していない・・・」 「はい。だっておかしな事ばかりじゃないですか。警察では異常者による犯行とか言われているけど、真理亜が発見された部屋は密室で、外部から侵入された形跡も無かったわけだし。ビルの作業員たちが焼死した後に、連続して残忍な事件が起こってる。なんだか納得行かなくて・・・・」 詩織の思っていた事は、どうやら涼子も思っていたようである。涼子は詩織の言葉を真剣に聞き、自分もそう思うという様子で頷いていた。 「だから何かあるんじゃないかって。言葉では説明し難いんだけど」 「ありがとう、詩織ちゃん。その気持ちだけでも十分嬉しい」 涼子の目には再び涙が浮かんでいた。そして涼子は更に続けた。 「今思い出したんだけど、真理亜の殺される前日、あの子意味の分からない事を言っていたわ」 「意味の分からない事・・・ですか?」 「ええ、子供が泣いてるって言ってた」 「子供?」 「うん。なんだかそわそわしてるみたいに。あの子も妊娠していたから、それが原因で落ち着かないのかなと思っていたのよ。現に妊娠すると気分が頻繁に変化するから。だからあの時はそれほど気に止めていなかったわ」 確かに涼子の言うように、それは真理亜が妊娠していたため落ち着きが無かったせいだ、と言う事も出来る。倫理的に言えばそれが正論だろう。だが詩織は妙に気になった。子供と言う部分が特に・・・。 真理亜が殺される前日と言えば、同じ市内でビル建設に関わっていた作業員が焼死すると言う事件が起こった日である。そして「子供」と言えば、ビル作業員焼死事件の翌日に、やはり同じ市内で生後間もない幼児が焼死すると言う事件が発生している。あまりにも共通するキーワードが多過ぎると思うのは過剰な分析だろうか?それに子供と言えば真理亜も妊娠していた。本当にこれは単なる偶然と言う言葉で済ませて良いのだろうか? |