悪 夢〜8〜
本格的な秋を感じさせる気温が心地良い。とりわけ秋の街並みはどこか涼しげに見える。半袖姿を見ると夏をイメージするが、十月の後半に差し掛かった今の時期になると、その装いは一変する。半袖を着ていた元気な子供たちも、気が付けば長袖を着るようになり、高層ビルから発せられる熱気も影を潜める。寒くも無く暑くもないこの季節は、人々を行動的にするのに最も適した時期だと言えよう。 秩父駅へと続くこの道では、近代化する社会に乗り遅れたような商店街が立ち並んでいる。時代遅れと言ってしまえばそれまでだが、どこか懐かしさを感じさせる、落ち着いた商店街とも言う事が出来る。 国道140号線の道路を挟んで昔ながらの店が各地に点在している。秩父商会と名付けられたこの商店街は、近代化する社会とは無縁のようにも思えるが、年々深刻化する過疎化の問題により、シャッターが上がらない店が増えている。かつては店があったであろうシャッターに「テナント募集」と書かれた告知が張ってあるのを見ると、少しだけ悲しく感じられた。例え過疎が進もうと、詩織にとっては生まれ育った故郷なのだから。 140号線沿いを歩く詩織の頭の中では、先日の忌まわしい出来事が繰り返し響いていた。もう二度と思い出したくも無い「悪夢」。あの断末魔にも似た悲鳴は生涯忘れる事は出来ないだろう。 あの後、詩織は恐怖から逃れるように通話を切った。その後もしばらく恐怖で縛られ、様子を伺っていたのだが、再び電話が鳴ることは無かった。 身体を縛り付ける恐怖に終わりはあっても、その恐怖の出来事に終わりは無い。もはや尋常ではない何かが働いているのは事実である。解約したはずの携帯電話からメールが届いた事。そして今にも殺されると言う真の恐怖に晒された人間による断末魔。次々と起こる現実離れした出来事に、詩織は憔悴しきっていた。 だがしかし、このまま全てを闇に葬る事は出来なかった。例えそれが恐怖であっても、真理亜の死には理不尽な部分が多すぎる。そして一連の事件にも人間の仕業ではない、何か怨念めいたものがあるのではないか。自分に降りかかる怪奇現象を経て、詩織はこの事件に霊的なものが関わっている事を実感していた。そしてそれを解明するために、詩織は動き出した。 ビル作業員焼死事件で唯一生き残った蛯原友喜に会いに行ったのも、事件を解く鍵を見つけるためのプロセスだった。蛯原は突然訪れた女子高生に困惑していたが、事情を説明すると理解を示してくれた。それによって明らかになった事実が、事件現場で赤ちゃんの鳴き声がし、人間の姿をした邪悪な念が飛び去ったと言う事実だった。これは詩織自身に起こっている不可思議な現象を解決させるための大きな手掛かりとなる情報だった。赤ん坊の泣き声なら詩織も耳にしている。更に学校のトイレで起こったあの怪奇現象。仮に蛯原の証言が事実だったとして、事件現場から飛び去ったと言う邪悪な念は、あの時鏡に映った血塗れの女ではないだろうか。無論、断言は出来ないが、今後の展開に役立つ朗報でもあった。 そしてその翌日の今日、詩織は更なる情報を求めて事件の翌日に起こっていた交通事故の現場に向かっていた。会報誌の情報に寄れば、今詩織の歩いている国道140号線を北上し、駅と未開発地区を分岐点とする場所で事故は起こっている。詩織の足は自然と早まった。 その場所は詩織側から見ると大きなY路地になっており、道が二つに分かれている。路地の左側は未開発地区になっており、現在建設中のビルや野原が目立つ。右側は秩父駅に繋がっている道で、人通りもそれなりにある道だった。この右側の道を真っ直ぐ進み、秩父駅を通り越した場所に、ビル作業員焼死事件の現場がある。 会報誌に載っていた交通事故の現場はこのY路地の手前になる。詩織はその現場まで来ると足を止め、周囲の景色を見渡した。しかし、カーナビを故障させるような物は何一つ見つからない。少なくとも障害になりそうな物や建物は存在しない。となると電波の問題だろうか。ここでどのようにカーナビが故障するかは分からないが、目的地を示さないと言う事故当時の様子を考慮すると、故障したカーナビはこのどちらかの道を示したと見て、まず間違いないだろう。 詩織はそれぞれの道の先にある景色を見ようと、Y路地の手前から中ほどへと足を進めた。特に変わった様子など伺えないと思ったとき、突然携帯電話が鳴り響いた。バッグに仕舞ってあった携帯を取り出し、影響画面を見やる。そして詩織は先日の悪夢を思い出した。 「どうして・・・またなの・・・」 液晶画面にははっきり「真理亜」と表示されていたのだ。 しかも先日と同じようにメールではない。着信なのだ。マナーモードにし忘れた携帯電話は詩織の感じる恐怖とは裏腹に、気の抜けた着メロを響かせている。そのギャップがまた恐ろしくもあった。 一体どういうことだ・・・。先日もそうだったが、既に真理亜の携帯は解約されているはず。にも関わらず一度ならず二度も着信がある。あまりの恐怖に詩織は携帯電話尾を落としそうになった。 通話ボタンを押すか、それとも切るか。迷った。通話を切ってしまえばそれまでである。しかし・・・・。 真実を明らかにしたいと言う気持ちが恐怖を押しのけた。 「もしもし・・・」 返事は無かった。ただ聞こえてくるのはノイズのような音声だけである。 詩織は思わず身構えた。先日のように突然悲鳴が響く可能性も考えられるからだ。何が起こるか分からない。 「・・・・わる・・・・な・・・」 「えっ?」 「カカワルナ・・・・・」 それは一瞬だった。「関わるな」そう聞こえると通話は途切れた。 「もしもし!もしもし!」 ツーツーと言う音が虚しく耳を突く。明らかに聞こえた「関わるな」と言う声。それは間違いなく女の声だった。 詩織はしばらく動けなかった。恐怖と疑問が身体を縛りつけ、一切の行動を拒絶したのだ。真理亜の携帯は解約されている。現実的に考えるとこのような現象はまず考えられない。だがしかし、現にその有り得ない現象が目の前で起こっている。しかも生きた人間ではない。別の何かによって・・・・。 更に詩織は疑問に思った。それはどうして真理亜の携帯が使われているのかと言う点である。仮に一連の事件があの「女」によるものだとすれば犠牲になったのは真理亜だけではない。他にも犠牲になった女子高生はいるのだ。なのにどうして真理亜の携帯を使い、それを詩織に伝えようとしているのか。確かに詩織が事件に関わっているからと言う事も出来るが、それであれば何も真理亜の携帯ではなくても良いはずである。 「もしかしたら真理亜が・・・・・」 自分に何か伝えようとしているのではないだろうか・・・・。 そう思ったのと同時に、詩織は決心した。 必ず解決させてやると。 まだ秋が始まったばかりとは言え、夕日が沈む時間になると途端に気温が下がった。学校を出たときは制服姿で十分だったが、地平線に太陽が沈まんとする時間になると肌寒く感じられた。詩織は予備で持っていたカーディガンを羽織った。 交通事故現場を更に進むと、そこは工業地帯が広がっており、電化製品などを扱っている修理工場、某有名パン製品会社の生産工場や車の修理工場などが目立つ。建物の造りもあまり綺麗ではなく、長年使い古した独特の雰囲気が立ち込めている。街の活性化は遅れているものの、土地の面積は都心よりも広いため、各種修理工場などが秩父には多く存在している。都心のお店で依頼を受けた修理工場がお客の要望に合わせた改善や修理などを行なう。対象となる製品はメーカーから送られてきたり、自分たちの足で取りに行く場合と様々なケースがあるが、メーカーなどのメジャーな仕事とは対照的な位置に存在する修理工場が自分たちで取りに行くというケースがほとんどだった。無論、その分料金は加算されるが。 周囲は未開発地区で囲まれているため、点在する工場の場所は一定ではない。高台の上にポツンと建っている工場もあれば、畑のど真ん中に建っている工場もある。いずれは開発の手によって様々な建物が建つのだろうが、これだけバラけた場所に建っていると、さすがに違和感があった。 詩織は会報誌に載っていた住所を元に、田村真也の勤務する自動車の整備工場を突き止めた。田村真也は交通事故を起こした車を運転していたドライバーである。事故後は病院に搬送されたが、奇跡的にもかすり傷程度で済んだため入院する事はなかったらしい。助手席に座っていた高野俊樹と言う男も田村と同じ職場の同僚で、やはり彼も入院はしなくて済んだようだ。詩織は田村に事故当時の様子を聞くために訪れたのだった。 時刻は十七時半を回っている。既に終業時刻を過ぎたのだろう。工場の中から帰る人の姿が目立った。仕事中は作業服を着ているのだろう。去って行く社員たちのほとんどは作業服を持っていた。 工場の外で待っても良いのだが、詩織は田村の顔を知らない。このままここで待っていても誰が田村なのか分からない。詩織は思い切って工場の中へと歩き出した。 「すみません、ちょっと良いですか?」 詩織は工場の入り口にいた作業服姿の男に声を掛けた。 「あの、こちらに田村真也さんと言う方、いらっしゃいますか?」 「田村?ああ、いるよ。知り合いかい?」 「ええ、ちょっと」 男は「ふうん」と言って詩織を舐めるように見た。男手の多い整備工場に女子高生とは、やはりどう考えても不自然ではあるが、怪しまれるのはまずい。女に飢えたいやらしい視線に耐えながらも詩織は男に言った。 「田村さんはまだいますか?お話したい事があるんですけど・・・」 「まだいるんじゃないかな。見てくるよ」 「すみません」 男は再度詩織を眺めた後、奥へと入って行った。男の視線は明らかに詩織の胸へと集まっていた。少々気持ち悪い思いで胸に手を当てると、詩織は大きく深呼吸した。 しばらくすると工場の奥から洋服に着替えた姿の男がこちらへやって来た。 「君かい?僕に用があるってのは」 「田村真也さんですか?」 「そうだよ。女子高生の知り合いは居ないはずなんだけどな」 「実は聞きたい事があって来ました。私は」 「ああ、ちょっと待て。ここじゃまずいから外に出よう」 「あ、はい」 詩織は田村に促され、工場の外に出た。建物の影になって気付かなかったが、整備工場の裏には小さな公園があった。田村はそこへ移動した。 公園内のベンチに座ると、田村はズボンのポケットから煙草を取り出し、火を付けた。詩織は煙草が嫌いで煙が苦手だったが、それを伝えようとはしなかった。田村はベンチに座ったが、詩織は座らず立ったまま田村に向き合った。いくら歳の近そうな顔立ちをしているからと言って、今日会ったばかりの人間と鷹を並べてベンチに座るような事は出来なかった。 |