悪 夢〜9〜



「んで、女子高生が何の用だい?まさか売りをやりに来たわけじゃないだろ?」
「違います」
 詩織は言葉にしなかったが、内心憤慨した。まさか第一声でそんな事を言われるとは思ってなかった。売りとは当然「売春」の事である。
「冗談だよ、ごめんごめん。整備工場なんて
とこに務めていると女のフェロモンに飢えちまってね」
 だったら風俗にでも行けば良いだろ。そんな言葉が頭をかすめたが詩織は押し黙った。
「実は・・・」
 詩織は適度に自己紹介を済ませ、交通事故当時の様子を詳しく聞きたいと申し出た。無論、何故だ?と質問を返されたが、詩織は学校の課題で交通事故による被害の大きさを取り上げたレポートを書くためと、咄嗟に嘘を付いた。女を性の対象としてしか見ていないような男に、一連の事件と真理亜の死に疑問を抱いているなど、真相を伝える気はさらさらなかった。
「あの道はいつもそうなんだ。俺の事故に限った事じゃない。どんな人間でも、どんな車でも、あの場所に来ると予め指定した場所とは正反対の道を示すのさ」
「カーナビが間違いを示した明確な場所ってどの辺ですか?」
「未開発地区と秩父駅へと繋がるY路地の手前だよ」
 詩織はゾッとした。事故現場は会報誌にも載っていたので知ってはいたが、それが一致すると身震いするような怖さを感じる。まして、先ほど詩織はあの場所で「関わるな」と言う女の声を携帯電話越しに聞いている。
「会報誌にはカーナビの故障によって脇見運転をした事が原因だと書いてありましたけど、あれは本当ですか?」
「あれは・・・まあ・・・そうだと言えばそうなんだが・・・」
 突然田村の顔が引き攣り始めた。何か思い出したくないような、そんな表情を浮かべている。
 どうやら何かあるらしい・・・。詩織は田村が話し出すまで黙った。
「警察には黙っていたんだが・・・」
「何かあったんですね」
「ああ。こんな馬鹿げた話、信じるかどうか分からないが、実はカーナビが故障して、その原因を探ろうとしたとき、目の前に女が現れたんだ」
「女・・・」
「ああ、しかもただの女じゃないぜ。全身血塗れだった」
 ふと先日学校のトイレにある鏡で、詩織が見た血塗れの女の顔を思い出した。まさかとは思うが・・・。
 不穏な気持ちが過ぎったが、驚くような事はなかった。この事件には明らかに怨念めいた何かが存在している。今まで詩織の身に起こった怪奇現象を考えれば、もはや驚く道理など無かった。
「あれは・・・あれはなんて言うか、凄まじい形相だったぜ。呪いとか、怨念とか、そんな生易しいもんじゃない。もっと強烈な邪悪な何かだった」
「確かに、そんな事警察に話しても取り合ってくれなかったでしょうね」
「当たり前さ。警察なんて現実の事しか頭に無いからな。君は驚かないのか?」
「私?特には・・・・」
「ずいぶん、肝っ玉な女子高生だこと」
 自分の方がもっと恐ろしい体験をしているとは言えなかった。今となっては血塗れの女など驚くにも値しない。こっちは悲鳴やら有り得ない着信やメールなどを垣間見ている。自分が体験している事実の方がよっぽど怖かった。
「他になにかありませんか?」
 詩織は努めて冷静に言った。
「気になっている事がもう一つある。ただこれは事故後だから直接事故とは関係ないかも知れないが・・・」
「どんな事でも結構です。教えてください」
「あの日以来、同僚の様子がおかしくてね」
「同僚?」
「事故当時、助手席に座っていた仲間だよ」
 会報誌の載っていた高野俊樹と言う名前を思い出した。事故当時、田村の運転する車の助手席に乗っていたが、大した怪我は無かったと書かれていた。
「ここ二日連絡が取れないんだ。仕事も無断欠勤している。そんな事をするようなヤツじゃないんだがな。携帯に電話しても繋がらないんだ」



 秩父市内にある総合病院では、昼夜問わず様々な患者が訪れる。救急車で搬送される者もいれば、大怪我をしながらも自分の力で訪れる者、何かの病に犯され、朦朧としながらも家族に支えられて訪れる者。病院はあの世との間にある駅と言われるが、向かう先は実に様々である。
 秩父市の総合病院で亡くなる患者の数は年間十人程度である。この数字は都心の大学病院などに比べると極端に小さな数字だが、秩父市と言う都会と言う華やかな時代に遅れを取っている街としては決して少ない数ではない。亡くなる患者の三割は病だが、残りの七割は事故による死亡。いくら建設中のビルが多いとは言え、まだまだ都会の密集には程遠く、都心部と比べて道路も広い。そのため意識せずともスピードが出てしまい、交通事故が多発するのだ。
 そのため入院している患者も様々だ。不治の病に犯されている患者もいれば、大怪我をして全身包帯に包まれている患者。病や怪我などが無かったら動物園さながらの施設と言ったところだろう。
 蛯原の入院が長引いているのは単に重度の火傷だけが原因ではなかった。本来火傷のみならとっくに退院している。それが出来ずにいるのは火傷とは別に大きな問題を抱えているからだった。
 沖菜と言う刑事、そして朝丘と言う女子高生には黙っていたが、あの事件以来、同じ夢を何度も見るのだ。しかもそれは決って浅い眠りの中で見る夢で、夢なのか現実なのか、実に曖昧な状況で目が覚めるため、酷く気分が悪い。夢の中に綺麗な女でも出てくれば話は別だが、蛯原が見続けている夢はそんな生易しいものではなかった。
 地獄の業火の如き勢いで吹き上がった炎の中から、全身の皮膚が爛れた女が這い出てくる。その眼光は鋭く、激しい憎しみに満ち溢れ、蛯原を追いかけてくるのだ。何とか女から逃げようとするのだが、蛯原の動きは遅く、女の身体から舞い上がった炎によって焼き殺されると言う、文字通りの悪夢だった。その夢が浅い眠りの中で訪れるため、目が覚めたときの感触が絶望的に悪い。そしてその嫌な感触はいつしか拒絶へと変わり、蛯原はとうとう不眠症になってしまったのだ。眠る事に対する恐怖。繰り返し見る夢に対する嫌悪感。その二つがタッグを組み、蛯原の精神を蝕んでいるのだった。
 あの事件が起きるまで蛯原は夢を見る体質ではなかった。最も仕事疲れが溜まっており、ベッドに入った瞬間から深い眠りへと付いていた今までの習慣から考えれば、入院中の今は体力を持て余していると言う事も出来る。しかし、毎晩悪夢を見続けるというのはまさに恐怖である。今日もまた見るのではないだろうか?そんな思いが睡眠を拒絶しても無理は無かった。
 事件以来、蛯原の勤務するトートリックはずっと休業となっていると聞いた。一度に十九人人もの社員が焼死した事実は、社内に不穏を撒き散らす結果となったようだ。先日見舞いに訪れた同僚は仕事は辞めたと言っていた。当然と言えば当然の反応だ。焼死の原因が未だに不明とあれば、社内で「神隠し」や「悪魔の仕業」などと囁かれるのも頷けた。この事件が尋常ではない事を最も熟知しているのは他ならぬ蛯原だった。
 夜になると病院の雰囲気は一気に豹変する。病を抱えた患者には、夜眠ってそのまま逝ってしまったと言うケースが良くある。昼間は元気だった患者でも、夜を堺に容態が急変するという事態も頻繁にある。そういう意味では病院の夜は生と死の境界線となる時間帯だと言えるだろう。数時間前に処方された睡眠薬を飲んだが、一向に眠くなる気配は無い。おまけに蛯原の病室は個室のため、人と会話をするという事が出来ない。昼間は見舞いに訪れる人間が必ず一人は居るが、夜はそれさえも遮断される。まるで自分の空間だけが閉鎖されているような寂しさを感じた。
 それでも眠らないわけには行かなかった。いつまでも入院しているわけには行かない。入院費は決して安くは無いのだ。一刻も早く退院し、今後の事について会社と話し合わなければならない。またあの悪夢を見てしまうのかと一物の不安はあるが、蛯原は電気を消し、ベッドに入った。
 電気を消したにも関わらずやたらと明るいのは、妻が閉め忘れたカーテンのせいだった。珍しく帰り際閉め忘れたらしい。蛯原は自分で閉めようかと考えたが、真っ黒な大空にぽっかりと浮かんでいる満月を見ると、このままでも良いかと思い、虚ろな目で窓の外を見た。どうやら先ほど飲んだ睡眠薬が少しずつ効いて来たようだ。
 綺麗な満月だった。秋の空に静かに浮かぶ満月は、独特の月光を夜の闇を照らし出す。太陽のように温度を感じさせる日差しとは違う、幻想的な雰囲気を武器に夜の街を照らしている。横になっている蛯原の位置からは見えないが、これだけの月明かりだと、街中も月明かりで明るくなっているだろう。病院のような高い建物は月光によってビルの影を作り「夜の影」と言う自然の芸術が完成しているに違いない。それを見れないのは残念だったが、起き上がって見ようとは思わなかった。
 瞼が閉じそうな目で満月を眺める。瞼が知事層になれば当然眼球の水分は増し、狭くなった視界は自然と歪んで見える。まるで水面に映し出された月のように、蛯原の目には月が歪んで見える。
 そして閉じかけた瞼が完全に閉じようとした時だった。




戻る