Black Birthday
人間は失った人や物は鮮明に記憶しているが それをいつ失ったのか?と言う疑問に至っては、実に曖昧な記憶が渦を巻いている。 失った代償があまりにも大き過ぎて、日時や場所まで明確に把握していないケースがある。 それがとりわけ家族であれば、思い出すことにさえ嫌悪感を抱くもの。 だがそれは単に忘れようとする防衛本能がそうさせているだけであって 記憶の引き出しにはちゃんと収められているもの。 身を切り裂くような絶望の後に、平和な日々が訪れたとしたら 人はその絶望を乗り越えようと努力するだろう。 しかし、それでも「失った」事に何ら変化はないのだ・・・・。 クリスマスを迎えようとしている12月中旬。 都内の企業に勤める柊 洋子(ひいらぎ ようこ)は そんなクリマスムード一色になった街を、15階にあるオフィスから眺めていた。 本来ならクリスマスと言うだけで気分は向上するものだが 洋子はとてもそんな気分にはなれなかった。 仕事が忙しいと言うのも確かにある。特定の彼氏が居ないというのもある。 だが聖なる夜を溜息に変えてしまう要因は他にあった。 洋子が「それ」に気付き始めたのは今から3年ほど前。 クリスマスの時期が近づくこの年の瀬になると、どういうわけか理由も無く悪寒が走るのだ。 それは単に寒気と言う事ではなく、人間の内面に眠る嫌悪感を無理矢理引き出すような悪寒だった。 仕事場に居ても家に居てもそれは続いた。 感触としてはストーカーに似ている。常に自分の後ろに誰かいるような感触が洋子を包む。 かと言って後ろを振り返っても誰もいない。 洋子の家族は夫と子供が2人。 都心から離れた割と自然の多い場所に住居を構えている。 例え家族と一緒に居るときでも、その不快感は続いた。 家に居ようと外に居ようと、何故か常に自分が監視されているような錯覚を覚える。 この不可思議な出来事に気付いたのが今から3年前と言うわけだ。 もっと不思議なことがあった。 それはこのストーカー感覚が、決ってクリスマスシーズン中だけに起こると言う事。 クリスマスが去ると嫌な感触は嘘のように消えるのだ。 つまり期間限定で襲われると言う、不可思議な出来事だった。 そう考えると「ストーカー説」は真正面から否定される。 クリスマスの期間中だけ人を追い回すストーカーなど聞いた事がない。 だとしたら一体なんだと言うのだろうか・・・。 12月24日。 洋子は仕事を終えると電車に乗り、帰路に着いた。 最寄の駅で降りると、そこから家までは徒歩だ。 よほどの残業が無い限り、バスは使わないし、歩いて行ける距離にあるため 洋子は歩く事にしていた。 家に帰ると既に夫の一樹(かずき)は帰宅しており、子供と一緒に夕食の準備をしていた。 長男の博人(ひろと)は夫と一緒にクリスマスケーキを作っているが 作ると言うよりはむしろ工作のような姿になっており、とても綺麗とは言えなかったが それでも自分の子供が一生懸命作っている姿は何者にも変えがたい。 「今年のクリスマスケーキは散々かな」と 苦笑いを浮かべながら見ていると、夫の一樹が冷蔵庫を開き、洋子に見せた。 そこには市販で売られている立派なケーキが収まっていた。 どうやら一樹は子供が作ったらどういう事になるか、予め分かっていたらしい。 こう言う事もあろうかと先手で準備を施していたわけである。 「もう少しで出来るから、先に風呂でも入っててくれ」 「ありがとう。疲れたからそうするわ」 洋子は一樹に言われるがまま風呂場へ向かった。 鏡の前で全裸になった洋子は髪の毛を束ねるためゴムを取ろうとした 洗面台の下に風呂の用具が納まっているため、身体を屈めないと取る事が出来ない。 ごそごそと探し、お目当てのゴムを手に取ると、上半身を戻し、改めて鏡を見た。 「えっ!?」 それはほんの一瞬。洋子が身体を起こし鏡を見た瞬間、自分の後ろに何かが映った。 大きさは洋子の腰くらいの高さだったような気がする。 洋子は恐る恐る後ろに振り返った。勿論、誰もいない。 「なんなの・・・」 確かに一瞬ではあったが、確実に何かが映った。それは事実である。 だがそこには何もおらず、変化は無い。 気持ち悪い感触が全裸の寒気と重なり合い、何とも言いがたい寒気が走った。 洋子は二の腕を擦りながら浴槽に身を沈めた。 とても幸せな家庭だった。家に帰れば子供がいて、夫の帰りのほうが早いときもある。 その場合は今日のように夫と子供が一緒になって夕食を作って置いてくれる。 笑顔の耐えない家族。充実した仕事。 何一つ無い不満など無いはずなのに、自分に付きまとう黒い影。 だがこの暖かい湯に浸かっていると、ちょっとした恐怖など忘れてしまう。 洋子は身体と髪の毛を荒い、風呂を後にした。 リビングに行くと、長男と夫はまだケーキを作っていた。 夕食はすっかり出来上がっているが、ケーキの完成が遅れているらしく 博人は大急ぎで作業を進めていた。 「うん、うん。そうなんだ。これをお母さんに見せれば良いの?分かった渡してくるね」 突然寝室から次男の貴仁(たかひと)の声が響いた。 寝室に人はいないはずだ・・・・。 「お母さん」 貴仁は洋子に駆け寄った 「貴仁、貴方今誰と喋っていたの?」 「お兄ちゃんだよ」 「お兄ちゃんって、お兄ちゃんはここにいるじゃない」 「博人兄ちゃんじゃないよ」 「えっ?」 「違うお兄ちゃん。これお母さんに渡して欲しいって言われたの」 「これは・・・」 貴仁は洋子にあるものを手渡した。 それは本来の大きさよりも遥かに小さくしたオモチャのピアノだった。 「貴仁・・・」 話を聞いていたのだろう。夫の一樹が貴仁の頭を撫で、そして抱きしめた。 「貴方・・・これは・・・」 洋子は手渡された小さなピアノを見ながら一樹に言った。 手に平サイズの小さなピアノにはどこか懐かしいものを感じる。 これは間違いなく洋子が買ったものだ。だが何時何処で?何のために?・・・ 「貴仁、そのお兄ちゃんは何て言ってた?」 夫は貴仁に聞いた。 洋子は記憶の扉がわずかに開かれつつある状態で2人のやり取りに耳を傾けた。 「お兄ちゃん僕はここにいるよって言ってた。だからこれ以上苦しまないでって言ってた」 「それは誰に対して言っていたのかな?お父さんか?それともお母さんかな?」 「お母さんだよ」 その言葉を聞いた瞬間、洋子の目から津波のような涙が溢れた・・・。 「拓也・・・・拓也だったのね・・・」 そして全てを思い出し、何故クリスマスシーズン中だけ人気を感じるのか その理由を悟った。 「お兄ちゃんね、いつもクリスマスになるとここに戻って来るんだよ。 だってお兄ちゃんの誕生日はクリスマスだもん。3年前、交通事故で僕は死んでしまったけど 今は博人兄ちゃんと僕が居るから拓也兄ちゃんは安心だって。 だけど、お母さんだけが未だに辛い思いをしているって。 拓也兄ちゃんの事を忘れようとしている。もう悲しまないでって言ってた」 「・・・・そうか・・・・」 夫の一樹も堪えられなかったのだろう。少しばかり言葉が濁った。 時を遡る事3年前。一樹と洋子の間には拓也(たくや)と言う長男が居た。 クリスマスに誕生した長男と言う事で、その嬉しさもより大きなものだった。 だが拓也が10歳を迎える年、学校からの帰り道に交通事故に合い、帰らぬ人となってしまったのだ。 まだ小さかった現在の長男、博人とまだ生まれていなかった貴仁。 洋子と一樹は深い悲しみを閉じ込め、今まで以上に幸せな家庭を築こうと努力してきた。 その甲斐あってすぐに貴仁が誕生し、洋子はようやく幸せを取り戻そうとしていた。 だが洋子の深層心理はそれを許さなかった。 自分でも気付かぬうちに心の扉を閉ざしていたのだろう。 だから毎年クリスマスに、つまり拓也の誕生日が近づくと 誰かに見られているような錯覚を覚えていたのだ。 洋子はそれを拓也だとは思わなかった。いや、思わないようにしていた。 しかし当の拓也自身は、自分である事に気付いて欲しかった。 自分の母親として、せめて誕生日だけでも自分の存在を思い出して欲しかったのだ。 だから肉体を失った拓也は、クリスマスになるといつも洋子を見ていたのだ。 「洋子・・・今日はクリスマス。拓也の誕生日だ。 拓也はもういないけど、家族である事に何ら変わりは無い。 盛大に祝ってやろうじゃないか。拓也のために」 「拓也・・・ごめんね・・・私は見ないフリをしていた・・・辛くて、悲しくて・・・ ごめんね・・・ごめんね・・・」 洋子の嗚咽が洩れる時 色鮮やかに飾られたテーブルの椅子には 満面の笑顔を浮かべた拓也が、嬉しそうにクリスマスケーキを眺めていた・・・ END |