第一章「精神崩壊の連鎖」




それは、有り触れた日常の中で音も無く始まった・・・・。



「ただいま」
「あら、お帰り。今日は早いのね」
「ああ。部活休んだからさ」
「具合でも悪いの?」
「そういうわけじゃないけど・・・・」
「そう」
「なんかダルいから部屋で休むよ」
「分かった。あまり無理しないようにね」

港区にある高校で今日の授業を終え
同じ港区にある自宅に帰った月島 純太(つきじま じゅんた)は
言いようの無い気だるさに包まれていた。
純太は心配している母親をよそに、早々と自室へ戻りドアを閉めた。
「真理子のヤツ、どういうつもりだよ」
誰にともなく呟くと、純太はカバンを放り投げ、そのままベッドに倒れこんだ。
真理子というのは純太の恋人。同い年で都内の女子高に通う高校3年生。
最近二人ともお互いの生活で忙しく、逢う時間が極端に減っていたのだが
それでも逢うたびに楽しかったし、何より真理子と一緒に時を過ごす幸福は
真理子が純太に取って初めての恋人だったという事も、その幸福に拍車を掛ける要因の一つだった。
付き合って二年が経つが、お互いに新鮮味は失われておらず
この先もずっと一緒に過ごして行くはずだった。

しかし、最近の真理子はどうも純太に冷たい。
こちらが逢う時間を作って電話をするのだが、反応がイマイチそっけないのである。
確かに二年も付き合っていればそれなりの「慣れ」は出てくるものだが
それにしても真理子の態度はどこか余所余所しい。
一体どうしたのかと尋ねてみると、当の真理子は口ごもりだんまりを決め込む始末。
何度問いただしても納得の行く返事をくれない真理子に
真理子と同じ高校に通う友人から、ただ事ではない噂を耳にした。
「どうも真理子には他に好きな男がいるらしい」
友人の言葉は、純太の心を掻き乱すのに十分なパワーを持っていた。
そんな噂を耳して何もせずにはいられない。
早速純太は彼女に電話を掛けた。しかし繋がるものの、何度掛けても真理子は出ない。
メールを送ってもまったくの無反応。
要するに「自然消滅」を真理子は狙っているという、言葉無き証拠であった。
この真理子の「言葉無き攻撃」は、純太の心に深い傷を付ける結果となった。
真理子と音信不通になって今日で四日目。
お互いの家を知っているわけだし、直接彼女の家に出向く事も可能だったが
それは躊躇われた。分かっている事でも、彼女の口から別れの言葉を告げられるのが怖かったのだ。
だからと言ってこのまま自然消滅というのも、何だか後味が悪い。
だが、実際に逢って話す勇気も無い。
この二重の苦痛が、純太の心を不安定なものにし、その不安定な精神が肉体までも蝕んでいた。
何を考えても真理子の事ばかり。考えるたびに精神が悲鳴を上げるようだった。

「もう嫌だ、こんなの・・・・」
枕に顔を埋めた純太の目には涙が溜まっていた。
そんな自分が恥ずかしくなったのか、純太は右手の甲で涙を拭き、鬱蒼とした気分を紛らわせるためにラジオを着けた。
「はい、こんにちは。今日もやって参りましたねぇ、太郎の悠々ラジオ、DJ太郎です。
今日もよろしくお願いします」
ラジオからは世界中の幸福を一身に背負ったような、明るい声でパーソナリティが喋りだした。
別にラジオのDJが皆幸福というわけではないが、不幸の片隅で体育座りをしている今の純太には
有り触れたラジオの声が、とても幸せそうに聞こえたのだ。

「はあ・・・・・どうしようか・・・」
純太はそのままの体制でしばし考え込んだ。外は良い天気で太陽の光が純太の部屋を明るく照らしている。
都会に住んでいるとは言え、家の中の空気は新鮮に感じられる。
それも、自宅のすぐ前に大きな公園があると言うことで、そう感じるのだろう。
それでも何を考えたって無駄である。まともな失恋を知らない純太の
初めての失恋は、どうやら自然消滅という呆気ない幕切れで終わりそうだ。
純太は大きく息を吸い込むと、そのまま浅い眠りに誘われ、身を任せた。


どれくらい時間が過ぎたであろうか。
純太は眠りの中で不快な感触を覚えた。
表現しがたい侵食のような感触。そう、例えるなら真っ白な紙に、黒い墨汁を垂らし
ジワジワと白い紙を汚染しているような感触。
全身の鳥肌が総毛立つ勢いの如く、表現しがたい不快感が体中を襲った。
やがて純太の頭の中で光が完全に消え、ドス黒い闇が身体を・・・いや、心を支配する。
(やめろ・・・なんだこれ・・・暗いのは嫌だ!く、来るな!?来るな!!!!)
「ああああああああ!?」
純太の心にあったわずか光が真っ黒に変化した瞬間
頭のどこかでネジの外れる手応えが心で響くと、純太は奇声を上げ、目を覚ました。
「やめろ!!来るなよ、来るんじゃねぇ!!嫌だ、暗いのは嫌だ!!!」
「純太!!純太どうしたの!?」
一階で純太の悲鳴を聞きつけた母親が部屋に押し入り、部屋中を暴れ回り、暴走する我が子を見て驚愕した。
純太の母親は何とか我が子の暴走を止めようと、必死でしがみ付くが
高校三年生という大人の端くれに位置する青年を抑えることは出来なかった。
「あああ!!ああああ!!!心が・・・・心が死ぬ!!!!」
「純太!純太!?」
「がああああああああ!!!!!」

純太の部屋に、断末魔にも似た悲鳴が響き渡った。



−−−同じ頃−−−

港区にある高校から友達の木下 桜(きのした さくら)と共に自宅に帰って来た
黒川 香澄(くろかわ かすみ)は、酷く憔悴し切った様子でこれまでの経緯を桜に話し始めていた。
「そんなに考え込まないで。香澄にはどうにも出来なかった事じゃない」
「そうだけどさ・・・結局何の力にもなれなかったんだよ、私」
「そうだけど、生きるか死ぬかなんて最終的には自分で決める事よ。
香澄が悪いわけじゃない。だって香澄はやれる事は全てやったわ。そんなに自分を責めないで」
香澄は桜の言葉に俯いてしまった。
数日前、香澄の友人が手首を切って自殺したのだ。
直接的な自殺の原因は、付き合っていた彼氏の裏切りであった。
その友人は自分の身体を弄ばれた挙句に妊娠。銀行口座を騙し取られ貯金を全て騙し取られた。
男は子供を産ませることなど頭に無く、妊娠の事実が発覚するとその行方を消した。
残された彼女は妊娠し、金を騙し取られる結果となった。
その事実に加え、彼女は元から精神的に不安定な女性で、たびたびリストカットを繰り返していたらしい。
散々弄ばれ、信じていた男に逃げられた衝撃は、彼女を自殺へと追い込むには十分すぎる理由であった。
彼女はその日の内に自宅で手首を切って自殺した。
香澄はそんな彼女の数少ない友人であった。
何度か逃げられた彼氏の話を聞かされ、一緒に涙を流し、笑い合った仲だったのだ。
その友人が自殺した事実を聞いたのは今日の朝だった。
朝学校に来る前にその事実を知った彼女は、もはや学校の授業は耳に入らず
早退する事も考えたくらいだった。
しかし、「彼女が自殺した」という実感は無く、結局親友の桜に支えられる形で学校を後にし
こうして自宅へ戻ったという経緯である。
帰宅途中、二人は自殺した彼女の実家を訪れた。そこには彼女の友人らしき人間がズラリと肩を並べており
彼女が死んだ事実を物語っているようだった。
香澄はそこでようやく彼女が死んだという実感を覚えたのだ。
一人になりたくなかった香澄は、桜に一緒にいてほしいと告げた。
すると桜は嫌な顔一つせず「良いよ」と笑顔で答えた。
桜には香澄の気持ちは良く分かる。仮に自分が香澄の立場であったら
やはり一人にはなりたくないだろう。
桜自身、その友人とは面識は無かったが、この憔悴し切った香澄を見ていれば、
どれだけ仲が良かったのかなど、手に取るように理解できた。
香澄は本来とても明るく、活発な子だ。
小学生の頃、酷いイジメにあっていたと言う苛烈な過去を持ち、時折「死にたくなる」という
周囲をビックリさせるような発言をするが、それでも根は優しい子だという事は
親友の桜には重々分かっている。
その香澄がここまで落胆するという事は、その事態があまりにも重過ぎるという証拠である。

「何で死んじゃったんだろう・・・・・」
香澄は声を殺し、鼻をすすりながら静かに泣き始めた。
そんな香澄をたまらない思いで見ていた桜は、そっと香澄の隣へ移動し
優しい手つきで香澄の頭を撫でた。
安心したのか、香澄は頭を桜の肩にそっと置く。しばらく時間が経つと泣き疲れたのか
女性らしい静かな寝息を立たせながら眠ってしまった。
桜も学校での疲れが表面に出たように、静かに目を閉じると、心地よい眠りの世界に誘われた。

「ううう・・・・もういや・・・・なんなの・・・あああ・・・あああああ!!!」

突然、耳を引き裂かん勢いで悲鳴が上がった。
桜はあまりも突然の出来事で、状況を把握するのに数秒掛かってしまった。
「香澄!?」
桜は目を見開くと、そこに頭を両手で押さえ、床でのた打ち回っている香澄が映った。
「うわあああ!なにこれ!暗い!真っ暗はいやああああああ!?」
「香澄!!香澄ってば!!どうしたの?どうしたのよ!!」
桜は必死の思いで香澄の動きを止めようとする。
しかし、のた打ち回る香澄の動きは不規則で、掴んでもすぐに振りほどかれてしまう。
「皆死ぬんだ・・・・あああ・・闇に殺される!?」
「香澄、しっかりして!?」
桜は香澄を落ち着かせようとしたが、もはや手に負えなかった。

「いやああああああああ!?」

それが香澄の悲鳴だったのか、それとも桜の悲鳴だったのか、もはや分からなかった。

日時は10月8日。時刻、15時ちょうど。

この日、東京都23区で純太や香澄と同じように、同日の同時刻に人間が次々と精神に異常きたす事件が発生。

その数は145人にも及んだ・・・・・・。



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