第二章「一寸先の闇」
ここ港区にある水上警察署では、昨日東京都23区内で発生した「連続精神異常事件」の対策が立てられていた。 精神異常を訴える人間が、特に港区に集中したため 水上警察署では捜査本部が設置され、警視庁から派遣されてきた選りすぐりの精鋭たちがひしめき合っていた。 「ええ、という事で今後の捜査方針は・・・・」 警視総監がそう言うと、200名余りの刑事たちが集まる部屋に、緊張が走り、会議が始まった。 1時間後、会議を終えた刑事たちはそれぞれが自分たちの持ち場へと戻って行った。 他の刑事たちを同じように会議に参加していた渡辺と輪島も 強い緊張から解放されたように腕を伸ばしながら自分たちのデスクに戻った。 2年前、東久留米市で起こった「女子高生強姦殺人事件」を見事解決に導いた渡辺と輪島は その功績が本庁に認められ、二人とも昇格を果たすと共に この港区にある水上警察署に配属された。 東村山警察署から「警部」だった渡辺は己の階級に変化は無かったが 当時「巡査」であった輪島は「巡査部長」へと華々しい昇格を手にした。 渡辺は水上警察署の最高責任者として、そして輪島は渡辺の下で数名の部下を率いて 昼夜凶悪な犯罪に立ち向かっている。 「それにして不可解な事件ですね。昨日、10月8日の15時ちょうど。 同日の同時刻に精神的に異常をきたす人間が続出するなんて。 しかも、病院に運ばれた人たちは、全員が東京都23区に住んでいる人たち。 それ以外の区域には何の影響も出ていないなんて・・・不気味ですね」 輪島は真剣な表情で渡辺に言った。 「都内の病院はパニック状態だ。テレビでも大きく報道されて 入院設備が追いつかないと言う情報も入って来ている。 それに、まだ事件性があると決ったわけでもない。 その証拠に犯人らしき人物も浮上して来ない」 「異常をきたした145名はいずれも高校生という事実も気になりますよね。 成人した人間が誰一人居ないと言うのは、どう言う事なんでしょう」 「さあな、何もかも分からん事だらけだ。 ただ、高校生しか異常をきたしていないとこを見ると 高校生だけを狙ったとも言う事が出来る。つまり事件性の色が濃厚というわけだ」 「その可能性は高いですね。それにしても警部、ミーティングは始めないんですか?」 「ああ、実は今回の事件の捜査に当たって、警視庁から派遣されてくるゲストがいる。 もうそろそろ来る頃だろう。お!来たな。霧島君!こっちだ」 渡辺はそう言うと、水上警察署に入ってきた人物に手を上げて居場所を告げた。 「遅くなりました」 「いやいや、わざわざすまないね」 「警部、彼女がそのゲストですか?」 「そうだ。皆聞いてくれ」 渡辺の声を合図に、一同は静まり返った。 「昨日起こった事件についてだが、先ほどの会議通り、警視庁との連結の元で 捜査を進めることになったわけだが、この水上警察署にも 本庁から派遣されてきた刑事がいる。紹介しよう、霧島 京子君(きりしま きょうこ)だ。 霧島君はまだ27歳と言う若さだが、シンガポールのCIAエージェントとして3年前から活躍している。 今回の捜査に当たり、警視庁から派遣されてきた仲間だ。歓迎してやってくれ」 「初めまして、霧島です」 渡辺に紹介された京子は、軽い自己紹介を済ますと、頭を深々と下げた。 とても刑事とは思えないほどの美貌を持ち、背丈も非常に高い。 おそらく170は超えているだろう。長身に肩まで伸びたブラウンのセミロングが全身を清楚に見せている。 目元には眼鏡をかけており、そのせいか頭の良さそうな雰囲気が漂っている。 いかにも仕事が出来そうな、気の強ささえ感じるほどだった。 「それでは、今回の事件と捜査を説明しよう」 「警部、私のほうから説明しても宜しいでしょうか?」 京子は渡辺の言葉を遮り、尋ねた。 「ああ、勿論だとも。早速頼むよ」 「分かりました。それでは、昨日起こった事件の詳細をご説明します」 京子はそこで言葉を切ると、手に持っていた書類を見ながら事件の詳細を語り始めた。 皆一様に京子の言葉に集中している。 「昨日の15時ごろ、東京都23区内で精神に異常をきたした人間が続出するという事件が起こりました。 確認が取れているだけでも、今現在145名の高校生が都内の病院へ運ばれています。 病院へ運ばれた145名はいずれも高校生。成人した人間が誰一人いないと言うのは非常に特徴的です。 また事件発生当時、145名は全員自宅におり、同じ家に住む家族からそのアリバイの裏が既に取れています。 精神に異常きたした人間が続出したのはあくまで23区以内。それ以外の地域では何の影響も出てません。 運ばれた145名には完璧なアリバイがある上に、共通点が何一つ無く、ほとんど全員面識がありません。 そのため共通の知人による犯行の線は極めて薄いと思います。 通っている高校もほとんど全員がバラバラで、所在地もまったく異なります。 精神に異常をきたした人間が、全員高校生であることから、事件性が強いと見てまず間違いないでしょう。 警視庁も今回の事件いついてはほとんど有力な情報を得ることが出来ず 捜査は既に暗礁に乗り上げています。今後は皆さん全員が常に連結し、絶えず情報交換に務める事を 捜査の最重要課題とします。以上です」 「ありがとう、霧島君。そういうわけだ。知っての通り、事件性が強く、捜査は既に難航している。 付近の住民への聞き込みを中心に、まずは情報を集める事から始めようと思う。 3人一組となり、常に連絡を絶やさない事。それでは、各自捜査に向かってくれ」 渡辺がそう言うと、他の刑事たちは無言で頷き、それぞれが捜査に向かった。 時刻は11時を少し過ぎた。今回、警視庁から派遣されてきた京子と共に 捜査を開始する渡辺と輪島は、署内にある会議室で今後の話し合いを行っていた。 「しかし一体どう言う事なんでしょうか。145名が一度に精神に異常をきたすなんて」 既に捜査が行き詰っている事に若干お手上げな輪島が言った。 「考えられる一番有力なのは、ウイルスです」 「病原体・・・ですか」 先ほどから真剣な表情が崩れない京子の発想に、少々怯えた輪島が控えめに言った。 歳は輪島の方が上であるが、刑事としての階級は京子の方が圧倒的に上だ。 巡査部長という階級は、京子のCIAエージェントと言う階級に比べると 天と地ほどの差があるのだ。巡査部長はそれなりの経験と刑事としての勘が強ければなれるが 海外の、しかもシンガポールと言う巨大な組織のエージェントともなれば 大学で言えば「早稲田クラス」「東大クラス」の超エリートである。 「単に病原体のウイルスだけとは限りませんけどね」 「コンピュータウイルスか」 「その通りです。最近ではサブリミナルなどの人体に悪影響を与える映像が ネット上に広まりつつあります。そのため、単なる病原体のウイルスとは言い切れません」 「空気感染とは考えられんか?何かのウイルスが空気に乗って人間に感染した」 「空気感染であるのなら、異常者が高校生だけと言う事実の裏が取れません。 それに空気感染の場合、23区だけに空気感染するとは考え難いです。 空気は風によって流され、他の地域にも飛んで行くはず。ですが、それがない。 それに空気が原因だとすると、高校生よりもむしろ身体の弱い高齢者や幼児などが 感染するはずです」 「そう考えるとますますインターネットのウイルスが色濃くなりますね」 輪島は京子と渡辺を交互に見ながら言った。 「勿論、まだ断言は出来ん。異常をきたした145名がインターネットに関わっていたか そして、人体に悪影響を及ぼすサイトや映像を見たかどうかを確認するのが先だな」 「早速調べに行きましょう」 「そうだな」 そう言うと3人は警察署を後にし、入院にした145名の家族の元へ向かった。 一番最初に訪れたのは港区の高校に通う月島純太の実家だった。 月島家は閑静な住宅街にある一軒家。 入院した純太と、両親、そして妹の4人家族である。 「とすると、純太君はこの部屋で苦しみ始めたわけですね?」 「はい、突然の事で驚きました。突然この部屋から悲鳴が聞こえて・・・ 部屋に入るとあの子が・・・・純太がのたうち回っていました」 渡辺の問いかけに、純太の母親は時折声を詰まらせながら話した。 輪島と京子は純太の部屋を見渡した。やはり思ったとおり、机の上にはパソコンが置かれている。 「失礼だとは存じますが、少し部屋を調べさせていただいても宜しいでしょうか?」 「はい、散らかってますけど。どうぞ」 「ありがとうございます」 渡辺は母親の緊張感を取ろうと、終始笑顔で務めた。 「ここに置かれているパソコンなんですが、開いてみても良いでしょうか?」 パソコンの前で電源を付けようとしていた京子が母親に聞いた。 「はい」 母親の言葉と同時に京子はパソコンを起動させた。 渡辺と輪島はパソコンを京子に任せ、設置された家具の状態や、空気の変化などを探った。 「事件当時、窓は開いてましたか?」 外からの空気がどのように出入りするか、試しに窓を開けてみた輪島が聞いた。 「いえ、10月になって多少なりとも寒くなってきたので、閉じていたと思いますが」 「そうですか」 「あのう、着かぬ事お伺いしますが、事件当時の純太君の様子はいかがでした? 何か思い悩んでいるとか、体調が悪いとかありませんかね?」 渡辺は母親を刺激しないよう、穏やかに尋ねた。 「帰ってきてすぐに部屋に戻ってしまったのですが、ちょっと調子が悪いとは言ってました。 でも、高校では水泳部に入っていて、いつも部活を終えて帰ってくると 疲れている感じでしたからね。あまり気にも留めていなかったんですが・・・・」 「なるほど。つまり日常生活においては部活をしており 常に疲れている状態ではあったわけですね?」 「そうですね。部活の影響は大きいと思います」 「そうですか、分かりました」 そう言うと渡辺は再度部屋の様子を見渡した。どう見てもおかしな場所は見当たらない。 どこをどう見てもごく普通の部屋である。 窓が割られた形跡も無ければ、侵入者が入った形跡もない。 おまけに空気感染によるウイルスの線はほとんどないため 喚起の位置や、空気現象の変化によるものではない。 渡辺は念のため、純太の部屋に置いてあるものを全て持っていた手帳に書き入れた。 ベッド、机、椅子、本棚、ラジカセ、クローゼットと、確認できる全ての詳細を加えた。 「どうだ、何か分かったか?」 渡辺は先ほどからネットをいじっている京子に声を掛けた。 「駄目ですね。お気に入りや訪れたサイトの履歴、そしてメールなど調べたのですが 有害サイトへ繋がる物は一切ありません」 「そうか・・・・」 結局、特に有力な情報を得られぬまま署に戻った渡辺たちに 情報を得られなかった無力さに輪を掛けるような情報が待っていた。 東京都23区にある格警察署からの情報によると、入院した145人の高校生のうち 98人は自宅にパソコンを主有しており、インターネットの環境が存在していた事が判明した。 だが、残りの47人についてはパソコンを所有していなかったのだ。 自宅だけではなく、ネットカフェや漫画喫茶で利用した可能性があるとの見方もされ それについての捜査も行われたが、ネットカフェや漫画喫茶からでは有害サイトへのアクセスは 制限されているため、いずれの線も消えてしまった。 つまり、ここにきて有力であったインターネットを利用した犯行説は否定されたという事になる。 更に、現場検証からウイルスなどの病原体による「感染説」も正式に否定された。 これで今現在考えられる全ての可能性が、真正面から消え失せた事になる。 「一体どうなっているんだ・・・・」 時刻は21時を回った。現場の捜査を終え、署内の会議がたった今終了した渡辺は 自分のデスクに両肘をつき、深い溜息を付いた。 「偶然と言う線は考えられないでしょうか?ここまで全ての要因を否定されると そう考えざるを得ないのでは・・・・・」 「いえ、偶然という事はまずあり得ません」 輪島の発言を遮るように京子が言った。 「同日の同時刻、それも高校生だけが精神に異常をきたすなんて通常考えられません。 仮に精神に何らかの異常が確認されても、145人もの人間が同時に異常に見舞われるなあり得ません」 「確かに、そうですよね〜。偶然にしては出来過ぎている」 「何らかの意図があるはず。そしてその背景には間違いなく人間の存在があるはずです」 「警部、どうしました?そんな難しい顔をして」 輪島は先ほどから一点を見つめている渡辺に問いかけた。 「ん?ああ、ちょっと気になるんだ」 「何がです?」 興味を持ったのか、京子が即答で返す。 「月島純太は、事件があった当日疲れている様子であった事を母親が確認している。そうだったな?」 「はい、母親の証言はそうなっていますが」 「部活が理由で疲れているということも十分考えられる。 だが、その疲れが精神に何らかの危険信号を送っていたとは考えられんか?」 「確かに、人間と言うものは肉体が疲労していると、まともな思考能力が働かなくなったりします。 それが原因で精神的に弱くなるケースはありますね。鬱病患者なんかその典型的な例です。 身も心も健康であるためには、心身ともに万全でないと健康とは言えませんからね」 「だろう?事件当日に被害者が疲れていたという部分が、どうも引っ掛かる」 「でも、疲れているのは事件当日だけだったとは言い切れませんよね? 例えば悩みとか抱えていれば常にそれが頭にあって、精神的に疲れるという事も考えられますし」 輪島が二人の中に割って入った。 「そうか。確かにそうだ。高校生といえば血気盛んな時期だ。恋愛とか人間関係で 悩みの一つや二つあってもおかしくはない。もし、万が一入院した145名全員が 精神に悪影響が及ぼすほど重度の悩みを抱えていたとしたら・・・・・」 渡辺は初めて145人が共通しそうな接点を見出した。 「もし、警部の言ったように145名からその事実が証明されれば共通点になりますね。 勿論、だからと言って犯人には繋がりませんが、それでも共通点があれば 犯人の割り出しに大きく前進します」 「よし!そうと決れば明日にでも調べに行こう。輪島、藤崎さんに電話してくれ」 「早速取り合ってみます」 そう言うと輪島は受話器を取り、藤崎の携帯に電話を掛けた。 「お知り合いの方ですか?」 聞きなれない藤崎と言う名前に京子が首をかしげて聞いた。 「ああ、藤崎さんは元警察医でね。昔一緒に仕事をしていた仲で、今は清瀬にある大手の病院に 精神科として勤務しているんだ。彼ならきっと力になってくれるだろう。 現に藤崎さんの病院にも、数名の高校生が搬送されているからな」 「警部、アポ取れました。明日の13時ごろなら空いているそうです」 「分かった。早速明日行ってみよう」 時刻は22時を回った。渡辺は窓の外を見ながら 自分たちの安息は当分訪れないであろう事を静かに悟った・・・・。 |