第五章「嵐の前の静けさ」
水上警察署で部下の輪島と別行動をする事になった渡辺と京子は 事件発生当時、入院した黒川香澄と一緒にいた木下桜と逢うため 木下桜の自宅がある中野区へと急いだ。 今日で事件が発生して3日が経過した。刑事にとって3日という期間は非常に長く それなりの収穫が得られる時期であるにも関わらず、依然として事件の情報は限りなくゼロに近かった。 昨日の捜査を終え、一旦本庁へ戻った京子は、本庁でさえ事件の情報を掴み取れておらず 何の進展も無かった事を目の当たりにしている。 天下の警視庁がここまで翻弄されるのも珍しい。 本庁は科学的な面も視野に入れているらしく、専門分野であるプロファイリングの導入を許可した。 そのため、本庁でも選りすぐりの頭脳チームが結成され、事件解決へと鬼のように動き回っているが それでも新たな進展を迎えることは無かった。 今回の事件に関して、本庁は事実上「お手上げ」の状況であった。 現場検証、そして京子が唱えた「ウイルスによる空気感染」など 科学的分野に四方八方からメスを入れてみたものの、掴んでいる犯人へと繋がる得る物的証拠や 理に叶った理論があまりにも少ないため、犯人どころか犯人像さえ見えて来ない。 解明すべき点は山のようにあるが、入ってくる情報はどれも明確なものではなく 「事件の進展なし」という言葉を何度繰り返し聞いたか分からないほどだ。 しかし、本庁も「日本最大級の警察」というメンツがある。 これまで数々の難事件解決してきたプライドと 「悪事は絶たれる」と言う強固な信念がある。 その誇りに掛けて解決しないわけには行かなかった。 本庁は格所轄に警視庁から派遣された人員との連絡を絶えず行い、早期解決の威信を強める体制を取った。 それでも現場刑事からすれば「捜査の基本は足」と言う、聞き込み中心の捜査を続ける以外に他無く 昼夜動き回っていると言う状況がずっと続いていた。 「俺の思い過ごしかも知れんが・・・・」 車を運転する渡辺が前を向いたまま京子に言った。 「お前さんどうもこの事件にこだわっているように見えるんだが」 「私ですか?当然でしょう。これでも刑事ですから」 「いや、そうじゃなくてな。そんなに犯人が憎いかね?」 「・・・・・・」 京子は不自然な場所で黙ってしまった。それが返って渡辺の不審を煽ったようで 「すまないと思っていたが、お前さんの事いろいろと調べさせてもらったよ。 藤川 郁子(ふじかわ いくこ)17歳。渋谷区に住む女子高生。 今回の事件で精神的に異常をきたし入院。彼女、お前さんの従姉妹だそうだな」 「あまり良い趣味とは言えませんね。レディの詳細を調べるなんて」 京子は皮肉たっぷりにそう言った。 「まあそう言いなさんな。お前さんの行動や発言を聞いてて、妙に熱くなっているなと思っていたんだ。 だが、事情を知って理解できた。気の毒だったな。心中察するよ」 渡辺はそれなりに気を使って、穏やかな口調で言った。 「あの子は・・・・・」 すると京子は静かに語り始めた。 「郁子は元々気の弱い性格で、小学生の頃に酷いイジメにあっていたんです。 私がそれを知ったのは、彼女が中学に上がってからでした。 それ以来イジメは無くなったと言っていたけれど、高校に入学しても相手に対する距離の置き方が苦手で なかなか気を許せる友人が出来なかったんです。 以前からいろいろと相談を受けたりしていたんですが まさかこんな事になるなんて・・・・・」 京子は俯いたまま力なくそう言った。 「私がもっと真剣に彼女と向き合っていれば、こうはならなかったかも知れない」 「自分を責めてどうなる。何の解決にもなりゃせん。 誰もこんな状況になるなんて想像も出来なかったんだ。そう悲観的になるなよ」 「勿論分かっています。でも、でも私は犯人が憎い。 犯人がもし、悩みを持っている学生を狙ったのだとすれば尚更許せない。 弱みに付け込んで狂わすなんて、とても許される行為ではありません」 「確かにそうだ。だけどな、悩みとか問題ってのは結局自分で決断するしかないんだ。 お前さんの従姉妹はきっとお前さんが話を聞いてくれた事に感謝していると思うぞ。 俺もそうだった」 「警部も・・・・ですか?」 「ああ、そうは見えないだろうが、俺も小学生の頃イジメられていたんだ」 「ホントですか?今じゃとても信じられませんね」 よほど驚いたのだろう。京子は目を見開きながら言った。 「そう言うと思ったよ。でも事実だ。ウチは生活が貧しくてな。 当時は今と違って生活が豊かじゃなかった。俺の周りはそれなりの生活をしていたんだが ウチの親父は俺がまだ幼い頃に事故で死んじまって、母親しかいなかったんだ。 だから生活がギリギリでね。綺麗な服とか持ってなかったから それが原因でイジメられていたもんさ。今じゃ笑い話だがね」 「警部・・・・」 渡辺は己の過去をさして嫌がってもいない様子で陽気な口調で語った。 「だから何となく分かるんだよ。最近の若い連中は皆デジタル化しちまって 軟弱な連中が多いが、問題や悩みを抱えるという点は 今も昔も変わらない。辛いだろうよ、きっと。 だからそんな中でお前さんが話を聞いてくれた事は、従姉妹さんはきっと感謝してるさ」 どことなく京子は今は亡き自分の父親が渡辺とダブって見えた。 きっとあの父も生きていたら渡辺と同じような事を言うような気がしたのだ。 そんな取り止めもない話をしているうちに、二人は木下桜の自宅へ到着した。 日時が日曜日と言う事もあり、木下桜は自宅にいた。 渡辺と京子は木下桜の母親に事情を説明し、桜と話をしたいとの意志を伝えた。 母親は「事件解決のためなら」と前向きな姿勢を見せ、自宅の2階にいる桜の元へ向かった。 母親の話を聞いた桜は、神妙な面持ちで渡辺と京子の前にその姿を現した。 その表情は高く、かなり警戒しているのが伺えた。 しかし、そこに同じ同姓である京子の姿があった事で 多少の警戒は取れたようで、渡辺と京子は木下家にお邪魔して話しをする事になった。 リビングに通される際、渡辺は質問や受け答えを京子に任せると告げた。 こういう場合、同じ同姓である人間が接した方が話がスムーズに進む事を 渡辺は長年の経験から知っていた。 まして相手は自分たちに強い警戒心を持っている。 そう言った状況では、渡辺のように「経験豊富」よりも 「同姓同士の語らい」の方が、真相を話してくれる可能性が極めて強いのだ。 「桜さんにとっては辛い出来事だったと思うのだけど 事件当時、黒川さんの家でどんな状況だったか話してくれるかな?」 「はい・・・・」 それでもまだ若干の緊張が残る桜は、しばらく間を置いてから話し出した。 「あの日は香澄が一人になりたくないと言い出して、私も彼女の家に行く事になったんです。 ちょっと前に香澄の友達が自殺してしまって、香澄はそれが原因でいろいろと悩んでいたんです。 結局自分は力になれなかったとか・・・・・無力だなとか・・・。 多分それで精神的にも疲れていたと思うんです。一人になるのが嫌だからウチで遊ばない?と言われて・・・。 それで彼女の家に行ったんです」 そこまで喋ると、桜は言葉を切った。 「なるほどね。香澄さんは自殺した友達の事を気の毒に思っていたのね」 「はい、普段香澄は活発で元気なんですけど、あそこまで落ち込んでいたから 相当ショックだったんだと思います」 この時点でやはり被害者が何かしらの悩みや問題を抱えていたと言う事実に、また一つ信憑性が出てきた。 昨日訪問した月島純太も同じように精神的に何らかの影響があったという確認が取れている。 そしてここに来てまたもや同じような結果が出た。 後々調べていけば分かる事だが、おそらく被害者全員が何らかの悩みや問題を抱えていた事は事実であろう。 「事件発生当時、桜さんは香澄さんの部屋にいたんですよね?」 「はい、いました」 「大変申し上げ難いのですが、香澄さんが苦しみ始める際、何か変わった事はありませんでしたか? 例えば何か異臭がしたとか、香澄さんの身体の様子に変化があったとか」 「いいえ、特に何もありません。あの時、香澄は泣くだけ泣くと疲れてしまったみたいで 私と一緒に寄添うような形で居眠りをしたんです。しばらくすると香澄の・・・・ その・・・・香澄がいきなり・・・・苦しみ出して・・・もう何がなんだか・・・・」 きっと当時の様子がまだ鮮明に記憶されているだろう。 桜は時折言葉を詰まらせ、涙ながらに話してくれた。 「ごめんなさい・・・・」 「良いのよ、気にしないで。仕方ないわ。怖い思いをしたんだから」 自分が泣き出したことを詫びた桜に、京子はまったく動じず穏やかな口調で言った。 それに気付いた桜の母親は、静かに右手で桜の頭を撫で、優しい言葉を掛けてくれた京子に軽く会釈をした。 「辛い事を思い出させてごめんなさい。貴方の友達を苦しめた犯人は必ず捕まえるから。 もし、何か思い出したことがあったら、すぐに連絡をください」 帰り際、玄関まで送りにきた桜に、京子は自分の名詞を渡した。 桜はぎこちない笑顔を作り、京子の名詞を受け取った。 「それじゃ、我々はこれで失礼します。ご協力ありがとうございました」 「いえいえ。何も力になれませんですみません」 京子と渡辺は深々と頭を下げ、木下家を後にした。 「結局有力な情報は入らず仕舞いか」 帰りの車の中で渡辺が切り出した。 「ええ。もう少し話を聞いても良かったんですが、彼女の心情を考えると あまりにも残酷だと思い、切り上げたんですが・・・・」 「いやいや、まったくその通りだと思うよ。さすがだね、やはりこの手の話は 同姓同士の方が分かり合える。あれが俺だったらこうは行かなかったぞ」 「お褒めいただいて嬉しいですが、良く考えてみると彼女も被害者ですね」 「そうだな。友達が目の前であんな事になっちまったんだ。その心境は察するに余りある。 間接的とは言え彼女も被害者であるに違いない」 「署に戻りますか?」 「いや、念のため黒川香澄の家に行ってみようと思うんだ。 まあおそらく空振りで終わると思うが、一応見ておきたい」 そう言うと。渡辺は黒川香澄の家へ車を急がせた。 被害者の一人、黒川香澄の自宅を訪れた渡辺と京子は 香澄の母親に詳しい状況を説明してもらった。 本当なら被害者自身と話が出来れば幸いなのだが、当の被害者、香澄は入院しており とても話が出来る状態ではなかった。 香澄の母親の話に寄れば、月島純太のケースとほとんど同じであった。 特に目に見えて分かる変化は無く、友人である木下桜と共に自宅へ帰って来たという。 数時間が過ぎた頃、二階で娘の悲鳴が響き、驚いて上がってみると 友人の桜が介抱しながらも、娘の香澄はのた打ち回っていたと言う事であった。 香澄の部屋についても、特に大きな問題は無かった。 とは言え渡辺は一応の念を込めて、持っていた監察用のカメラで香澄の部屋を撮影した。 月島純太の自宅でも同じ事をしている渡辺には、香澄の部屋はどこにでもあるような 高校生の部屋に思えてならなかった。月島純太の部屋と似たような物が置いてある。 被害者の部屋を撮影すると言う捜査方針は、他の刑事たちにも告げられており 被害者の自宅に訪問した際、必ず撮影する事が義務付けられていた。 黒川香澄の自宅を出た頃には、既に太陽は沈み 辺りは薄闇に包まれ始めていた。時刻は17時56分。 ここまで捜査に進展がないと、溜息の一つも着きたくなるものだ。 渡辺は大きな溜息を着き、車に乗り込んだ。 さすがの京子も落胆している様子で、時間が経つにつれその表情には疲れが浮かび始めていた。 「とりあえず署に戻ろう。輪島が何か掴んでいるかもしれない」 そう言って車のエンジンを着けた時だった。 渡辺の着ていたジャケットの中で、携帯電話の着信音が響き渡った。 車をそのままにし、渡辺は携帯を取り出すと、慣れた手つきで通話ボタンを押した。 「警部!?」 「おお、輪島か。どうしたんだ?」 「警部、大変です!?今どこですか!?」 輪島の声は明らかに様子がおかしかった。酷く焦っているようである。 「これから署に戻ろうと思っていたところだ。何かあったのか?」 「何かあったなんてもんじゃないですよ!?たった今犯人らしき人物から 犯行声明文が録音されたカセットテープが署に届いたんです!?」 「な、なんだとっ!?」 事態をかぎ付けた助手席に座る京子は、反射的に渡辺の携帯へと耳を近づけた。 「一体どこから送られてきたんだ!?」 「それが分からないんです。切手も貼られてなくて。 多分犯人が直接署のポストに投函したんだと思います。今詳しく調べてますが 指紋やその他犯人に繋がる手掛かりはなく、付近を重点的に調べています」 「分かった。すぐに戻る」 渡辺は電話を切ると、大急ぎで車を水上署へと向かわせた。 「犯人からの犯行声明文ですか」 「ああ、詳しくは分からんがどうやらそのようだ」 「やはり睨んだとおり犯人がいた。だけど一体どうやって・・・・」 「こっちが聞きたいね。クソッ!なんだか嫌な予感がするぞ!?」 渡辺の脳裏に浮かんだ「嫌な予感」 その予感はその後、世間を震撼させる事件へと進展する事になる・・・・。 |