第七章「蜘蛛の糸」
渡辺と京子が藤崎の勤務する東京病院に到着したときは 既に時刻は9時を過ぎていた。もはやのんびりしている暇などない。 犯人の声明文が正しければ、第2の連鎖では死者が出ると言う予告が付いていた。 第1の連鎖ではあくまで異常だけだったが、次の連鎖では死者、それも自殺者である。 放っておけば被害者が更に増える事は、もはや火を見るより明らかであった。 おそらくこの連鎖は第3、第4と続くであろう。 警察が犯人を抑えられない事を良いことに、きっと好き放題やらかし 日本中を恐怖に陥れる事はまず間違いない。 絶対に阻止せねば。何の罪もない民間人のためにも そして、馬鹿なことを繰り返す犯人のためにも・・・・。 「お待たせしました」 藤崎の病室に案内された渡辺と京子は、姿を現した藤崎の前に立ち上がり軽く頭を下げた。 「早速ですが、どうですか?」 「ええ。あの後、ここに収容された事件に関わった被害者の方々を全員調べてみました。 体調の変化から脳波の変化まで、実に隅々まで調べたんですが、興味深い事が分かりました」 「と言いますと?」 「診断した被害者全員の脳波。特に聴覚を司る脳の神経に若干ですが乱れが確認されたんです」 「神経の乱れですか」 「ええ。いわゆる不快な音。あるいは電磁波による神経の圧迫ですね」 藤崎の発言に、新たな局面を迎えようとしていた。 「つまり音や電磁波が被害者に関わっていると言う事ですか?」 「そうなりますね。何らかの形で事件当時、脳の神経を圧迫するような音、あるいは電磁波が 耳から入って、それが脳内にちょっとした影響を与えていたと考えられます」 「警部、被害者は全員高校生です。電磁波と言えば、最近携帯電話の電磁波が問題になってますよね。 人体に悪影響が出る電磁波」 「ああ、俺も知っている。まさかな・・・・・」 京子の方は見ずに、渡辺が呻いた。 「確かに近代化する現代において、携帯電話が発する電磁波の強さは年々増しています。 被害者が全員高校生、一番携帯電話に興味を持つ世代である事を考慮すると その線は濃いかも知れませんね」 藤崎が更に付け加える。 「しかしですね、仮に携帯電話の電磁波が原因で脳波に異常が出たとしても 携帯電話の電磁波だけで、こうまで影響が出るとは思えませんね」 「前回来た時に話してくださった。悩みなどのストレスだけでは異常をきたすのは不可能と言う説と 同じ線だと言う事ですね」 「そうですね。抱えていた悩み、そして今回明らかになった電磁波が万が一原因だったとしても それを同日の同時刻に145名が爆発したと言うのは、まだちょっと無理があるのではないかと・・・」 藤崎は若干遠慮がちにそう言った。 しかし、藤崎の見解は正しいものであった。 確かにそうである。悩みを抱えており、仮に携帯電話の電磁波が原因だったとしても それを同日の同時刻にどのような手段で爆発させると言うのだ。 これがまったくの偶然であるならまだ分かる。 しかし、今回は犯人がいるのだ。 しかも犯人は犯行声明文の中で「今回は高校生だけとは限らない」と言っていたではないか。 これは「無差別ではない」と言う証拠であり、同時に「自分が手を下す」という明確な意思表現である。 という事は、つまり一斉に異常をきたす手段を持ち合わせていると言う事だ。 その手段が、悩みやストレス、携帯電話の電磁波のみと言うのは、真実味に欠ける。 どう考えても決定的な点が明確ではない。 掘り下げて考えれば、まだ何か直接的な原因があると言う事。 それは今回のように科学的な面かもしれないし、そうではない、他の何かかもしれない。 いずれにしても、現段階で「異常の原因がストレスと携帯電話による電磁波」と豪語するには かなり力不足であった。 「渡辺さん、犯人は何と言っていたんです?」 「ええ、実は・・・・・」 渡辺は犯人から送られて来た犯行声明文の内容を簡単に説明した。 「狂っているとしか言いようがありませんね」 「まったくです。ヤツはまるで遊んでいるようだ。人間の命を弄んでいるようにも思えますよ」 「残り5時間・・・・」 京子が腕時計を見て呟いた。 「先生、先生の目から見てどう思いますか?悩みなどのストレスと電磁波以外に 何か思いつくことはありませんか」 「聴覚を司る脳の神経に異常が見つかった以上、耳から入るものであることは確かです。 ですが、それだけでは犯行は不可能と来ている。何か別のものがあるんでしょうけど 何かあるだろうか・・・・・」 藤崎は両手を組んで考え込んだ。 時間は刻一刻と迫って来ている。 犯人は警察をあざ笑うようにゲームを仕掛けてきていると言うのに 当の警察はまだ明確な証拠や、犯人へと繋がる物的は何一つ掴んでいない。 掴んでいるものと言えばあくまで「推測」であって、「事実」ではないのだ。 こんなあやふやなままでは、事件解決どころか、下手をすれば犯人の思うがままになってしまう。 とは言え、推測以上のものはなく、焦りだけが募る。 藤崎の下を訪れたは良いが、次に何をして良いのかさえも分からないのだ。 犯行声明文が録音されたテープが署に届けられ、付近の聞き込みや、張り込みなどは 既に他の刑事たちが当たっている。だが情報は何一つ入って来ていない。 唯一の手掛かりであるテープも、科学班の解析の結果は 「余計な音が入っていないため、解析不能」という無残な結果に終わっていた。 もはやこれ以上どうしろと言うのであろう。 何をどう動けば良いのかそれさえも分からない状況だった。 しかし、ここで渡辺は署で輪島がリストアップした被害者たちの学校名、及び所在地。 そして被害者全員の部屋を撮影した写真に対する違和感を思い出した。 藤崎によって科学的な面が事件に関わっているのは事実であろう。 だが、渡辺はあくまで「現場刑事」であって、科学者ではない。 その科学的な面においても、何一つ明確な真実は導かれていないが 現場刑事である渡辺が目にした、あの写真。それに伴う学校の所在地と地図。 あれを見て感じた違和感だけは事実である。 刑事と言う仕事を長く続けていると、現場刑事特有の「勘」と言うものが身に付いて来る。 例えそれが小さな事でも、そこにわずかな悪が潜んでいると、自然とそれが分かってしまう感があるのだ。 ごく普通の人間が、相手の顔色を見て「今日は機嫌が悪そうだな」と 相手の心理を読むのとまったく同じ原理である。 あの時感じたあの違和感は一体なんだったのだろう・・・・。 「警部、一度署に戻りましょう。輪島さんが何か掴んでいるかも知れません」 しばらく考え込んでいた渡辺に京子が言った。 「ああ、そうだな」 渡辺は我に返ったように、そう答えた。 「何も力になれず、申し訳ないです」 「いえいえ、何をおっしゃいますか。被害者の脳に異常が見つかり それが音や電磁波によるものだと言う事が分かっただけでも、一歩前進です。 お忙しいところをわざわざありがとうございました」 渡辺と京子は藤崎にそう告げると、水上署に車を急がせた。 一方、渡辺に「過去に東京都23区内で何か警察に恨みを持つような事件」を探せと命じられた輪島は 数名の部下を率いて、ずっと署内の資料室に閉じ篭りきりであった。 参考資料を次から次へと読破していく作業は、まさに至難の業である。 過去の事件を振り返るだけでも数千近くの事件があるというのに そこへ警察に恨みを持つようなという理由が着けば、容易に見つけることが出来ない事は明白であった。 おまけに警察に恨みを抱いているような人間が関わっている事件は 思いのほか多く存在したのだ。 いつの時代も警察と言うのは嫌われる存在であるが、その数がこうまで多いと、心境は複雑であった。 「警察の捜査不足表沙汰!妹を救ってもらえなかった兄の怒り!?」 「住民大激怒!警察の不祥事相次ぐ」 同じ警察官として思わず目を背けたくなるような記事が新聞となって輪島を襲った。 事件沙汰もあれば事故なども多く存在する。 例えば交通事故の場合、被害者の遺族たちの訴えを、警察が軽率に見ており 損害賠償の額を低くせざるを得なかったケースや 加害者に下された裁判の結果に不満を抱く声など、実に様々である。 それは交通事故だけに関わらず、地震や火事、空き巣やひったくりなどでも同じ事が言える。 皆何かしら警察へ不満を抱いているのが分かる。 勿論、それを伝える新聞記者や、雑誌の編集者によるメディアの伝え方にも大きな問題はあるが 根元にある警察への不信感と言うのは年々増加を辿る一方であった。 一通り警察を恨んでいそうな事件をリストアップした輪島は 今度はその中から更に明確な事件を絞っていく作業に移った。 ある程度の数に絞られれば、その範囲は狭まる。 そうなれば事件解決へと大きな貢献を果たせる可能性が高い。 「ん?なんだこれは」 輪島は半年前にこの港区で起こった事件が載っている新聞に目が止まった。 それほど大きな記事ではないが、輪島もこの事件は記憶していた。 新聞にはこう書かれていた。 「一家心中!?ただ一人生き残った長男、行方不明か?」 4月23日、午後4時ごろ、東京都港区にある園田直樹(そのだ なおき)さん宅で 家族が一家心中をしていた事が明らかになった。 第一発見者は園田さんの親戚、高橋文子さんで 園田さんの家を尋ねた際、応答がなく、不審に思った高橋さんがドアを回すと鍵が掛かっておらず 部屋の中で死んでいる園田さん一家を発見した。 警察の詳しい調べでは、園田さん一家の長男、園田健一(そのだ けんいち)さん28歳の姿がなく 家の留守番電話に一家心中をしようとしている園田さんを制止しようとする健一さんの音声記録が残っていた。 その後の調べと通話記録から、一家心中を図った健一さんの父、直樹さんが 自殺を図る直前、一家心中をする事を知らされてなかった長男に電話をした記録が残っていた。 通報を受けて警察が現場に駆けつけると、そこには力なく項垂れていた健一さんの姿があったという。 しかし、警察が現場検証で目を離した隙に、健一さんはその場を立ち去っており その後行方が分からなくなっていると言う。 園田さん一家が心中する直前、男の声で「助けてくれ、家族が自殺しようとしているんだ」と言う 電話が入っていたことが明らかになり、警察にその真意が追求された。 警察の話しによれば、電話が入ってきたことは事実だったが 相手が明確な名前や住所、現在地などを話さず、声が激しく乱れていたために 単なるいたずらだろうと判断。通話はそこで切ったと発表。 その発表に対し、マスコミが大きく批判の声を上げた。 「警察の対処に問題があった」「もっと真剣に受け止めるべきだった」と言う声が相次いだ。 この事件は担当区域が同じ港区であったため、輪島も記憶に新しかった。 ただ、事件の舞台となった場所は、この水上警察署の管轄外で 言ってみれば「無関係区域の事件」であった。 それでも事件に何らかの動きがあれば、水上署にも情報は入ってくる。 しかし、今のところその様子はない。 という事は、行方不明になっている長男、園田健一はまだ見つかっていないと言う事である。 輪島は頭の中で一つの推理が浮かび上がった・・・・。 行方不明になっている園田健一は、一家心中をする直前に父親から電話を受け取り そこで「これから死ぬ」と言う明確な言葉を耳にした。 驚いた園田健一は今すぐにでも自宅へ戻りたかったが、健一は自宅から離れた場所にいた。 そのため、すぐに自宅へ戻る事が出来ず、何とかその旨を伝えようと警察へ通報し、事実を話した。 だが、警察はそれを真摯に受け止めず、通話を切られてしまう。 何とか自宅に戻った健一であったが、既に時遅し。 自宅には一家心中を遂げた家族の無残な姿がそこにあった。 この時点で「警察が真剣に聞いてくれれば」と言う思いがあったと見て、まず間違いない。 誰だってそう思うであろう。こちらは真剣に話しているのに、それを切られてしまう怒りは、察するに余りある。 警察に不審を抱いた健一はその場から逃亡。 その後何らかの形で今回の「連続精神異常事件」の発端となった手段を身に付け 警察に対しあからさまな憎悪を剥き出しにし、挑戦状となる犯行声明文を送ってきた・・・・。 確かに輪島の考えは一理ある。 しかし、証拠は何一つない。 万が一輪島の推理が当たっていたとしても、当の健一は未だ行方不明のままである。 それに連続異常の手段が明確にならない以上、動きようが無かった。 今現在、輪島たちの手元にあるのは「推理」であって、明確な証拠ではないのだ。 推理だけで人を逮捕する事は出来ない。 だがどうも引っ掛かる感触が残る。ただの思い過ごしかもしれないが 現場刑事がこう言った「直感」を感じる事件には、何らかの因果関係が残されている場合が非常に多い。 輪島は念のため、この一家心中事件のファイルを抜き取り、渡辺と京子が戻り次第見せることを決めた。 自分一人だけの判断ではどうにもならないが この資料を読んだ渡辺と京子の意見を聞いて置きたい。 時刻は12時を回った。時間的にそろそろ渡辺と京子が戻ってくる頃だろう。 犯人が提示した時刻まで残り3時間を切った。 渡辺と京子が、複雑に絡み合った蜘蛛の糸の突破口を見つけていることを願い 輪島は部下を連れて、資料室を後にした・・・・。 END |