仮面越しの愛
「彼に迷い出したのは、いつからだっただろう・・・・」 「雰囲気を出すため」と言われて以来、その行為が行なわれる最中は点ける様になったモダンランプ。 明るいでもなく、暗いでもない程度の明かりは、私と彼の肉体をより一層淫らな映像へと変えた。 彼が私の身体に重なると、私の下腹部は彼の愛情を何も言わず受け入れる。 そして本来ならその快楽に酔いしれ、彼と共に朽ち果てるのが愛と言う表現なのだろう。 だが今の私は彼の愛を下腹部で受け入れる事に疑問を抱いていた。 「由佳・・・俺もう・・・」 由佳・・・私の名前。あまりにも強烈な劣等感を前に、自らの名前すら見失っていた。 私は由佳で彼は夫の拓海。拓海の下半身は動きを増し、そして私の嫌悪感は更に加速する。 やがて拓海は小さな喘ぎ声を漏らし、その動きも止まった。 後に残ったのは激しい息遣いと、疲労。そして絶対的な嫌悪感だけだった。 「じゃあ行って来るよ」 「気を付けてね、いってらっしゃい」 拓海を見送る私の顔は笑えているのだろうか?もしかしたら少しも微笑んでいないかも知れない。 表情だけはいくらでも作る事が出来る。しかし内面に眠る本当の感情まで偽る事など出来ない。 拓海がもっと感受性豊かな男だったら、ひょっとしたら私の変化に気付いていたかも知れない。 だが幸いなのか不幸なのか、彼は私の変化など気付きもしなかった。 ふと昨夜の行為がフラッシュバックする。激しい吐息に激しい動き。 愛と言う言葉の最上級の表現であるその行為は、男と女には必要不可欠なものだ。 それなくして愛情など存在しないと言っても過言ではない。 愛情・・・・私は愛情と言う言葉を考えてみた。結婚する前、まだ拓海が彼氏だった頃 愛と言う言葉をいくらでも表現する事ができたのに、今では表現どころか、何が愛なのか分からなくなっている。 別に不満があるわけじゃない。拓海は夫として非の打ち所のない男で、性格もこの上なく良い。 経済力もあり財力も持っている。肉体は若く、衰えを知らない。 だがしかし、それはあくまでも目に見える物質的な祝福であり、決して精神的な安堵や幸福ではない。 何もかもが揃っていればそれで良いと言う恋人的な感覚では夫婦は成り立たない。 そんなこと百も承知の上だった。痛いほど分かっていた。 にも関わらず、私はその全てを理解していなかった。 彼に迷いを感じ始めたのは忘れもしない。12月の「アノ夜」だった。 一度だけの罪、そして一度だけの過ち。それで終わるはずだった。 当時通っていた大学の先輩と偶然再会したのが運のツキ。 懐かしい昔話に花が咲き、いつしかアルコールが入って気が大きくなっていたとき 彼がこんな事を言った。 「君が結婚してなかったら真っ先に狙ったのにな」 彼の顔は本当に悔しそうだった。 結婚して夫が居るとは言え、外見には常に気を配っていた。そのため実年齢よりも若く見られるケースが多い私は 彼のこの一言で何かが崩れてしまった。 いや、多分、きっとこの頃から夫に対し何か言いようの無い不安感を持っていたんだろう。 だからこそ私は夫以外の男に抱かれたのだ。 それはとてつもなく官能的で、甘美な行為に終わった。 男と交わる事をここまで積極的に受け入れたのは久しぶりであった。 そう、アノ夜以来、夫の姿が変形して行った。 それまで普通に思えていた日常も、今も忘れられない彼の感触に支配されたのだ。 そして夫とのスキンシップや淫らな行為が苦痛となり、終いには迷いが生じるようになった。 身体を求める夫に対し、肉体はそれを受け入れる事ができても、心は完全に拒絶した。 それ故快楽を快楽と受け止めず、半ば「義務」のような感触で終わる事をさたすら祈る時間が続いた。 「愛情」を「義務」として置き換えれば、まだ堪えることが出来たから・・・・。 夫の存在は近く、そしてあまりにも遠い存在となってしまった。 私は分かっていた。この身体に迷う私の心は、いつか必ず離れてしまうだろうと。 身体と心が分離したとき、私は本当に愛を義務としてすり替え、肉体を犠牲にする事を受け入れてしまう。 見せ掛けだけの愛に捕らわれて、この身を生贄として捧げるのだ。 私の心は傷付いている。現状から抜け出せない自分への怒りと無力感。 そして愛してもいない夫から受ける一方的な愛情表現。それを黙って受け入れる身体の悲鳴。 だから私は決めた。 「仮面を被ろう」と・・・・・。 毒の花のように咲いてみせる。何もかも偽った仮面を被り、愛情を義務として受け入れ 今も尚忘れられない「あの人」に思いを馳せる。 そしてあの人と会う時だけ、返り咲く花になる。 そうやって自分に言い聞かせる事で、自らの崩壊を何とか防ぐのだろう。 この先もずっと・・・。 本当の素顔に仮面を被った。 だからもう昔のように笑えない。 私はもう、夫を愛した私ではないのだから・・・・。 END |