黒衣の魔天使
患者の様子がおかしいという事は数日前から分かっていた。 その患者は癌を患っており、そう長く生きられない事は知っていたが あの憔悴振りは癌とは無関係のように思える。身体を蝕む病ではなく、もっと精神的な思い詰めのように伺えた。 今年からこの病院に配属された保科 結衣の担当する患者なのだが、明らかに日々弱っているのが見て分かる。 「もしかしてまたかしら・・・・」 結衣の脳裏に嫌な予感が浮かぶ。その予感の内容は、最近この病院を精神的に破壊するような出来事であり 患者のみならず、医師やナースにも大きな影響を与えている。 病院内は不可解な疑心暗鬼に包まれており、終始疑いの目が向けられる始末なのだ。 自分は何も悪い事などしていない。にも関わらず疑惑を含んだ目で見られることに、結衣はいささか憤慨していた。 こっちはちゃんと免許を取り、数年間の実習を経て就いた看護婦である。 胸を張って看護婦になったんだと、そんな自分を誇りに思っている。 しかし、全ての医者や看護婦たちが天使のような存在であるかと言えば、決してそうでもない。 「白衣の天使」と呼ばれた結衣たちが、たった一人の心無い医療関係者によって 「黒衣の魔天使」と呼ばれるようになってしまったのだ。 そのきっかけは今から2週間ほど前に遡る・・・・。 遡る事2週間前、その日は朝から雨が降っており、病院内は暗い雰囲気で包まれていた。 ただでさえイメージ的に暗いレッテルを持つ病院では、その日の天気によって雰囲気が変わる。 晴れ間が広がり、太陽の光がサンサンと差し込むときは、例え治らない病であっても治りそうな錯覚を覚える。 それは周囲が明るいと言う環境の影響で、それだけ人間は気持ちが前向きになったりするものだ。 しかし曇りや雨が降ると、病状が悪化したり、最悪の場合死者が多数出る事もしばしある。 その日は偶然にも2名の患者がこの世の使命を終え、去って逝った。 「ねえ、昨日亡くなった神崎さんって本当はまだ亡くなる時期じゃなかったらしいよ」 「そうなんですか?」 「うん、おかしいわね。容態が急変したのかしら」 「重たい病だったんですか?」 「まあ一応脳梗塞を患っていたからね。いつ容態が急変しても別におかしくはないんだけど」 先輩ナースの岡野の言葉は妙に歯切れが悪かった。そんな様子に結衣は首をかしげた。 「何かあるんですか?」 「うん、実は同じ日にもう一人亡くなった患者さんいたでしょ?三村さんって人」 「ええ、いましたね。確か三村さんは肺癌でしたよね」 「そう。だけど、三村さんも末期ではあったけど、亡くなるには早過ぎだって話を聞いたの」 「二人とも早すぎたって事ですか?」 「おかしいと思わない?そりゃ偶然と言えば偶然かもしれないけど。それにね・・・・」 岡野は意味深な表情になり、続けた。 「三村さんを担当したナースが言ってたんだけどね、どういうわけか三村さん自分が死ぬ時期を分かっていたらしいのよ」 「死ぬ時期を知っていた!?」 「これは噂話だからそのつもりで聞いてほしいんだけど。なんでも三村さんのベッドの上にメモ書きが置かれていたらしいのよ。 それでメモの内容なんだけど、(貴方は11月28日ごろ死ぬ)と書かれていたらしいの」 「ええっ!ちょっと待ってください。三村さんが亡くなったのって確か・・・」 「ご名答、ズバリ11月28日なのよ」 「どうしてそんな事が・・・・・」 「分からない。でもこれって死の宣告よね。きっと三村さんも神崎さんも、この宣告を目にしたことでショックを受けて それで予想時期よりも早く亡くなったんじゃないかって、そんな話が広まっているのよ」 単なる悪戯と片付けてしまうにはあまりにも軽率すぎる出来事である。 岡野の話によれば、亡くなった神埼も三村も死ぬ直前に「死の宣告」が書かれたメモを手にしていたという。 しかもその宣告は的中し、書かれていた日時に患者は亡くなっている。 メモが書かれていたと言う以上、それは人間の手によって書かれたものであり、明らかに内部の人間が書いたと言えるだろう。 外部の人間が何の関係も無い患者に死の宣告など告げられるはずが無い。 何より患者や素人では、病を患った人間がどの程度で死に至るかなど、分かるはずがなかった。 という事はつまり、死の宣告を書いた人間は少なくとも病院内の人間であり 限りなく医療関係者に近い人間という事になるのだ。 書かれていた日時と患者の死が一致しているという事実を重ね合わせても、犯人は担当医師かナースの可能性が極めて強い。 この一報を受けて病院側はスタッフを招集し、事態の鎮圧に乗り出したが 一度暴走した歯車は止まることが無く、その後も二人、三人と患者の下に「死の宣告」が届けられ 書かれている日程に限りなく近い日時に患者が亡くなると言う異例の事態が発生した。 病院側は警察の介入を視野に入れたが、事実上、医者による患者に対する死の宣告と言うのは法的に罰せられる決まりは無い。 医者がどのような形で患者に死の宣告を行なったとしても、それに対する処罰は日本には存在しないのだ。 警察が動き出すためには、そのメモを書いた人物が患者を殺害でもしない限り、動いてはくれない。 従って例えこの事態を警察に通報したところで、警察は動かず、逆に病院に対する悪いイメージを与えかねない。 そう言った事実があり、病院側はあくまで内輪だけの出来事とし、医師長を始め看護婦長などの幹部たちを集め 今後の対策に打って出たが、事態が収まるようなことは無かった。 それにしても悪質極まりない行為である。 誰が犯人だか分からないが、犯人は患者に死の宣告を与える事で、その患者が弱っていくのを見て楽しんでいるのだ。 一寸先は闇と言う、絶対的な死を前に、死の宣告を目にした患者がその後の余生をどのように過ごすのか それを観察して薄ら笑いを浮かべているに違いない。 本来医者やナースと言うのは、病を患った患者に対し、どんなときでも希望を与えていくのが本来の責務。 それなのに逆に死に追いやるようなこの行為は、絶対に許される行為ではない。 病院側は2週間経った今でも、犯人の追求に乗り出しているが、何の成果も上げられていなかった。 「山田さん、お薬の時間ですよ」 「ああ、看護婦さん」 結衣は自分の担当である患者の元を訪れた。山田と言うその患者は直腸癌を患っており、もはや治らないと宣告されている。 まだまだ死には縁が遠いはずなのだが、最近様子がおかしかった。 どう見ても日々弱っているように思えてならないのだ。 「もう良いんです。薬はもう要りませんから」 「どうしてですか?駄目ですよ、ちゃんと飲まないと」 「私はもう死ぬんです。だから薬なんて飲んでも無駄なんです」 結衣は驚愕した。この山田と言う患者は非常に前向きな考え方をする患者で、それまで死ぬなどと口にした事がなかったからだ。 「なんでそんな事を言うんですか。いけませんね、そんな後ろ向きじゃ」 「看護婦さん、そうは言ってもこんな物を目にしてはどうにもなりませんよ」 「えっ・・・」 山田は一枚の紙切れを結衣に差し出した。 「これは・・・・」 そこにはこう書かれていた。 「貴方の命、残り2週間」 「看護婦さん、私はそんなに重病なんですか?ねぇ、看護婦さん。私は治らないと先生から言われましたけど 命尽きるのはずっと先だと信じていたから今日まで生きて来られたんですよ。 だけどなんですか、このメモは。これが私のベッドに置かれていたのはもう1週間半も前なんです。 私の命はもう無いんですよぉ!?」 「山田さん・・・」 山田は結衣にすがって泣きじゃくった。その涙は必至で生きたいと伝えているように見えた。 とてもじゃないが許せなかった。何が残り2週間だ。今を必至に生きようとしている患者に対し、この仕打ちはあまりにも酷過ぎる。 泣きながら結衣にすがる山田から甘く据えた匂いがかすかに漂っている事に、結衣は気付かなかった。 「どうしたんですか?騒々しい」 「婦長!?」 結衣の後ろに立っていたのは看護婦30年以上ものキャリアを持つ、この病院の婦長である新谷 洋子だった。 「婦長、またこんなものが・・・・」 結衣は持っていたメモを婦長に手渡した。 「一体誰がこんな事を・・・」 新谷の手は怒りで震えているようだった。新谷は取り乱す山田をなだめた。 「とにかくまた全員を集めて話をしましょう」 「そうですね」 どうにか落ち着きを取り戻した山田は宣告されたとおり、2日後に発作を起こしこの世を去った。 病院の玄関口から二名の私服警官が去って行くのが見えた。「その人物」はブラインドの下りた窓から刑事たちの様子を伺った。 ここからでは彼らが何を話しているのか分からないが、この病院で起こった「死の宣告」について 様々な議論を交わしているのだろうと思った。 「通報されて来たは良いが、死の宣告だけじゃ本格的な捜査には踏み切れないんだよな」 「そうですね。あのメモには指紋などは残ってませんでしたし」 「そりゃそうだ。この犯人は知能犯さ。我々が介入できない事を死っていて悪意を剥き出しにしている」 「信じられませんね。弱い患者を相手に死の宣告を告げるなんて・・・きっと影で楽しんでいるに違いないですよ」 「だろうな、一種の変態だぜ。だけどな・・・・」 ベテラン風の刑事が微妙な部分で言葉を切った。そしてやりきれない様子で静かに話し始めた。 「ある程度犯人は誰か分かっている」 「ええっ!ホントですか、警部」 「ああ、お前こんな話を聞いたことはないか? 患者の容態と言うのは実は医者よりも看護婦の方が的確に把握していると言う話」 「知りませんね。どう言う事なんですか」 「医者と言うのは診察するときしか患者を診ない。だが看護婦と言うのは常に患者に接しているだろう? 看護婦の経験が長ければ長いほど、患者が死ぬ時期と言うのがある手段によって分かるらしいんだ」 「そのある手段と言うのは?」 「臭いさ。つまり死臭と言うヤツだ。死期の近い患者からは甘く据えた臭いが漂うそうだ。新米の看護婦じゃなかなか気付けないが それがベテランの看護婦にもなると、臭いの具合から患者の死ぬ明確な日時が割り出せるらしいんだ」 「医者の判断よりも的確なんですか?」 「そうらしい。事実俺の友人に医者と看護婦の両方がいるんだが、二人とも言っていたよ。看護婦に分からない事はないって」 「と言う事は犯人はつまり・・・・・」 「そう、あの病院にもいるだろ?30年以上のキャリアを持つベテラン看護婦が。30年も看護婦をやっているんだ。 患者の臭いから死期を把握するくらい分けないだろ」 「ベテラン看護婦って、ついさっき話を聞いたあの彼女ですか」 「ああ、そうだろうな。だが悲しい事に我々は介入できん。確たる証拠も無ければ犯罪が行なわれたわけでもない。 あの女、愛想の良い看護婦だと思っていたが、とんだ女狐だ。看護婦と言う立場を利用して 患者が苦しんでいくのを楽しんでやがる」 「そんなの狂ってる・・・我々が介入できないのを良い事に、今後も繰り返されるという事ですか」 「気の毒だがそういう事になるな」 力無く去って行った刑事たちを見送ると、「その人物」は椅子に座った。 そして考える。 「次は誰にしようかな」と・・・・・。 END |