〜第2話〜「心理の裏」@言葉の意味〜
「う〜ん・・・・・」 そんな唸り声を上げる沙耶の姿は珍しかった。 時刻は15時を回った。今日一日の授業を終えた沙耶は翔との待ち合わせ場所である図書館にいた。 図書館と言っても大学のキャンパス内にある巨大な図書室であり 都立の図書館ではない。沙耶と同じように授業を終えた生徒たちが 各々の目的のために訪れるこの場所は、今ではすっかり二人の待ち合わせ場所になっていた。 翔は大概時間に遅れる。選考している科目が沙耶とは若干異なるため 授業の終わる時間も科目によって異なる。 しかし翔の「遅刻」は単なる終わる時間の差ではない。 翔は根本的には一匹狼なのだが、何故か他の生徒たち、特に女生徒から人気がある。 文武両道を高々と掲げるこの大学では、やはり勤勉の優れない生徒たちにはそれなりの処罰が下る。 興味本位だけで入学した生徒にとっては痛い部分であるが 翔の人気はそう言った部分で大きな影響を及ぼす。 頭の良い翔の存在は、そんな文武両道のバランスを崩す生徒にとって、格好の「先生」と言う存在になるのだ。 授業が終わった後、「分からないから教えてくれ」と言う頼みが頻繁に起こることを沙耶は知っていた。 そのため例え相手が自分と同じ女生徒であっても、沙耶と特に気にしなかった。 自分たちの関係に自信を持っている事は言うまでも無いが、あの翔が他の女に目移りするタイプだとは到底思えないのだ。 ただでさえ、変わり者と呼ばれる存在である。 変わり者には変わり者らしい変った行動を取るもの。 他の女の存在が気にならないわけではなかったが、沙耶には翔が浮気をするとは何故か思えなかった。 そんな彼氏を持つ沙耶は、いつのようにこうして翔を待つ間、図書館で本を読みながら待つのが日課となっていた。 沙耶が手にしている本には「クイズの謎」と銘打たれている。 本来「クイズ」と言う言葉自体が「謎」のようにも思えるが、その辺は出版会社も考えたのだろう。 謎に対して何が謎なのかを準えたようにも思える。 300ページほどのクイズの本で、小学生から大人までが楽しめるクイズが所狭しと掲載されている。 ジャンル別に分かれており、今沙耶が目にしているのは「探偵・推理物」と言うジャンルだった。 沙耶らしくも無い唸り声を上げた正面では、ようやく待ち合わせ場所に辿り着いた翔が沙耶に向かって手を振っているが 本に集中している沙耶は気付いていない。 きっと唸り声同様、今の沙耶はさぞかし難しい顔をしているだろう。 「僕のこと見えてませんね」 「えっ、ああ、翔!いつ来たの?」 「ついさっき。全然気付かれて無かったみたいだけど」 苦笑いを浮かべた翔に沙耶が慌てて答えた。 「ずいぶん興味深い本を読んでいるね」 「昨日書店で売っていたんだけど、面白そうだったから買ってみたの。だけどなかなか難しくて」 「ふ〜ん、ちょっと見せてもらって良い?」 「ええ」 そう言うと沙耶は翔に本を渡した。 「なるほどね、これを話題にすれば場は盛り上がるだろうな」 「でしょ?だけど難しいのもあるのよ。これ分かる?」 そう言って沙耶は真上からページをめくった。ページ数は59ページで止まった。 「ここに書いてあるやつ」 沙耶の艶やかな指が一つの文章を示した。そこにはこう書かれている。 「謎掛けの問題。次の文章が示す物を答えよ」 「我は全なり。我は無なり」 そう書かれていた。 「この問題を観て難しい顔をしていたのかい?」 「ううん、これじゃないんだけど、この問題もさっぱり分からなくて」 「なるほど・・・」 翔はそう言うと右手で眼鏡を押し上げた。 それは一見単純に眼鏡を押し上げた姿に過ぎないのだが、この仕草は翔が考え中である事を示している いわば「癖」のようなものである事を沙耶は知っていた。 翔は何かの問題を説こうとするとき、必ずと言って良いほど眼鏡を押し上げる。 翔にしてみればほとんど無意識なのだろう。しかし翔を一番近くで見ている沙耶には それが一種の癖である事を見抜いていた。 「分かる?」 「僕の考えが正しければ答えは分かった」 「なに?」 「ずばり鏡だね」 「鏡?」 沙耶は意外な答えに驚いた。 「どうして鏡だと思うの?」 「うん。まずこの文章には2回我と言う言葉が使われているよね。しかも1度目と2度目では全と無と言う まったく相反する言葉が追加されている」 「うん」 翔の見解はいつも興味深いものである事を知っている沙耶は、真剣に耳を傾けた。 「全と無と言う部分は、言い換えれば存在する・存在しないと言う言葉にも置き換えられる。 あるもの、ないものと意味は同じだからね。つまり2つパターンを表現出来る物がこの問題の答えという事になる」 「そうね」 「そして存在するもの・存在しないものという事は、それが肉眼で確認できるからこそ使う事が出来るわけだ。 万が一見えないものだったら存在するのかしないのか、その判断さえ付かないから こういう表現は使えない」 「うんうん」 「次に我と言う言葉だけど、この我と言う表現は今話した肉眼で確認できるものを実際に見ている人間の事を示している。 自分以外のものを示すときに我なんて言葉は使わないしね。つまり我とは自分を示している」 「ああ、確かにそうね」 沙耶は関心したように言った。 「そこまで考えた事の順序を入れ替えるとこうなる。 自分の存在を肉眼で確認できるもの。そして相反する無と言う表現で確認できないもの。 つまり自分の存在を確認出来て、尚且つ確認できないものは何か?とこの問題は言っている」 「はあ〜なるほどね〜」 「こう考えると答えは一つしかない。鏡だよ。 鏡は自分の存在を確認する事が出来る。そして鏡を背ければ確認できない。無だよね」 とても納得の行く答えだった。沙耶が思わず唸り声を上げた問題はこれではないが この問題も沙耶には分からない問題だったのだ。 それを翔は問題を読んで数秒で鏡だと具体的な返答を導き出した。 (この人のIQは一体どれくらいなんだろう)沙耶は心でそう思った。 「答え見てみるね」 「うん、多分あってると思うよ。とんちじゃなければね」 この本には最後のページに出題されている問題全ての回答が説明文付きで掲載されている。 勿論沙耶はこの問題の答えを知らない。沙耶は急いで答えのページをめくってみた。 そこには確かに「鏡」と書かれており、説明文も今しがた翔が説明したものとほぼ同じものが書かれていた。 「正解・・・・しかも説明文までほとんど同じだわ」 「当たってたか。良かった」 翔は満面の笑みを浮かべた。この笑顔が沙耶は凄く好きだった。 まるで汚れの知らない純粋な少年のような表情になる。 「それで、沙耶が唸っていた問題はどれなの?」 「ああ、あれね。今度は難しいわよ。私全然分からないし。覚悟してね」 「それは楽しみだな」 図書館で合流した後、水族館へ行くはずだった予定は一体何処へやら・・? 二人の謎解きはいよいよ本題へと入って行った。 Aへ続く。 END |