後悔と愛と・・・





「友樹!お願い・・・お願いだから目を開けて!!」
「香織さん、友樹はもう・・・・」
「嘘よ!友樹は・・・友樹は・・・」
香織の傍らで横になる恋人の友樹は、今まで見たこともない安らかな表情を浮かべながら目を閉じている。
まるで全ての苦しみから解放されたような、そんな顔をしていた。
「友樹・・・どうして・・どうして私を置いて行くの・・・」
「香織さん・・・」
心から愛し合っていた。まだ見果てぬ夢だったが、将来は結婚し子供は二人欲しいね。
明るい家庭で笑顔の耐えない家族を作るんだ。
そう話していたのが昨日の事のように思える。だが現実はそんな儚い夢の続きを見せてはくれなかった。
無情にも訪れた最愛の人の死。どんな別れよりも、どんな苦しみよりも辛い現実。
最後の最後まで握っていた彼の手から、徐々に体温が奪われて行く。
力を失った腕は香織が話してしまえばだらりと崩れ落ちてしまうだろう。
香織はそんな友樹の姿を見るのが嫌で、絶対に手を離さなかった。

しかし運命は非情なもの。最愛の人を失った香織は、彼の手を、そして人生の手までも離してしまった・・・。

「友樹・・・・」
けだるい空気が香織の身体に纏わりつく。それは悪夢から目覚めたときに感じる不快感と似ていた。
徐々に明らかになる景色の移り変わりに、香織の頭はまだ付いて行けない。
だがそれでも自分が奇妙な場所にいると言うことだけは理解できた。
「ここは何処・・・・」
ようやく覚醒しつつある頭を擦りながら香織は立ち上がった。しかし香織に自分の姿は見えていない。
それだけではない、周辺を覆っているのはドス黒い闇だった。地面も天井も、左右も闇。
そこは完全なる闇の世界だった。自分以外の人間が居るような気配も無い。
「友樹!誰かいないの?」
香織の言葉は響かなかった。そこがトンネルのような場所であれば、空洞のスペースに声は反響し言葉はこだまとなる。
しかしその現象が起きなかった。まるで防音装置が施された空間に居るような感触さえある。
「誰か・・・誰かいませんか!!」
香織の声は虚しく消えて行くだけだった。
ここは普通の世界じゃない。それはすぐに確認できた。自分が生きている現世でもない。
となるとここは別の世界。そして友樹は死んでしまった。それを思うと泣けてきた。愛する人はもう居ないのだ。
だがここが別世界であるのなら、友樹もこの世界に居るかもしれない。
香織はそう思うと足が動いた。自分はどうなっても良い。友樹さえ居てくれたらそれで良かった。
上下左右が分からない世界で香織は静かに歩き始めた。ずっと立ち止まっていても意味が無いからだ。
何よりこの不気味な世界から抜け出さなくてはならない。例え友樹を失っても明日は仕事がある。
やり残しの仕事もあるし、同僚に心配を掛けたくない。一刻も早くここから出なければならなかった。
しかしそうは言ってもまだ最愛の人を失ったばかりである。香織は歩きながら友樹との出会いを思い出していた。

友樹と出会ったのは今から4年前。香織は当時24歳で中途採用の会社に新入社員として入社した年だった。
会社はそれなりに名の通ったIT企業で、様々な部署によって構成されており、社員の数はおよそ800人。
インターネットのプロバイダとユーザーの間を仲介する役目を果たす企業で
その実績は業界でもトップクラスの企業だった。
巨大なビルの中にある企業であり、社員の数も多いため、それこそ千差万別の人間たちで構成されている。
しかし各部署によって動きが異なるため、数多くの部署があっても、出会いは限られたものだった。
そんな折、同期で入社した友人が、普段関わりあいの無い部署の人たちと交流を深めるための「交流会」を開く事になった。
香織はあまりそういう類の会は得意ではなかった。どちらかと言えばマイペースだし、何より初対面の人が苦手だった。
とは言え同期入社で入ってきた友人が幹事である以上、断わるわけにも行かず、香織は恥ずかしながらも参加する事になった。
そしてその「交流会」で友樹と出会った。
彼は営業課に属しており、香織よりも3年ほど先に入社しており、歳も香織より2つ上だった。
それほどイケメンだったわけではない。しかし営業の実績は上司からも一目置かれており
その実力は折り紙つきと言われるほど彼は仕事に熱心だった。
そんな友樹と席が隣同士になったのがきっかけで話をするようになったのだ。
友樹も香織と同じように、人見知りする方で、こういう場はあまり得意ではないと言う。
私もそうなんですよ・・・・そんな会話の切り口だったのを良く覚えている。
お互い犬を飼っており、驚いた事に犬の種類も同じダックスフンドであることが判明し、二人の距離は一気に近づいた。
それ以来二人はどちらからとも無く連絡を取るようになり、親交を深め、気付けば関係が成立していた。
友樹は少々頼りない部分もあったが、お互いに歩み揺る歩幅が同じだったため、変な気を使うこともなく
香織にとって夫となるに相応しい男だった。
付き合って半年で結婚の話が出た。これも自然の成り行きで話題になったと思う。
「カーテンは白で、庭付きの一戸建てが良いな」
「おいおい、あまりゴージャスなのは勘弁してくれよ」
「ええっ、頑張って働いて建ててよ」
「そのためにはまず昇格しないとな」
そんな笑顔の耐えない関係が続き、香織は心から彼を信用し、愛していた。
そして友樹も香織を愛し、将来を誓い合うはず・・・・だった・・。
その3ヵ月後、友樹は若年性の心筋梗塞で倒れ、献身的な看護も虚しく、友樹は香織を残して逝ってしまった・・・。

気付くと香織は泣いていた。どうして友樹が、どうして彼が死ななければならなかったんだろう。
幸福は目の前まで来ていたはずなのだ。それを掴んだ瞬間、香織は奈落の底に突き落とされた。
光り輝く未来を見据えて歩いていたはずが、まさか地獄の苦しみを味わう事になるなんて誰が想像しただろう。
「友樹・・・友樹・・・」
もはや声にならない嗚咽が吐き出される。どんなにも求めてももはや友樹は居ない。
挙句の果てに気が付けばこの闇である。一体自分が何をしたと言うんだ。
ただただ幸せになるために、毎日頑張っていただけなのに・・・。
深い喪失感と無力感が香織を襲った。
ちょうどその時、目の前の闇が開かれ、前方に何かが見えた。
「なに・・?・・」
闇の中で目を凝らして見ると、どうやら前方に壁のようなものがあるようだった。
香織は急ぎ足でそちらへ向かった。
「行き止まり・・・・」
それは紛れも無く壁だった。壁はすりガラスで出来ており、その高さは計り知れないほど高い。
とても登れるような高さじゃなかった。
「香織」
「えっ!!」
誰が香織を呼んだ。その声には聞き覚えがあった。
「香織」
「友樹・・・友樹ね!」
「香織」
「友樹!!友樹!」
もはや聞き間違える事など無い。それは友樹の声に他ならなかった。
友樹の声はすりガラスの向こう側から聞こえた。
「友樹」
香織はすりガラスの壁を叩いた。しばらくするとすりガラスの向こうから人間のシルエットが浮かび上がった。
そのシルエットが放つ暖かな雰囲気・・・・幾度と無く感じた友樹の気配だった。
「友樹、そっちに居るのね。私はここよ!」
「香織」
「なんなのよ、この壁は!!」
「無駄だよ。そんな事をしてもその壁は破れない」
突然香織の背後で声がした。振り返るとそこにはみすぼらしい姿をした男が立っていた。
「冗談じゃないわ、あっちに友樹がいるのよ」
「最愛の人か。それは残念だね」
「どういうこと?」
「このすりガラスの向こうはあの世で、今僕と君が居るこの場所は異界と呼ばれる別空間なんだ。
辛いだろうけど、彼に会う事は出来ない」
「どうして?すぐ向こうに友樹がいるのよ」
「無理なんだ。あの世と異界は別の世界。決して交わる事は無い」
「どうして私は異界にいるの?」
「それは君が一番良く分かっている事なんじゃないか?」
「えっ・・・」
「香織・・・・」
「友樹!」
友樹の声が徐々に小さく、そして離れて行く。
「友樹、何処行くの?私はここよ。待って!置いて行かないで!」
再び香織の目から涙が零れた。本能が悟っている永久の別れ、それを香織は無意識で認めたくなかったのだ。
「友樹!私も一緒に連れてって!お願い・・・一人にしないで・・・」
「香織・・・さようなら・・・」
「ここは異界。自ら命を絶ったものが最初に集まる空間。自殺した人たちはここから様々な場所へ運ばれる」
「友樹・・・友樹・・・・」
香織は泣きじゃくった。それはまるで後悔を懺悔するような姿だった。
「君が最後まで人生を全うしていれば、彼に会うことが出来たのに・・・。
君は彼を失った悲しみで自らの命を絶ってしまった。
彼は病に犯されながらも最後まで生き抜いたからこそあの世へ行けた。だけど君は・・・・」
男はもう何も言わなかった・・・。

「友樹・・・ごめんね・・・・もう・・もう会えないんだね・・・友樹・・・」

深い闇の中で、香織の鳴き声はいつまでも反響を続けた。
まるでこの闇全体が香織をかばうように・・・。


END


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