救い無き絶望シリーズ Vol、1
マスタージャンキー
(人間、気付いてからでは遅いのだ・・・)
心の傷を癒す手段は人によって異なるが、大きく分けると四つのパターンに分けられる。 一つ、心の傷を癒そうと前向きな姿勢を取る。己の力で乗り越えようとする形。 二つ、現実を忘れ自分が生活をしている場所を一時的に離れる(旅行など) 三つ、辛さ、寂しさを紛らわすため、誰かと一緒に時を過ごす。 四つ、気が済むまで塞ぎ込む。 概ねこの四つのいずれかを選択する事によって傷はかさぶたになり、時の流れによってその出血を止める。 しかし、それはあくまで正常な人間が選択する、いわば正当な手段であり 中には第五の手段を選択する人間も存在する。 その第五の手段こそが「溺れる」と言う手段である・・・。 竹原 沙耶(たけはら さや)は最近自分が絶好調な状態である事を自覚していた。 夜寝るのは極端に遅いのだが、朝目が覚めると「今日も頑張ろう」と言う気になり 積極的に朝食を作ろうと言う思いに駆られる。 一人暮らしの沙耶にとって朝は毎日戦場だったはずだ。目が覚めても仕事の事が頭に浮かび嫌になったり 言いようの無い倦怠感に襲われ出社するのが嫌になったり。そんな事は日常茶飯事だった。 だが近頃仕事が落ち着いてきたせいなのか、それとも仕事に慣れ始めてきたせいなのか 生活そのものにゆとりを感じるようになった。自分でもどうしてなのか考えるのだが思い当たる節が見当たらない。 社会に出て今年で三年目を迎える沙耶にとって、いよいよ社会人として板に付いて来たのかも知れない。 最も、それは言い方を返ると「社会に飼い慣らされた」と云う事が出来るのだが 物事をあまり深く考えない・・・・いや、異様なほど元気すぎて考えられなくなっている沙耶に取ってはどうでも良い事だった。 朝食は軽めで済ませるが、昼食はかなり腹に溜まるものを好んで食べた。 夕食ともなると食べすぎなのではないか?と言われるほど食欲が湧き出てくる始末である。 それでいて体質なのか太らない沙耶は同僚の女性社員からは羨ましがられる事が多かった。 「沙耶、あんた最近元気ね」 「そうなのよね。なんだか良く分からないけど」 「ちょっと心配していたのよ。一ヶ月前に彼と別れたでしょ?その反動か?って」 「ああ、アイツの事ね。もうどうでも良い話よ、別れたんだし」 「そうだけど、いろいろあったんでしょ?」 「まあね。でももう終わった事だからさ」 「そっか、別に失恋の痛みによる反動って事じゃないみたいね」 「当然じゃない。たかが男如きで変わらないって」 「良かった。皆心配してたんだよ。それで明日なんだけど・・・」 こうして話をしている最中、沙耶は時折軽い頭痛を覚えるようになった。 それは二年間付き合っていた光一と別れた直後に訪れた症状だった。 恐らく寝るのが遅いために頭が少々疲れているのだろう。 肉体は元気でも頭はデリケートな部分だ。ちょっとした事で異変を感じるもの。特に沙耶は気にしてなかった。 「沙耶、どうしたの?腕ばかり掻いて」 「えっ、ああ。なんか痒いのよね。蚊にでも刺されたかしら」 「痒み止めとか塗っておいたほうが良いわよ。下手すると後が残るからさ」 「そうする」 仕事が終わって家に帰り、一通りの事を済ませる。だが気が付くと腕を掻いている。 「痒いな」 それは激しい痒みだった。袖をまくって腕を見ると掻いている部分が真っ赤に染まっている。 「なんなのよ・・・」 どういうわけか掻けば掻くほど気持ちが良くなる。まあそうだろう。痒みが取れるわけだから当然なのだが・・・。 それから一体どれくらい掻き続けたのか分からない。 睡魔のような眠気に襲われると、沙耶はそのままベッドに横になってしまった。 「なんだか腕が水っぽい・・・な・・・・」 5月24日、都内にある某マンションの一室で、一人暮らしをしている女性が死んでいるのが発見された。 名前はこの部屋に住む竹原沙耶。同じく都内の中小企業に勤めるOLだった。 遺体の第一発見者は勤務先の同僚で、無断欠勤が続く竹原を心配し この部屋を訪れた際、ベッドの上で血塗れになっている被害者を発見。そのまま通報したと言う。 「渡瀬警部、お疲れ様です」 「おお、西垣君」 「それでガイシャの死因は?」 「おそらくこれだろうな」 渡瀬警部は白い粉の入ったビニール袋を部下の西垣に見せた。 「ドラッグですか」 「ああ。検察の分析ではヘロインと断定された。仏さん、中毒者だったようだな」 「こんな若い女性までがドラッグに手を出す時代ですか」 「嫌な世の中だよ。仏さん、一ヶ月前に結婚を前提に付き合っていた男と別れている事実が明らかになっていてな。 その反動でドラッグに手を出したらしい」 「ですが、親しい人たちは皆彼女はいつも元気だったと話してましたよね?」 「当然だろ。ドラッグをやっている連中はキメればキメるほど、自分がドラッグ漬けになっている事を忘れちまう。 一見元気そうに見えても、それはドラッグがもたらす魔力に過ぎん。現に仏さんの腕を見てみろ」 「腕・・・ですか」 西垣は沙耶の腕を見た。しかし本来あるべき場所に腕は無く、無惨にも千切れていた。 「恐らくドラッグのやり過ぎで腕に幻覚でも見たんだろう。傷跡から察するにこれは自分で引っ掻いた後だ」 「つまりガイシャは腕を掻き続け、腕が千切れたことに気付かず、そのまま死んだと言うことですか」 「だろうな。血痕がベッドの上しか見当たらない事からもそう判断する事が出来る。 仏さんはドラッグをキメて腕に幻覚を見た。それが痒かったんだろうな。無心で掻き続けた。 ところがあまりにも長く掻き続けた上にドラッグの影響もあって自分の腕が千切れたことに気付かなかった。 そしてそのまま意識を失ってドボンって分けだ」 「まだ若いのに、一体どうしてこんな事に」 「きっと失った辛さに耐えられなかったんだろう。それでドラッグに溺れた。 ところが回数が多過ぎてドラッグをやっている事さえ忘れちまった」 「それで死ですか」 「そんなとこだ」 「なんと惨めな・・・」 「まったくだな」 「人間ってのはどんな事があっても逃げられないってことさ。例え一時的に逃げても 現実から逃れる事は出来ない。ドラッグになんか手を出さず、戦うべきだったんだがね」 静かに横たわる沙耶の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。 END |