内臓日和



五十嵐武雄について奇妙な噂が流れ始めたのは、友也が大学に入学した当時から耳にしていた。
通常、クラスメイトに馴染めない人間がいると、それが事実とは違う事であっても
噂と言う絶対的な力によって歪曲され、瞬く間に広まってしまう。
「昔いじめられていた」とか「あいつヤリマンだぜ」とか。
実年齢とはあまりにも掛け離れている程度の低い噂が流れるものだが、五十嵐に至っては少々異質だった。
五十嵐の鞄の中に切断された猫の首が入っていたと言う噂を皮切りに
休憩時間に医学書をじっと眺めているとか、人体解剖の参考書を見てニヤニヤしているなどと
とりわけ人間の身体に関わる噂話が横行していた。
そんな良からぬ噂も手伝って、友也のクラスで五十嵐と言う生徒は「危ないヤツ」としての称号を見事受賞したのである。
しかし友也は五十嵐に対して特別な感情を抱く事はなかった。
何故なら友也自身もあまり人と関わるのを好まない性格だったのだ。
五十嵐までとは言えないが、友也もまたクラスメイトからは「良く分からないヤツ」と言う異名を授かっていた。
そんな事実もあってか、友也にとって五十嵐の存在は「同類」と言う分類で括られ
何となく気になる存在へと変わって行った。

友也が五十嵐と初めて喋ったのは、二人が「理学部」に属した日が始まりとなった。
運動やスポーツに興味の無い友也は、実験や科学など割と興味もある部活を探して属する事になった。
どうやら五十嵐も同じだったらしく、彼も同じ日に理学部への入部を申し出たのである。
共にクラスでは「異物」扱いされているだけあって、二人が意気投合するのにそれほど時間は掛からなかった。
友也は科学の実験などを好んだが、五十嵐は実験や解剖を好む事が分かった。
「解剖って良いよね、凄く神秘的だよ。綺麗な外見を引き裂いてそれ以上に美しい内部に侵入するんだから」
その日、魚の生態を知る実験において、秋刀魚を解剖したときの五十嵐は目を輝かせながらそう言った。
「そうかい?内面なんてグロテスク過ぎるよ。気持ち悪いと思うけど」
「それは単なる先入観なんだ。内面がグロテスクだと人間は思い込んでいる。
だけど外見でもグロテスクな人間は沢山いるだろう?ブサイクな人間とか」
「まあ、それはそうだけど。でもそれはあくまでブサイクであって、グロテスクとは違うんじゃないかな」
「僕からすれば一緒だよ。だけど外見がブサイクでも、中はとても美しい場合があるんだ」
そう言った五十嵐の目は、まるで探検を楽しむ少年のような目をしていた。
そんなやり取りを経て、五十嵐は対象となる内部。とりわけ内臓に興味を持っているらしく
内臓についての美学を熱っぽく語ることが多かった。
かつて三島由紀夫が「どうして人間は内部をグロテスクに思うのだろうか?」と言う言葉を残しているが
五十嵐はその発言に対し、真正面から返答を返せるだけの知識と、強い関心を持っているようだった。
秋刀魚の腹部を切り裂いた五十嵐は、腹の中から内臓を取り出し、一つずつそれがどのような機能を果たしているか説明した。友也は少々気分の悪い感触を覚えたが、まるでタブーを犯しているような興奮に駆られ、五十嵐の熱弁を熱心に受け入れていた。クラスの「異物」同士。その辺はどこか頭のネジが飛んでいる部分があるのだろう。

五十嵐はその後も部活動において積極的に解剖を繰り返した。
「ねぇ、見てよこの心臓。なんて美しいんだろう」
今日の解剖相手は学校の近くにある川辺に生息しているヒキガエルだった。
五十嵐はメスを片手に腹を裂き、飛び散る血しぶきを顔面で受けながらも、解剖を進めた。
「この綺麗な血管。血管ってね、赤いイメージがあると思うけど、本当は赤じゃないんだ」
「違うのかい?」
「うん。本来血管は無色透明なんだよ。血管という中に真っ赤な血液が流れるから赤く見えるだけで
本当は透明なんだよ。ほら、これが血の流れていない血管だよ」
五十嵐はそう言うと細くて小さな管を友也に見せた。カエルの卵が納まっているような管だった。
「僕はさ、こういうのを見ているだけで、何て言うか、興奮するんだよ」
「君、相当イカれてるよね」
「そうかい?僕は普通さ」
五十嵐はそう言うと、透明な血管を自らの口に含み、丹念に舐め回した。
「うへへ、最高だよ」
友也は極度の興奮で五十嵐の下半身が大きく膨れ上がっているのを見たが、特に何も言わなかった。

「今日は是非君に手伝って欲しい事があるんだ」
そう言われてやってきた五十嵐の家は、彼の突然変異的な悪趣味に反するような大豪邸だった。
他の家族は海外に行っており、しばらく帰って来ないらしい。
「君の悪趣味はここで生まれたのか」
「ん?何か言ったかい?」
「いやいや、なんでもないよ。んで、手伝って欲しい事って何なんだ?」
「まあとりあえずこの部屋に入ってよ」
五十嵐は自分の部屋に友也を招いた。ドアを開けて中に入ると、まさにそこは「異物」の世界だった。
「なんだい、これは」
そこには生活感を感じるような物は何一つ置かれていなかった。机も無ければクローゼットも無い。
ベッドも無ければパソコンも無い。あるのは本棚のような巨大な棚が4つ置かれているだけだった。
その棚は区切られているそれぞれの背後が吹き抜けになっており、反対側からでも物を取り出す事ができるタイプの棚で
その上には大きなビンから小さなビンまで、数百種類はあると思われるビンが並んでいる。
ビンの中にはグロテスクな内臓の数々が納められており、ホルマリン漬けにされていた。
「凄いだろ、これ全部内臓なんだ。これは犬の内臓。こっちは猫であっちは豚。他にもサルやイノシシ
ライオンやワニの内臓もあるよ」
五十嵐の目はこれ以上に無いほど輝いている。
いくら悪趣味とは言え、個人レベルで見たらどんな趣味でもそれは趣味に過ぎない。
人様に迷惑を掛けないのであれば問題は無いが、ここまで来るともはや狂気としか言いようが無かった。
「そしてこれが・・・・人間の内臓だ」
「人間の?どうして人間の内臓を君が持っているんだい?」
「うふふ・・・まあいろいろあってね」
五十嵐の持っているビンはとりわけ大きなビンだった。他のビンと比べサイズが大きいため、彼は両手でビンを持っていた。
納まっているのは心臓と肺、胃、すい臓、肝臓、だと五十嵐は言う。
「これは僕のコレクションの中でもとびっきりなんだ。どうだいこの美しさ。何者にも勝る甘美だよ」
五十嵐の下半身はまたもや大きく膨れ上がっていた。友也は少々嫌気が差してきた。あまりにも悪趣味過ぎる。
「それで、手伝って欲しい事ってなんなの?」
「あ、そうそう。実はこれだけの内臓をコレクションしていても、まだ知らない内臓がある。それが何だか分かるかい?」
「さあね、少なくともこれ以上知らなくても良さそうな気がするけど」
「いやいや、そう言うわけには行かないよ。まだ知らない内臓と言うのは他でもない。僕自身の内蔵さ」
「君の内臓?」
「そう、僕は自分の内臓を見た事がない。是非見たいんだよ、どうしても。だから君に手伝って欲しいんだ」
「手伝うって、なにをどうしろって?」
「これなんだか分かるかい?」
そう言って五十嵐が示したものは巨大な機械だった。四角い機械の隅にチューブと密着している注射器がある。
どうやら何かを送り込むための機械らしい。友也は首をかしげた。
「これはね、部分麻酔を施す装置なんだよ。先端にある注射器を刺したままにしておけば、刺している間ずっと効果がある」
友也は嫌な予感がした。部分麻酔の装置の隣には明らかにメスと思われる医療器材が置かれていたからだ。
「僕は自分の意識を失わずに見たいんだ。そこで君の出番だ」
「僕に君を解剖しろと言いたいわけか」
「ピンポ〜ン。さすがだね。良く分かってる」
普通ならこの部屋に入った時点で恐怖に慄き、一目散に逃げ出すのが本来の人間だろう。
しかし五十嵐同様、友也もクラスメイトの「異物」であり、頭のネジが飛んでいる人間の一人である。
断わろうかとも考えたが、生きた人間を意識を失う事無く切り裂くと言う行為はとても魅力的だ。
「良いよ。どうなっても知らないけどね」
「大丈夫、麻酔があるから。さあ、ブスっとやってくれ」
五十嵐は手術台と思われる台に寝転び、喜んで腹を出し、麻酔の注射を打った。
そしてそれが取れないようテーピングすると、腹の感触があるかどうか確かめた。
「ぐふふ、やっぱり最新の機材は速いや。もう麻酔が効き始めているよ。さあ遠慮は要らないグサッとどうぞ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
友也は寝そべる五十嵐の腹部にメスを突き立てた。裂かれた部分から大量の血液が流れるが
それも装置に取り付けてある特殊な管を伝って五十嵐の全身に行き渡るようになっている。
友也はローストビーフをナイフで切り裂くように、その手を下腹部へ動かした。
「今どうなってる?もう腹割った?」
「割ったよ。君の内臓が見える」
「ホントかい!?早く見せてくれ。僕の内臓、内臓」
「今取り出すから」
友也は真っ赤に染まった手で五十嵐の心臓を取り出した。血液が脈打つ心臓は一定のリズムで鼓動を刻んでいる。
「ほら、君の心臓だ」
「うひょおおおおっ!これが僕の心臓・・・心臓だ・・・ああああ・・なんて美しいんだ・・・」
友也は次から次へと内臓を取り出し、五十嵐に手渡して行った。
「胃、肺、肝臓、すい臓・・・ああ、たまらない。この口の含んだ感触・・・・最高だよ」
それはもう人間ではなかった。人間の世界でやってはならぬ禁じ手を犯した狂気の宴。
悪趣味と言う言葉が産んだ狂気の世界であった。
「僕の内臓・・・僕の内臓・・・あああ・・・内臓・・・内臓・・・」
五十嵐はそう言うとズボンを脱ぎ、陰部を露にしてから右手でそれを擦り始めた。
極限まで膨張した肉の塊は今にも破裂しそうなくらい膨れ上がっている。
「これで満足かい?悪いけど僕はもう帰るよ。君とは付き合っていられない。
学校でももう話しかけないでくれ。ましてその右手で僕に触れないでくれよ」
五十嵐の右手は既に手が見えないほど白く染まっていた。ドロドロした白い液体が右手を伝い
彼の寝ている台にまでポタポタと落ちていた。
「じゃあな、この変態ヤロー」
友也の声は五十嵐には届いていなかった。もはや興奮は何度も絶頂を向かえ、他人の声など耳に届かない状態だった。
友也は部屋のドアを開け、外に出て岐路に着いた。

「あ、そうか」
もうすぐ家に着くという場所に来て、友也は気付いた。
部分麻酔を取り付けられた五十嵐は、あの状態でも生命を保つ事ができる。
だが、その麻酔にも限りがあるはずだ。装置の中に納まっている麻酔が出切ったら終わりである。
友也は五十嵐の身体を元に戻さずに帰ってきた。とてもじゃないが一人で内臓を元の場所に戻せるとは思えない。
かと言って他の家族は現在海外に行っており不在だ。つまり誰も元に戻す人間がいないことになる。
麻酔にも限度がある。装置に入っている麻酔が無くなったら・・・・・。
「僕は殺人鬼に早代わりってわけか」
友也はまだ手に残る腹を引き裂いたときの感触を思い出し、不敵な笑みを浮かべた。
「まあ良いや。あの感触は何者にも変えがたい感触だったし。ありがとよ、五十嵐。
僕は優しい連続殺人鬼になれそうだよ」


END



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