連 鎖
「今日も残業?ずいぶん頑張るのね」 「う、うん・・・本当は帰りたいんだけど、どうしても終わらせて置きたい事があって・・」 「そう。あまり無理しない方が良いよ。お先に」 「あ、お疲れ様」 同僚のOLが先に帰るのを見送ると、先島 香奈枝(さきじま かなえ)は大きな溜息をこぼしながら 両腕を頭の後ろへ持って行き、大きな伸びをした。 「疲れた・・・・」 ここ最近ずっと続いている残業のせいで、かなり肩が凝っている。 当然の事ながらそれだけでは済まず、時折頭痛が襲ってくる。 とりわけそれが生理中ともなると もはや頭を抱えずには居られなくなるほどの激痛が走る。 今年で28歳を迎えた香奈枝はまだ十分若い。 休日に遊びに行き、そのままオールで夜通し遊んだとしても、何ら問題はない。 だが今のこの職場で働き続けている限り、肉体の衰えは日増しに進むばかりだ。 現場で働いている男性社員とは違い、女性社員はほとんどデスクワークで 身体を動かず事と言えば、書類をコピーする時や、給水場などでお茶を入れる時ぐらいなものだ。 それに加え日々の忙しさに私生活までも支配され、スポーツジムに通っている時間すらなかった。 このままではいけない・・・ 何度もそう思うのだが、転職するほどの勇気は香奈枝には無かった。 「今日はもう帰ろう」 香奈枝は使っていたパソコンの電源を落とした。 「お先に失礼します」 身支度を済ませた香奈枝は、まだ周囲で残業をしている同じ女性社員たちに声を掛けると、足早にその場を後にした。 少しでも休みたいと言う衝動に駆られていた香奈枝は この時、全ての不幸を背負ったような暗雲立ち込める表情で屋上へと向かって行く女性社員に気が付かなかった・・・。 翌日、香奈枝が出社すると、何やら会社のビルの前で人が群がっている。 よく見ると、会社の出入り口付近に「立ち入り禁止」のテープが引かれ パトカーが数台停車居ているのが見えた。 「何かあったんだ・・・・」 香奈枝は人ごみを掻き分けて一番先頭に出た。 テープは会社の入り口の前に引かれており、ビルの中にはいる事は出来るようだった。 現に同じ社員たちがビルの中へと入って行く姿が目立つ。 しかし、その入り口の横で見慣れた男が警察と喋っていた。 「あれは確か、第2課の部長だわ」 警察と喋っている男は片山と言って、香奈枝の勤務する同じ階にある「第2課」の部長である。 その片山が警察と話をしているところを見ると、どうやらウチの会社が関わっているようだ。 「ねぇ知ってる?そう言えば先週もウチの社員自殺したわよね」 「あったあった!確か家で手首切って自殺したって聞いたわ」 「あのさ、昨日自殺した子、先週自殺した女性社員の第一発見者だったって知ってる?」 「ええっ!そうなの?」 「そうらしいよ。全然連絡が取れないから心配して家に行ったんだって。そしたらバスルームで発見したらしいわ」 「何だか怖いわね。繋がりとかあるのかしら」 「さあね、だけど妙なのよ。最近やたらと自殺する人が増えているでしょ?ウチの会社」 「そうだったっけ?」 「知らないの?先月総務課でも人間関係が嫌になって自殺した子がいるわ。あれ?そう言えばその子も 自分が自殺する前に、自殺した社員を発見した人じゃなかったっけ?」 「私は知らないけど・・・。嫌な世の中ね」 「まったくね」 社内のエレベーターに乗っていた同僚の話を聞いて、香奈枝の背筋に悪寒が走った。 自殺した人間を発見した人間が次に自殺している・・・。 香奈枝は知らないだけだった。 社内ではそれが「自殺者の呪い」だと噂されている事を・・・・。 その日も香奈枝は仕事が遅くまで掛かってしまい 全ての仕事が終わったときには既に人気は無く、見回してみるとフロアには人がいなかった。 気が付けばもう深夜である。いつの間にか同僚たちは仕事を終え帰っており このフロアに残っているのは香奈枝だけだった。 「もう帰らなきゃ・・・」 時計を見ると、後数分で日付が変わろうとしていた。 香奈枝は大急ぎで帰りの支度を始めた。 全ての準備を追え、窓のブラインドを降ろそうとした時、かつて感じた事のない「無念」のような感情が 窓の外、香奈枝の真上から急降下してくるのを感じた。 香奈枝は静かに、そしてゆっくりと顔を上に上げた。 まさに一瞬の出来事だった。 香奈枝の真上から人間の眼球が落ちて来た・・・。 いや、正確にはこっちを見ている人間の姿だった。 自分の目線と落下してきた人間の目線が水平になったとき、お互いの目が一瞬合ってしまった。 悲しみ、絶望、孤独・・・思い付く限りの全ての負の感情が篭った、そんな目が香奈枝を縛り付ける。 香奈枝には何が起こったのか分からなかった・・・。 翌日、同じように会社の前には立ち入り禁止のテープが引かれており、多くの警官でひしめき合っていた。 昨日、ほとんど眠れなかった香奈枝は、おぼつかない足取りで社内へと入りエレベーターに乗った。 「信じられないわ。2日連続なんて・・・・」 「昨日自殺した人なんだけどさ、聞くところによると先日自殺した人を一番最初に発見した人だったんだって」 「また?自殺を発見した人が自殺するなんて、これじゃ自殺の連鎖じゃない」 「この会社は社員を過剰に働かせているでしょ?それに対して不満があったらしくてね。自殺者の呪いだなんていう人もいるわ」 「冗談でしょ、止めてよ怖いわ」 「自分が一番最初に発見しない事を祈るしかないわ」 「呪いだ何てあるわけないと思っているけど、こうも立て続けに続くとさすがに・・・ね・・・」 「怖いわ、今日も早く帰りましょ」 「それが懸命ね」 傍から見れば、それはたわいも無い噂話。だが今の香奈枝にはそれを噂話と片付けるわけには行かなかった。 昨日の自殺の瞬間を、香奈枝は目の当たりにしている。 自分の真上から落下してくる人間の悲しみに満ち溢れた眼差し。 いくら目を閉じても、あの目が脳裏に蘇りいつまでも消えない。 「自殺者の呪い・・・・」 同僚たちが口走っていた言葉が何度も頭でリピートされる。 そう言えば最近仕事で立て続けに大きなミスをしている。日頃の疲れとも言う事は出来るが まさか呪いではないだろうか・・・。いや、現実的に考えてそれは有り得ない。 香奈枝の犯したミスは自殺を目撃する以前の話である。 自分のミスと自殺は無関係である。 香奈枝は自分の考えを正当化しようと、何とかこじ付けを施そうと務めた。 だがしかし、それでも自分が自殺の瞬間を目撃したと言う事実までが消えるわけではない。 香奈枝の身体に今まで感じた事の無い悪寒が走った・・・。 それ以後、香奈枝は毎夜酷い悪夢に魘された。 あの自殺を目撃して以来、仕事に集中する事ができず、ミスを繰り返しては上司に怒鳴られる日々。 職場の同僚たちも香奈枝を励ますが、今の彼女には何の気休めにもならなかった。 「自殺を目撃してから・・・」 その事実が「呪い」と言う言葉に変換され、悪夢となって香奈枝に襲い掛かった。 どれだけ目を閉じても、あの日見た自殺者の目が浮かび上がる。 この世に未練を残そうとしている、死ぬ直前の生霊のような眼差し。 夢の中で香奈枝はその目に追い回され、自分の眼球と重なり合う場面で、決って目を覚ましていた。 これ以上出ないであろう程の汗に塗れ、目を開いた闇の中でさえもその目によって監視されているような感覚が襲う。 「もう耐えられない・・・・」 香奈枝の悲痛にも似た叫びが部屋中に響き渡った。 「これで3日目か・・・」 「どうしたんですか?」 「あ、いや、香奈枝君が無断で休んでいるんだよ」 「そうなんですか?てっきり連絡が来ているのか思ってましたけど」 「無いんだよね、連絡が。今日で3日目だからね。さすがに心配になってきてさ」 「私様子見てきますよ。彼女家近いですし」 「そうかい?悪いね、お願いします」 「はい」 女はそう言うとバッグと携帯電話を持って会社を後にした。 最寄の駅で電車に乗り、香奈枝の家へと向かう。 これから向かおうとしている家で、凄惨な光景が待ち受けている事も知らずに・・・。 END |