殺人代理人



「なんだこの書類は!?ええ?まったくいつもいつもお前は話にならんな、犬神!?」
筋金入りのドスの効いた声がオフィスに響くと、周囲にいる人々はこぞって「またか」と言う表情になった。
勿論、当事者である犬神 京太は溜息ものだが。
「何をやらせても中途半端。外回りに行かせても結果は出ない、事務をやらせても仕事は遅い。
良いところないな。いっその事辞めて別の仕事をした方が良いんじゃないか?大体お前はだな・・・」
京太は俯いたままヤクザのような風貌をしている上司の下山が叫んでいるのを見やった。
だが下山の声は犬神には届いていない。説教が始まったときはこうして俯いているのが一番なのだ。
何も言わず何も見ず、そんな事をしているといつの間にか説教は終わっている、と言うのが毎度のパターンだった。

犬神京太。都内の小さなIT企業に勤務する極普通のサラリーマン。年齢は28歳。
話は聞いていないが京太の前で説教を繰り返しているのが上司の下山と言う男で、「口うるさい」と言う事で有名な上司だ。
口うるさいと言っても社員全員に対してではなく、ターゲットは京太一人なのだ。
下山は京太が気に入らない。その理由は過去に京太が下山に意見したのが原因だった。
仕事の些細な事だったのだが、明らかに京太の言い分が正しかった。
にも関わらず下山は「ガキのくせに俺に意見するつもりか?」と京太をなじり、この「公開処刑」が始まったのだ。
事あるごとに京太を罵り、目の敵にするようになった。以来もう半年間もこんな調子だ。
「課長、取引先のデータまとめ終わりました」
まるで京太に助け舟を出したタイミングで、同僚の小向 レイナが下山に話しかけた。
レイナは京太の所属する総務部では23歳と言う最年少で、おまけに容姿端麗の美人。
その人気は総務部だけに留まらず、各部署でも根強い人気を誇っている、いわば社内アイドルである。
「いやぁ、レイナちゃん今日も可愛いね。仕事も出来るし可愛いしもう最高だよ!
それ良い髪型だね、とても似合ってるよ。確かまだ23歳だったね。若いって良いよな」
先ほどまで京太を怒鳴り散らしていた下山だったが、社内アイドルのレイナにはベタ惚れなのだ。
セクハラの一歩手前のような会話について、当のレイナは「気分悪い」と言っているのだが
ヤクザのような風貌を持つ下山を相手に不機嫌な態度を示すわけにも行かず、こうして当たり障りの無い態度で接している。
下山の不人気は京太だけではなく、他の社員にも不人気なのだ。そのため他の同僚たちは京太に同情していた。
目の敵にされた京太を労うような言葉を掛けるのはもはや日常茶飯事だった。
「おっ?なんだまだいたのか、犬神!?」
「は、はあ・・・・・」
「さっさと仕事に戻れ!この負け犬がっ!?」
同僚たちの哀れみの視線が突き刺さる中、京太は溜息を付いて仕事に戻った。

「くそっ!下山のヤロー!?」
ようやく迎えた就業時間も過ぎて、最寄の駅へ向かう途中、京太は下山の事を思い出し電柱を蹴り上げた。
「なんなんだよ、あいつは。人を目の敵にしやがって」
もはや気分が悪いなどでは済まなかった。京太の中ではすっかり憎悪と言う感情が芽生えている。
自分に当たる下山に対し、何度空想の世界で殺したか分からないほどだ。
出来る事なら実際に殺してやりたいが、そこまでの度胸は無い。何よりそんな事をしたら犯罪だ、出来るわけがなかった。
何度も退社を考えた。だが会社側の自分に対する待遇は他社と比べると抜群に良い上に、給料も高い。
仕事は大変だが嫌いな仕事でもないために、京太は仕事を辞める事を渋っていたのだ。
嫌なのは下山の存在だけであって、他の事は気に入っている。
同僚たちとも仲は良い。下山に嫌われている京太に対し、レイナを含めた同僚たちは時折飲み会を開いてくれた。
「お前も大変だと思うけど、下山はいつか居なくなるさ」と言う同僚の言葉だけが支えである。
部署を管理する代表、つまり下山の課長というポジションは常に流動的で、年単位で入れ替わるケースが多い。
通常だと3年間の任期で別の部署へと移動になったり、姉妹会社への移動が命じられる。
その辺を含めると確かにいずれ下山は居なくなるのだが、下山が着任してまだ半年である。
半年でこのザマ・・・・と言う現状を体験している京太にとって、残り2年半はまさに生き地獄であった。
「あと2年半も我慢しろってのか、冗談じゃないぜ」
このまま何事も無ければ残り2年半で下山は別の部署へ移動する。だがとてもじゃないが2年半も耐える自信は無かった。
いっそのこと事件や事故に巻き込まれて死んじまえ・・・。もう何度も考えたことだったが
ヤクザのようなあの井出達では、例え事故や事件に巻き込まれたとしても死なないだろう。
逆に災いを降り掛けた方が殺されそうな勢いさえ感じられるのだから。
京太は隠し切れない落胆を背負いながら駅へと歩いた。

「ん?なんだあれは」
駅前の繁華街に差し掛かったときだった。小さな細い路地の傍らに、不気味な光を放つ一軒の店を見つけた。
出入り口は引き戸によって閉ざされているが電気は付いている。
入り口の前にある縦看板には「代理人の館」と書かれているのが見えた。
「代理人の館?どういう意味だろ」
雰囲気だけではどう見ても「占い館」のように見えるのだが、看板にはそう書かれていた。
本来ならそのまま素通りしてしまうところだが、今日は気分的にムシャクシャしている。
そんな感情も手伝って、京太は「代理人の館」の方へ歩き出した。
「入ってみるか」
ほとんど興味本位だったが、京太は入り口のドアに手を掛けた。
「いらっしゃい」
ドアを開けたすぐ向こう側に、真っ黒のコートを羽織った初老と思われる老女が椅子に座っていた。
コートに付いているフードを被っているため、口から上は見えなかった。
「あのう・・・代理人ってなんですか?」
「ひゃひゃひゃ、読んで字の如く、人の変わりをするのが私の役目じゃ」
「人の変わり・・・ですか?」
「まあ座れ」
「あ、はい」
老女は両手をテーブルの前で組み、じっと京太の方を見ているようだった。
「ここは訪れた者が今一番願っている事を代行する館じゃよ。お前さんの心が見えるぞ。殺したい男がおるな」
「な、どうして分かったんですか!?」
「あひゃひゃ、分かるもんじゃてね」
まだ何も話していないのに、まるで心を見透かしたように老女は言い当てた。
「どうじゃ?ワシが代わりに殺してやっても良いぞ」
「えっ!そ、そんなこと出来るわけ無いでしょう」
「ワシなら出来るんじゃな、これが。しかもお前さんの望みどおりの殺し方でな」
「そんな事、出来るわけがない」
「憎いんじゃろ?その男が。どうじゃ?殺すならどういう殺し方が良い?」
「殺すなら・・・そうだな・・・・」
信じられない話なのは分かっているのだが、老女の話し方には独特の間合いが備わっており
相手から話を引き出すような不思議な感触を感じた。
「ボコボコに殴り、蹴り飛ばして、生きたまま身体をバラバラに切断してやりたいね」
京太は熱っぽく話した。
「そうかいそうかい」
老女は納得したようだった。
「でもそんな事出来ないでしょ。人を殺すなんて」
「ひゃひゃひゃ、さっきも言ったろ。ワシなら出来るんじゃよ」
「そんな、馬鹿馬鹿しい」
「勿論タダじゃ出来ん。条件を一つ飲んでもらう」
「条件・・?・・・」
「そう。憎い相手を殺す代わりに、お前さんの生活の一部を頂く」
「生活の一部?それはどの部分?」
「それは秘密じゃて」
これ以上はもう付き合っていられなかった。ボケ始めている老女の話し相手をしている暇は無い。
「そうかそうか、分かったよ。ありがとう。でも悪いね。くだらない冗談に付き合っている時間は無いんだ」
京太は立ち上がり、ドアに手を掛けた。
「ほほほ、相手はどうするさね?殺して良いのか?」
「ああ、やれるもんならやってみろっての。くだらない」
そう言い残すと、京太は館を後にした。
「毎度あり」

翌朝、そのニュースは会社に行くまでも無く、京太の目に飛び込んできた。
「殺害されたのは都内の某IT企業に勤務する下山一輝さん、47歳。
犯人は下山さんの身体を生きたまま切断し、バラバラにした疑いが持たれており
犯行に使用されたノコギリは現場で発見されました。
切断された身体には暴行を受けた痕跡が残っており、警察当局では暴行をした後
意識を失った下山さんの身体を切断したという線が濃厚であり・・・」
テレビのニュースは下山の殺害を伝える情報が流れている。
京太は初めてこのニュースを見たとき、思わず手に持ってたコーヒーをこぼしてしまった。
「嘘だろ・・・・こんな事が・・・・」
京太の脳裏に浮かんだのが昨日訪れた「代理人の館」だった。
くだらないジョークだと思っていたが、偶然にしてはあまりにも出来過ぎている。
昨日の今日、このような事件が起こるとは常識的に考えても奇妙である。
となると、やはり昨日会ったあの老女がやったとしか考えられなかった。
この一報は社内でも大きな波紋を呼んだ。
朝から警察が押し掛け、下山の使っていたデスクや社内での人間関係を事細かに捜査している。
京太も同じ部署で働いていたため、警察の事情聴取を受けたが、特に不審な点は見つからなかったためすぐに自由の身となった。
「信じられないよ、あの下山さんが」
「きっと昔の仲間に殺されたんじゃないかしら。やっぱり元ヤクザだったのよ」
「いやだわ、同じ会社で殺人事件なんて・・・」
社内の至る所で持ちきりとなったこの話題に鎮火の兆しは見られなかった。
その日の夕方、京太は昨日訪れた「代理人の館」に足を向けた。
だがどういうわけかそれらしい建物を発見する事が出来なかった。まるで夢でも見ていたかのように、その建物は何処にも無い。
「そんなバカな、昨日確かにあったはずなのに・・・」
途方に暮れる京太だったが、終ぞその場所は見つけることが出来なかった。

下山無き後の社内はまさに天国だった。当初から下山を良く思ってなかった同僚たちの顔にも安堵が浮かぶほどだった。
京太は以前のような安息を取り戻し、平穏な一時が静かに流れていく。
「そう言えばあの老女、殺す代わりに生活の一部を貰うって言ってたよな」
あの時、老女は確かにそう言っていた。だが下山が殺された後、京太に取って変わった事と言えば、平穏が戻ったくらいで
何か大きなものを失ったりした事は無かった。
「ハッタリだったのかもな。まあ良いや。もう平和だし」
諸悪の根源亡き今となってはどうでも良い事だった。

下山が殺害されてから4日後、仕事から帰った京太は日頃の寝不足を解消するため、早めの就寝を取る事にした。
疲れが蓄積されているため、すぐに眠りの世界に落ちると、案の定夢を見た・・・。
「ここはどこだ・・・・」
そこは真っ暗な空間だった。一切の光さえ差し込まない真の闇。右を見ても左を見ても、前も後ろもあるのは闇だった。
「久しぶりじゃのう」
「誰だ!?」
「ひゃひゃひゃ、ワシが誰かなんてどうでも良い事じゃよ」
その声には聴き覚えがあった。
「あんた、あの時の老女だな」
「ご名答」
だがその姿は見えなかった。この暗闇の何処かにいるのだろうが、肉眼で確認する事はできない。
「憎い相手が死んで良かっただろ」
「ああ、まさか本当に出来るなんてね。殺人代理人。まさに代理人の館だったんだな」
「いかにも。じゃが、覚えているだろうな?ワシの言った条件を」
「生活の一部をやってやつでしょ」
「そうじゃ、早速払ってもらうぞい」
「どうやって払うんだよ」
「なあに、簡単なことさね。そおら!?」
「ぐわっ!」
突然、京太の右足に激痛が走った。周囲が真っ暗闇のため何がどうなったのか分からないが、かなり深く傷が着いたらしい。
凄まじい激痛が足に走った。
「なにするんだっ!」
「言っただろ?生活の一部を頂くって」
「そうだけど、殴る事が生活の一部だって言うのかよっ!」
「そうではない。ここは夢の世界じゃよ。現実ではないんだ。ワシが頂くお前の生活の一部は、お前の夢の事じゃ」
「ゆ、夢・・・?・・」
京太の額から冷や汗が流れる。
「そうじゃ。お前、人を嫌いになって、殺したいほど憎んで、その殺意を人に頼むようになってまで
無傷で済むと思っておるのか?人生そんな甘いもんじゃない」
「うわっ!」
今度は左腕に激痛が走った。激しい痛みで左腕を押えると、確認は出来ないが血が流れているような感触を覚えた。
これは夢で現実ではないと言うのに・・・・。
「な、なんでこんな事を」
「言ったじゃろ?生活の一部を頂くって。人の事を嫌いになるって事は、それなりの覚悟をしろって事じゃ」
「ぎゃあああっ!」
再び左腕に激痛が走ると、もはや左腕の感覚は無かった。
おまけに肘から先が途切れており、あるべきはずの手が切断されていた。
「お前の夢はもうワシのものじゃ。つまりこの世界はワシの意のままに動くんじゃよ。そおら、殺した下山と同じ姿にしてやろう」
「や、やめろっ!?」
そこで夢は途切れた。
目を覚ますと京太の全身は汗でびっしょり濡れていた。夢の中で切断された身体は勿論無事である。
しかし痛みの感触までは消えなかった。夢だというのにどういうわけか痛みが走っている。
「夢を奪われた・・・という事は夢を見るたびにあいつが現れ、夢の中で僕は殺されると言うのか。下山と同じ手段で」
背筋がゾッとした。どんな人間でも寝なければ死ぬ。だがその眠りによって万が一夢を見てしまった場合
京太の夢の中にはあの老女が現れ、下山を殺した時と同じ手段で京太も殺されるのだ。
いつ夢を見るかも知れない、その恐怖に怯えながら夜を迎えなければならない。
文字通り「生き地獄」であった。
「冗談じゃないぜ・・・・勘弁してくれ・・・・」
その瞬間、殺害された下山の顔が天使の笑顔のように思えた。

「そう言えば最近犬神さん休み多くないか?」
「なんだか調子悪そうにしていたけど」
「それって何日前?」
「1週間くらい前かな。眠れないんだって言ってた」
「その犬神なんだけど、無断欠勤なんだよね」
「ええっ!そうなんですか」
「うん。もう5日も連絡が無いんだ」
「ちょっと様子見てきましょうか。家近いですから」
「頼むよ、こっちも困っているんだ」
誰も京太の夢が奪われ、夢を見るたびに殺される夢を見続けているとは知る由も無い。
この後、京太の様子を見に行った同僚が、彼の家で見るも無惨な京太の姿を見たことは
言うまでも無いだろう。

ひゃひゃひゃひゃ・・・・・。


END



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