転 生
その異変に気が付いたのは自分の体が左右に揺れている事を知った時だった。 身体を覆う倦怠感は非常識なほど巨大で密度が濃い。 どういうわけか身体の至る場所に痛みが走っていた。 足は膝から下が綺麗に整っているため、自分が長椅子に据わっている事だけは理解できた。 「ここは・・・・」 まだ覚醒しきっていない目を開けた薫は、自分が置かれている状況に首をかしげた。 理由は分からない。何故か薫は電車に乗っていた。 電車は時折左右に揺れながらまっすぐ進んでいる。薫は開いたばかりの目を擦りながら車内を見渡した。 車内には薫以外誰も乗っていない。時折電車の揺れでつり革が静かに動く。 夜なのだろうか?窓に映る景色は黒一色である。建物や明かりは見つけることが出ない。 車外が暗いため、電車の中は蛍光灯がひっそりと灯され、いかにも気の弱そうな明かりを照らしている。 どうも状況を理解できない。何故自分は電車に乗っているのだろう いや、そもそも自分は何をしていたんだろうか。それに身体を貫くような痛みの理由はなんだろう? 薫は思い出せる限りの範囲で記憶を巻き戻してみた。だが駄目だった。電車に乗った記憶は愚か 覚えているのは自分の名前だけで、どこから来たのか、どこに住んでいるのかさえ思い出せない。 「僕は一体・・・」 思い出そうと必至になって記憶を辿るが無駄だった。考えれば考えるほど身体の痛みに共鳴するように苦痛が増えるだけだ。 薫はそのままの体制で首だけを捻り、窓の外を見た。 列車の外は相変わらず黒一色。建物一つ見えない。一体何処を走っているのだろうか・・・。 やがて列車の速度が徐々に減速してくると、けたたましいブレーキ音を轟かせ電車は止まった。 「プシュー」と言う音が響くと、薫の傍らにあったドアが静かに開く。 開かれたドアの向こうはやはり漆黒の闇である。 「終点だよ」 いつの間にか薫の目の前に人が立っていた。帽子を深々と被っているため表情は見えなかったが、皮膚の色が酷く褐色している。 まるで健康状態の優れない入院患者のような姿だった。 「終点って・・・ここは何処ですか?」 薫は尋ねた。 「気楽なもんですな、お客さん。外へ出れば分かりますよ。さっさと降りてください。折り返し戻らなきゃいけないんだから」 車掌らしき男はそう言うと薫が電車を降りるように急かした。 薫はまるで追い出されるように急いで電車を降りた。 そこは一面の闇。明かりは愚か人の気配すら感じられない真の闇だった。停車駅の名前が入った縦看板もなければ プラットホームらしい場所も見当たらない。あるのは延々と続く闇だけだった。 列車は再び「プシュー」と言う音を立てながらドアが閉まる。そして薫から逃げるように今来た道を戻るために動き出した。 一人取り残された薫の周囲に五月蝿いほどの静けさが漂う。あまりの静けさに耳の奥で「キーン」と言う金属音が合唱を始めた。 「ここは何処なんだろう・・・」 「ここか?ここは地獄の最果て、無だ」 「えっ!」 拍子抜けするほどの陽気な声が薫の真後ろで響く。薫は振り返るとそこにはフォークのような槍を持った鬼が立っていた。 「貴方は・・・・」 「俺か?俺はサタン。この無で番人を務める鬼と悪魔のハーフさ」 もはや何一つ理解できなかった。薫の頭は混乱した。 「なんだよ、自分が置かれている状況が分からないって顔してんな」 「はぁ、自分でも何がなんだか分からなくて・・・ここは地獄なんですか?」 「オーケー!じゃあ俺があんたのこれまでの経緯を説明してやろう」 サタンはそう言うと右脇に挟んであった分厚い書籍を取り出しページをめくった。 「さっきも言ったように、ここは地獄の最果てにある無と言う世界だ。ご覧の通り闇しかない。建物もなければ人も居ない。 あるのは完全なる無だけ。で、そんなところになんであんたが居るかと言えばだな・・・」 サタンは次のページをめくった。 「あんたは現世で殺人を犯したんだ。精神異常者だったあんたは狂って小学校に乗り込み 持っていたナイフで小学生24人に重傷を負わせ、そのうち8人は死亡した。勿論あんたは現行犯で逮捕され その後の裁判で死刑判決が下った」 薫の脳裏にぼんやりとその当時の記憶が戻ってきた。そう、彼は狂って小学校に乗り込み次々と殺傷して行った。 そして駆けつけた警官に逮捕され、「更正の余地無し」と判断され死刑が下った。 そうだった。薫に空白になっていた記憶が蘇った。 「死刑判決を受けたあんただが、死刑が実行される直前、心の底から死を恐怖したんだ。そして自ら犯した罪の重さに気付き その重圧と死刑と言う判決に耐えられなくなり、舌を噛み切って自殺したのさ」 「ああ・・・そう言えばそんな事があったかも知れません」 薫の心にあの時感じた真の恐怖が蘇る。確かに自分は死刑を恐れ、そして何より犯した罪の重さに耐えられなくなった。 「思い出したろ?元々罪を犯した罪人の上に、自ら生きる事を放棄した自殺なんて罪まで重なっちまったあんたは 閻魔大王のいる審判の門で煉獄行きを言い渡されたんだ」 「煉獄・・・・ですか」 「そう、煉獄。あらゆる苦痛を10000年掛けて与え続け、それを10000回繰り返すと言う 最も罪深き罪人が突き落とされる極限の地獄さ。10000×10000の苦しみを乗り越えた後に待っているのは完全なる無。 つまり、今あんたの居るこの世界ってわけだ。あんたは煉獄の刑期を終えてここにいるってわけよ。 現にあんた、身体痛くねぇか?」 「ええ、そりゃもう引き裂かれるように痛いです」 「そうだろ?その痛みは煉獄で受けた苦しみの証拠だ。絶対に消す事は出来ねぇ」 「そうなんですか・・・」 サタンの説明によって全てが明らかになった。なるほど、先ほど乗っていた電車は刑期を終えた罪人を無の世界に運ぶ いわば「交通手段」だったのである。 「僕は刑期を終えてここにやって来たんですか」 「そうさ。珍しいケースだぜ、あんたは。普通なら煉獄の苦痛で魂は灰と化し、現世を漂うってのがほとんどのオチなんだが 極稀にあんなみたいに自ら犯した罪を悔やんでいるヤツがやって来る。最後にここへ人がやってきたのは何時だったかな。 あれは確か800年くらい前だったかな」 「800年・・・ですか。気が遠くなる」 「まあな。それでもあんたはこうしてここへ来たんだから喜んで良いと思うぜ」 「喜べるのでしょうか?見たところ闇しか無いように見えるのですが・・・」 「そうよ!こっからが話の本題だぜ!良くぞ聞いてくれた」 サタンは嬉しそうに、意気揚々と語り始めた。 「いくら煉獄と言えども情けのカケラくらいはあるのさ。あんたみたいに刑期を終え、無の世界へ連れてこられた人間には 転生のチャンスを与えられるんだ。人間世界で言うところの輪廻転生ってヤツさ」 「生まれ変わる・・・・と言うことですか」 「そうそう、そんな感じ。で、どうやって転生するかと言えば、簡単さ。 この漆黒の闇の世界にも、果てってもんがちゃんとある。あんたの足元に道があるだろ?」 薫は足元を見た。そこには人間一人が通れるくらいの細い道が闇に向かって伸びている。無論、周囲は闇なので まさに一寸先は闇と言う状況だった。 「この道は転生できる場所まで繋がってんだ。あんたが無事にそこまで行けば転生できるってわけよ」 「この闇の中を歩けと・・・」 「そうだ。嫌なら良いんだぜ止めても。だけど止めると煉獄に逆戻りだ。ま〜た10000×10000を繰り返す事になる」 「それは勘弁ですね。犯した罪は後悔してますし」 「そうだろ」 「一体どれくらい道は続いているんでしょう?」 「さあな。俺はあくまで番人だからな。そこまで分からんけど、無の世界の最果てと言う場所だからな。 そりゃ相当長いんじゃねぇか」 「ですよねぇ・・・」 薫は果ての分からぬ道を見据えた。と言ってもあるのは闇だけで見えるものは何も無い。 「まあ頑張りな。心配しなくても良いぜ、あんたはまだ死んでる身だ。のたれ死ぬ事はないんだから」 「はぁ、言うのは簡単ですけどね・・」 「そう言うなって、転生できるように祈ってるからよ」 サタンは薫の方を二度叩いた。なんと陽気なサタンであろう。 「じゃあ行って来ます。いろいろありがとうございました」 「おう!もう戻って来るなよ」 薫はそう言い残し細い道を歩き出した・・・。 一体どれだけの時が過ぎたのか分からない。生前培った時間間隔を当てにして言えば 入り口に居たサタンと別れて5年くらいが経っているのではないかとか思われる。 無の世界にあると言われる果ての場所。それはまだ遠いのか、あるいはもう近くまで来ているのか、その感覚が分からない。 何せ周囲にあるのは漆黒の闇だけである。歩く自分の手すら見えない。 幸い自分は死んでいる事で歳を取る事も無ければ餓死する事もなかった。 薫は改めて孤独である事に寂しさを感じていた。見渡す限りの真っ暗闇。そこにいるのは自分ただ一人。 煉獄と言う最悪の苦しみに耐えられる事はできても、漆黒の闇の中をただ一人で歩き続けるというのは煉獄以上の辛さがあった。 あんな罪を犯さなければこんな目に合う事など無かったのだ。 薫は自分の犯した罪を心底後悔し、身体が震えるほど悔やんだ。転生したら今度は真面目に生きよう。 人に迷惑を掛けずに、今度こそ幸せになるんだ。その思いが薫の足を動かしていた。 やがて時間は過ぎ入り口から20年ほどが経とうとしていた頃、遥か前方に一筋の光が見えた。 「あれは・・・・」 その光は眩いばかりに輝いており、周囲をわずかながら明るく照らしている。 「あそこがきっと転生の場所だ」 薫は歓喜した。これでようやく孤独から解放される。光ある眩い世界に転生する事ができる。 薫は嬉しさの余り走り出した。 「やった!これで転生できる。今度は真面目に生きるぞ!」 やがてその光は大きなものへと変り、薫はその光の中へ消えて行った。 「あああああっ!やべぇ!」 無の世界の入り口で20年ぶりにあの男の事を思い出していたサタンが叫んだ。 「余計な話しばっかしてて、肝心な事言うの忘れてたぜ」 サタンはまずったと言う表情で言った。 「まあいっか。どうせアイツは罪人だったしな」 サタンの陽気さは相変わらずである。そしてこう言った。 「転生しても必ずしも人間に転生するとは限らない。そして罪人は転生しても罪深き結末しか訪れない」 「なんて今さら言ってもしゃーないわな。アハハハ!」 日本の真夏の夜は要注意である。誤って窓を開けておくと、日本人の誰もが忌み嫌う「ヤツ」が入ってくる。 「キャアアアアッ!ゴ、ゴキブリ!?」 「何処だ!?」 「アッチ!机の下!パパ何とかしてぇ!?」 「大丈夫、今やるから」 女の父親は部屋の隅からスリッパを持ち出し、這いずり回るゴキブリに狙いを定めた。 「コイツめっ!」 バチンッ!と言う音と共に、スリッパはゴキブリの頭に命中。その勢いでゴキブリは首から下が千切れた。 「あ〜あ、力を入れ過ぎたかな」 「早く始末してよパパ!」 「ああ、分かったよ。ごめんごめん」 父親は二つに切断されたゴキブリをティッシュに包み、トイレに流し入れた。 無惨に流された亡骸が薫の転生した姿だとは知る由も無い。 ゴキブリに転生し、人間に殺される瞬間頭に浮かんだのは 無の世界の入り口で会ったサタンの 「もう戻ってくるなよ」と言う言葉であった・・・。 END |