ジョージ・ウィズ


(この写真は Founders of America より拝借しました。) www.foundersofamerica.org


アメリカ初の法学教授。トーマス・ジェファーソン大統領の恩師で、7歳の時に実父を失っているジェファーソンが父のように敬愛、友のように親しんだ人物です。

ここリッチモンド市内には学校や公共施設に彼の名が付けられ偉大さが偲ばれはするものの、合衆国全体でも知名度が低く過ぎる気がします。

彼にまつわる逸話に入る前に、略歴をご紹介する必要があるようです。

1726年、ジョージ・ワシントンより6歳若輩、ジェファーソンより16歳年長のジョージ・ウィズはチェサピーク湾口、バージニア州の南端、むしろノース・カロライナ州に近いエリザベス・シティに産声をあげました。

両親は小規模な農園主で、ラテン語を含む基礎教育は母に教え込まれたといわれます。後年、公立としてはアメリカ最古の大学、ウィリアム・アンド・メリー(以下W&Mと省略)に入学。1746年には法曹界入りを果たした後、下院議員、司法長官、ウィリアムスバーグ市長、バージニア植民地(臨時)総督、大陸会議の代表と出世の道を究めます。また彼は独立宣言の署名者のひとりでもありました。

ちなみに1636年に創立されたハーバード大学は私立です。一方1693年創立のW&M大学はアイビー六大学と異なり効率のため、「パブリック・アイビー」 と呼称されています。

さて、1779年からW&M大学で教鞭を執り始めた彼の教え子にはジェファーソン大統領を筆頭に、ペイトン・ランドルフ(父のジョンは当時の植民地で唯一、ナイトの爵位を有し、サー・ジョンと呼ばれた人物)やモンロー宣言で名を後世に残す5代目大統領、ジェイムス・モンロー、そして、最高裁判長官になるジョン・マーシャルなど匆々たる顔ぶれが揃っています。また、ジェファーソンの章でご紹介しますが、ビザー事件の主要人物、リチャード・ランドルフが自身の奴隷を釈放する遺書を書き残したのは、恩師であるウィズの人類平等と博愛主義の感化を受けたためだということです。この件に関しては準備中です。追ってご紹介しますのでその際は是非お読み下さい。

1789年、大学事務局のと意見の相違により教職を断念した彼は、判事の任命を受け法廷のあるリッチモンド (現バージニア州都) に引っ越します。


ウィリアム・アンド・メリー大学(全米で公立としては最古の大学で公立のアイビー・リーグ − 「パブリック・アイビー」とも呼称されています。1693年創立)



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