ジョージ・ウィズ −その2
ところで、彼は二度結婚をしています。一度目は1947年。法律事務所のパートナーであったザッカリー・ルイスの妹アンと結ばれるのですが、この結婚生活は妻の死により二年という短さで終止符が打たれます。そして、1755年、エリザベス・タリバーを後妻にします。彼女の父によりウィリアムスバーグに新居が建てられますが、この建物はは今日は復元、保存されています。
W&M大学を背にしてマーサ・ワシントンの曽祖父が牧師を務めていた教会ブルトン・パリッシュ・チャーチの角を左折し植民地総督官邸に向かって直ぐ左手にある二階建ての煉瓦屋敷がそれ。その愛妻には27年寄り添った後に先立たれます。彼女の死後、奴隷制度を嫌悪した彼は相続した奴隷を解放した上、彼らが自給自足出来るようになるまで生活の援助もした、と言うことです。

(ジョージ・ウィズ邸宅)
さて、この解放奴隷の中には、リディア・ブロードナックスが含まれてました。彼女は当時、巷ではジョージ・ウィズの愛人だと噂されていた黒人でしたが、自由人となってからも主人の下を去らず生涯を料理人として尽くしています。
1791年、リッチモンドでの裁判長の任を受けることになった彼は、引越しに際し家屋敷を亡妻の実家タリバー家に返却してしまいます。
こうしてリッチモンド市で余生を過ごすことになるジョージ・ウィズは、晩年になり曾甥のジョージ・W・スイーニーに財産の大半を譲与する遺書を作成。 ところが、です。借金に首が回らず曾叔父の遺産を当てにしていたこの曾甥、リディアと彼女の息子マシュー・ブラウンにも遺産の一部が行くことを探り当て、その前に借金の返済をしてしまおうと、なんと、小切手に大叔父の署名を偽造。しかも発覚を怖れ彼らを抹殺してすしまおうとするのです。
毒を盛られた朝食を摂ったマシューはその後数日内に死亡。ジョージ・ウィズは2週間ほど生死をさ迷い苦しみの内に息を引き取ります。しかし曾甥の悪行を突き止めた彼は、苦しみ悶えながらも遺書の書き換えを済ませてから息絶えたのでした。80歳でした。
災難から逃れ九死に一生を得たリディアには法廷でスィーニーの犯行を証言することも許されず、彼は無罪放免となってます。黒人は白人の犯した罪悪を目撃したも証言台に立つことを許されなかったというまた別の例をあげることになりました。
自由は与えられたもののリディアは差別からは開放されたわけではなかったのです。その後の彼女の運命は定かではありません。当時、開放された奴隷の多くは他州に移るか、他に雇用先を見つけるか、或いは不運な者は騙されたり拉致されたりして再び奴隷の身になりバージニアより数段労働が過酷で体罰も残虐だと言われた深南部のプランテーションに売り飛ばされる事さえあった、と言われます。
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