いにしえの黒人達
ジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ
ロット・キャリーに続いてもう一人リベリアに関係の深いいにしえのバージニア人を語りたいと思います。
リベリア共和国の初大統領はジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ。バージニアの現在は大西洋側で最大とされる軍港のあるノーフォーク出身です。キャリーと違う点はロバーツの場合、八分の七は白人、ムラトー、しかも生まれながらにして自由黒人であったこと。
白人であった父の名は不明です。自由黒人であった母アメリアは矢張りフリーの黒人ジェイムス・ロバーツと再婚。継父ジェイムスは奥地からノーフォークの波止場までジェイムス河を産物を運搬する仕事を生業としてました。
ロバーツが幼い頃継父は一家を連れ州内のピータースバーグという町に引っ越しますが間もなく死亡。それまでにロバーツ一家にはジョセフの他に六人の子供達が授かっていましたが、継父は家屋二軒と地所、それに商売用の平底船四隻、総額2,200ドルに値する財産を残していたそうです。
父の商いを継ぐ一方で同じようにフリー・ブラックのウィリアム・コルソンが営む床屋に弟子入りして家計を助けていました。コルソン家には蔵書がかなりありこれがロバーツの知識を深める役に立ったとも云われています。
その頃からリベリアにフリー・ブラック達が移民として出航して行く話は耳にしていたのでしょう。1829年、20才になった彼は一家を連れてエリザベス川から西アフリカに向かって船出するのです。
20才といえども長男です。彼は家族のためにモンロビアに着き次第家を建てます。そして翌年には早くも弟二人と商売を始めました。木材、皮、象牙、松油、米などをニューヨークやフィラデルフィアに出荷し始めたのです。
商売が軌道に乗り始めるに従って運が向いてきたロバーツはシェリフに抜擢され税の取立てや保安の仕事をし始めました。仕事ぶりに満足した植民地協会、ACSは1839年、彼をコロニーの副総裁に任命したのです。
二年後には、ロバーツは総裁に任命され、そして、1847年に独立し共和国になったリベリアの初代大統領になったのです。
1848年に辞任するまでアメリカとリベリアの交易は増加。アイボリー・コーストで盛んに行われていた奴隷交易を禁止したり、と活躍しています。部族の酋長達を行政に参加させたりもしたそうです。1847年には欧州を訪問。 イギリスではビクトリア女王に、フランスではナポレオン三世にそれぞれ謁見、リベリア独立の承認を得ています。。
1871年には大統領に再選されていますが1875年から病に侵され1876年に息を引き取りました。
生涯、女性のための教育に関心を抱いていた教育施設建設するように、とロバーツは一万ドルとゴム農場を遺書で未亡人に委ねています。
ロバーツを含めるアメリコ・リべりアン達が平和だったリベリアの地に内乱の種を蒔いたのだ、という批判の声も聞こえます。
初の女性大統領、エレン・ジョンソン・サーリーフはロバーツのリベリア開発・発展への功績は認める一方で、差別と決別するようにしてやって来たアメリコ・リべりアンたちが渡来先にそうした差別を逆に持ち込んだ事を遺憾としている様にみえます。当然ですが・・・
彼らは現地の人達の攻撃からの自己防衛と称して自分達の周りに砦を築いてしまったんですね。経済的にも政治的にも特権階級にのし上がってしまった。早く云えば、それがクーデターの原因なのでしょう。
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