ワシントン夫妻と奴隷
マーサの父、ジョン・ダンドリッジは奴隷であった女性 (チェロキー・インディアンと黒人と白人との混血) との間に女児をひとり儲けています。奴隷とはいえ厳密に言えば異母妹に当たるアンという名のこのムラトーを伴いマーサはマウント・バーノンに嫁入りします。
奴隷は、地所や家屋敷同様、資産とみなされていた時代。長子に全財産を譲与する制度の下、娘たちの嫁入りには最低限度奴隷を持参金として持たしてやるのが奴隷所有者たちの慣習でした。アンとマーサが異母姉妹であるという事実は記録上存在しない、という声も一部の学者の中から上がっているようですが、当時農園主が奴隷を手篭めにするのはトーマス・ジェファーソンの例からみても決して稀ではなかったのです。
このアン・ダンドリッジという女性に関しては、マーサと同年齢であるとみる説と、一回りも年下であるとする説と分かれていて、後者の場合にいたっては、マーサとダニエルのひとり息子であるジャッキーと彼女との仲を憶測する学者もいるほどです。
さて、アンは後年、奴隷同士で結ばれて誕生した息子に、ウィリアム・コスティンと命名。彼は成長してからはデルフィという名のムラトーと結ばれます。デルフィの母の名はベティと言い、アンとは嫁入り道具の一部としてマーサのお供でマウントバーノンに連れて来られた奴隷仲間。デルフィとウィリアムはいとこ同士だったという説もありますが定かではありません。デルフィの父はアンドリュー・ジャッジと言ってマウント・バーノンで年期奉公人として雇用された白人でした。彼は七年の年期が切れるや、ベティと娘たち −デルフィと姉のオネイ− を置き去りにしたまま行方をくらませてしまいます。
ウィリアム・コスティンとデルフィ夫婦はやがて自由の身になった後ワシントンで暮らすようになります。 七人の実子に加えさらに五人の孤児を養育した上、周囲に住む開放奴隷たちの面倒も見て回ったそうですが、コスティン夫妻の娘、ルイーサも成人してからワシントン市内に解放奴隷のための学校を設立したり彼らのための慈善活動を行って一生を送ったと言われています。
ところで、ベティ自身、ムラトーだったそうですからデルフィ姉妹は奴隷たちの中ではかなり色白だったのでしょう。同じ奴隷でいながら、肌の色が白ければ白いほど (白人の血が濃ければ濃いほど)、過酷な重労働から解放される率は高かったと言います。 デルフィの姉オネイの場合も例外に漏れず、課せられた仕事は女主人マーサの身の回りの世話係。 夜明けと共に作業に就き日の暮れまで野良仕事を強制される他の奴隷と比べたら破格の厚遇を受けたことになります。 にも拘わらずそのオネイがある日突然マウントバーノンから脱走してしまったのです。 逃亡を知ったマーサの落胆そして激怒のほどは周囲も手を付けられなかったようです。
逃亡奴隷と言えば、公僕として仕えるワシントン、夫婦揃って長期間家を留守にすることが多く、バージニア州内に点在する ーマウント・バーノンの他にも何箇所かに所有していたー 各プランテーションの監督管理を従弟や甥夫婦など身内に任せっ放し。
当時、何百、何千エーカーの地主である農園主(プランター)たちは、各地に点在する農園にそれぞれ管理人を雇用するのが常でしたが、人任せというのは手落ちが付き物で、奴隷たちの作業を監督する役目で雇われている身でありながら監視人自身が昼間から酔いどれていたり、奴隷たちを理不尽に虐待したり、 その結果逃亡奴隷を出したり、また農場の手入れも怠り、収穫高にさえ影響を及ぼすこともあり、プランターたちは遠隔地に散在する農園の一つ一つを自ら定期的に見回りに遠出をしなくてはならないというのが実情でした。
ワシントンの場合も例外に漏れず、帰省する度に農地も屋敷も目に見えて荒廃する一方。また監視人の管理の仕方に逃亡奴隷も後を絶たぬといった始末。ワシントンは将軍として戦地に野営中も、また大統領としてニューヨークやフィラデルフィアでの官邸滞在中も、留守中荒んで行く農園が脳裏に焼きつき頭を抱える想いだったようです。
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