働く女

「これなんだけど、ちょっと食べてみて」
 造花店の遅めの昼休みが始まるとすぐ、アルバイトの女性店員は自分の弁当箱から鶏の空揚げを一つ取って同僚の弁当箱のふたの上に置いた。同僚は箸でつまんで口に運ぶ。
「うーん、確かに揚がりすぎかしら」
「でも、あんまり早く油から出しちゃうと中まで火が通らないでしょ」
 女性店員はもう一人、自分の向かい側で昼食を取っている髪を結わえた同僚にも空揚げを分けた。
「舞佳さんも食べてみてくれない」
「ああ、オッケーよん。いただきまーす」
 ひょいと空揚げを食べた舞佳はうなずいた。
「なるほど、揚げ時間長めかな」
「でも」
 同じ反論を繰り返そうとする店員に舞佳は笑った。
「確かねえ、まず低い温度でじっくり中に火を通していったん油から出す。で、温度を上げてもう一度、今度はカラっと揚げるといいんじゃなかったっけ」
「あ、なるほどー。よーし、今度試してみよ」
 店員はやけに力が入った拳を作る。どうやら、ただ美味しい料理を作る以外の目的がありそうである。
「舞佳さんは料理もできるのねえ」
 最初に試食をした店員が感心したように言う。舞佳は首を横に振った。
「前バイトしてた店で教わっただけよん。ま、それなりにしないわけじゃないけど、知り合いの妹さんにはかなわない」
「ああ、例の食堂バイトと家事を掛け持ってるスーパー高校生ね」
「そうそう。あの子の旦那さんになる男は幸せだと思うわよん」
 幸せな妄想が一区切りついたらしい空揚げの店員が話に割り込んできた。
「その子より、舞佳さんはどうなの? 恋愛とか結婚とか、そういう話聞かないけど」
 どこから拾ってきたのか、出来損ないの造花をマイクのように突き出す。舞佳はあごに手を当てた。
「うーん…」
 少し真剣な空気に、二人の店員は黙った。ややあって舞佳は口を開く。
「いやあ、考えたことない」
 ずご。古いコントのようにバランスを崩した二人に舞佳は笑う。
「今は働くことばっかりよん」
「えー、もったいない、きれいなのに」
「そうそう」
「いいんだって。さ、ぼちぼち昼休みもおしまいだよん」
 舞佳は造花のマイクを取り上げて言う。
「私、午後イチで配達あるからお先〜」
まだ納得いかなさそうな同僚二人を置いて舞佳は立ち上がり、ふと思った。
(うーむ。一人だけ、ちょおっと気になる、男といえば男がいるか。でもまあ、まだ「少年」だしねえ)
 恋愛話に飢えている同僚二人に余計なエサを与えず、舞佳は仕事に戻っていった。

 翌日。午前中だけのバイトを終えた舞佳は携帯電話の時間表示を見てから予定を確認した。
(次のバイトまではちょい時間があるみたいねー。お昼にすっか)
 駅前の方に歩き始めた舞佳は見覚えのある顔を見つけた。
「あれーっ、華澄?」
 声をかけられた女性は美しい顔を上げた。
「え。あら、舞佳。久しぶりね」
 麻生華澄は舞佳の高校時代の友人で、確か今は母校の教師をやっているはずだ。舞佳は笑顔で気安く華澄の肩を叩こうとしたが、思い止まった。
「うお、華澄〜。なになになに、その気合の入った格好!」
 シックだが優雅なスーツと首に光るネックレスは晩餐会にでも出向かのようだ。舞佳はにやっと笑って最も短絡的な解釈をした。
「もしかして、デ〜ト?」
 華澄は苦笑いして首を横に振った。
「残念ながら。大学の頃の友達の結婚式なのよ」
「なんだ。同い年の人?」
「ええ。在学中からずっと付き合ってたみたい」
 舞佳は昨日の昼休みのことを少し思い出しつつ大げさにうなずいた。
「もう、私たちの年代も結婚しておかしくない年になってきたか。華澄は予定ないの?」
 華澄は苦笑いを継続して言った。
「相手がいないもの。舞佳こそ、そんな予定ないの? 色んな仕事してるから、出会いもたくさんあるんじゃない?」
「そうきたか。残念ながら結婚してるオジさんばっかりよん。華澄の方がありそうでしょう。なんせ周囲には若い男がうじゃうじゃ」
 舞佳がそう言うと、華澄は苦笑いを強化して、舞佳の肩をぽんと叩いた。舞佳の方はドレスアップしていないので問題はない。
「あのねえ。ドラマじゃないんだから生徒とどうこうなったりしないわよ」
「ほ〜んと〜?」
「本当よ。全く…」
 と、そこで華澄は苦笑をようやくやめ、かわりに悪戯っぽい笑顔になった。
「…そうね。彼氏はいないけど、『子供』はいるわ。生徒の中に」
「へ!?」
 舞佳は口をぽかんと開けてしまった。頭を数字が入り乱れる。
「え、えーと。高校生ってことは若くても十六歳。華澄、私と同い年だから今二十二で〜。ろ、六歳のときに!? それとも華澄、二十歳くらいサバ」
「何言ってるの。覚えてない? 私たちが中学生のとき、あの子たちを見てあなたが言ったのよ。『華澄ー、あんたの子供ー?』って」
 舞佳は記憶をたどった。もやがかかった光景。優しく声をかける華澄。転んだ男の子と脇でおろおろする女の子。
「ああ、あのよく転んでた子と、そのガールフレンドね。あの子たちがどうかした」
「だから今、担任してるのよ、二人の」
「へええ、時は流れるもんね」
 今も時は流れている。華澄はちらと時計を見た。
「そろそろ行かないと。じゃあね、舞佳」
「うん。幸せな人たちによろしく」
 駅の方に去っていった華澄を見送ると、舞佳は珍しく感慨にふけった。
(そうか、あのランドセル背負ってた子供たちももう高校生なのねー。まあ、あの頃のセーラー服の中学生が今結婚云々なんて話してるわけだし、そのくらいにはなるか)
 ふと、舞佳は、昨日に引き続き一人の少年を思い出した。宅配のバイトで何度か荷物を届けたお客だ。暢気そうな彼も確か。
(高校生ぐらいかな。するとあの少年もあの頃はランドセル背負ってこの辺を駆け回ってたのかしらん)
 舞佳は改めて時間を確認した。
(あちゃあ。華澄と話し込みすぎたかしらん。ゆっくりお昼はちょっとキビしそうねん)
 舞佳は周囲を見回しコンビニを発見すると迷わず入った。サンドイッチをいくつかとペットボトルのお茶を持ってレジに並ぶ。と、すぐ前に見知った顔があった。しかも。
「うわっ。おい、少年!」
 つい今さっき考えていた人物だ。
「へ。あ、舞佳さん」
 目を丸くした少年は舞佳の方を見、レジの方を見て、さらに驚いた表情になった。
「もしかして、舞佳さん、客として来てるんですか?」
「そうよん。私だってお客になることありますとも」
「働いてない舞佳さん。レアだ…」
「こらこら、人をトレカ扱いするんじゃないよん」
 二人とも会計が終わり外に出ると、舞佳はばんばんと少年の背を叩いた。
「いやー、しかし少年。運命っていうのはあるもんだね」
「え、どういうことですか」
「今さっき少年のことを考えてたばっかりなのよん。会いたい〜って」
「え、ええっ!?」
 わかりやすいことこの上ないリアクションに、舞佳はからからと女性らしからぬ笑い方で笑った。
「ははは、冗談冗談。本当はさっき高校の先生やってる友達にあってね。昔知り合いだった近所の子供たちが今教え子だ、なんて言うもんだから、少年も同じ年頃だな、ここいらを駆け回ってたのかな、なんて考えていたのよん」
「ああ、なんだ」
 安堵半分、失望半分。青春の表情だ。舞佳はペットボトルを開け、中身を一口飲んだ。
「少年は、ずっとここ?」
「あ、いや、小学生のとき一度引っ越して、高校に入るとき戻ってきたんです」
「ほうほう。すると、もしかして辛い別れと劇的な再会、なんてあったりして」
 舞佳は軽い気持ちで口にしたのだが、少年は笑うべきかどうか決めかねているようだった。
「ま、まあ」
(あらま、こりゃ本当にそんなのがあったのかも)
 舞佳は微笑んだ。突っ込むべきかどうか。とそのとき少年が時計を見た。
「あ、すみません舞佳さん。待ち合わせしてるんで」
「ああそう。んじゃ、また。通販ご利用の際はよろしく」
 少年は笑って広場の方に去っていった。舞佳は少年の買い物を思い出す。
(ジュース二本、か。全く若いもんは)
 辛い別れと劇的な再会、の相手だろうか。舞佳はちょっとじんとした。
(……万が一、少年が失敗したら慰めてやろうかしらん)
 そんなことでもないと、自分に相棒はできそうにない。舞佳は笑って伸びをした。
(やっぱり、しばらくお仕事が旦那さま、ってやつかしらねん)
 その姿に、一抹の寂しさが含まれているかどうか。それを他人に分からせるようでは、働く女ではありえない。
(いっちょ、行きますか)


©Hiroshi Sakisaka2005

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