岐阜市平和館をつくる会
事務局 岐阜市美江寺町2−1 教育会館内
TEL:FAX 058−265−2983
岐阜市平和資料室開館しました
1月26日岐阜市平和資料館がオープンし、待ちかねたように皆さんが訪れ、終日戦争と平和の問題が話題となっている場所ができたことを率直に喜んでいます。実現までの30年近い取り組みの経過と、開館直後の問題点をまとめて見ました。
T、実現までの経過
1,岐阜空襲を記録する会の発足(1974.9)
「資料の永久保存などを目指す資料館の建設」
対県・対市交渉、調査活動、「語る会」、ニュース発行、空襲展、書籍の刊行、スライド・OHP・パネル、ビデオ製作と貸し出し
2,岐阜市非核都市宣言請願書名運動 1983,7〜
岐阜市非核都市宣言をめざす運動推進センター結成(記録する会=事務局)
「常設展示場…を市当局や議会に要求し、」
呼びかけ人 325人 署名集約 27,471人
1984,3市議会不採択(25:22 自民党のみ反対)
「国是として非核3原則を持っているので、地方自治体が個々に行う決議は無意味」
↓
推進センター「私たちの非核都市宣言」決議集会
(1984,4)
3,岐阜市議会、市政百年に「岐阜市平和都市宣言」を決議(1988,6)
{平和都市宣言啓発事業費} 平成3 5,772(千円)
平成2 5,719 平成元 7,188
図書整備、後援会、感想文募集、平和フェステバル、平和の鐘、モニュメント、横断幕
4,市議会で平和資料館につき質問 1981,12
198412 1985,3
1991,12 市議会における野村容子議員の質問に、市長(蒔田)答弁「岐阜空襲を含めて、市民の皆さん方折にふれ、機にふれて見ていただくことによって、平和思想を高める資料館というものを(つくることが)私の気持ちの中にある」
5、@岐阜市平和資料館建設に関する意見交換会(1992,4,7) 平和遺族会ら4団体
A「平和施策に関する要望書」市長へ提出(1992,6,6)岐阜教組ら7団体
「平和資料館の建設、及び市民に広く呼びかけて戦争や岐阜空襲の資料の収集」
市長との懇談で「平和資料館は単独のものをつくる決意には至っていないが、 建設したい」
B市議会における市長室長答弁(1992,9) 蒔田市長入院中
「平和資料館は早い時期に実現したい。資料の収集、発掘は時期を失うと滅失するので、平成5年から収集を行う」
*公明党から平和センター、地域の懇談会(鷺山)から平和資料館の要望
C対市交渉(1193,2,20) 12名参加 加藤市長室長、総務課職員出席
「50周年をめどに、館を前提とした資料収集を平成5年度より」
6,「岐阜市平和館をつくる会」発会総会(1993,4,24) 市民会館 14団体 32名参加 →24団体
7,岐阜市教育委員会文化課交渉(1993,4,24) 10名参加 田中課長、職員2名出席
文化課で資料収集を担当、6月議会に補正予算計上、収集のための委員会の組織化、収集のための宣伝方法
8、岐阜市「戦争・戦災資料収集に関する委員会」発足(1993,9,3)
自治会連絡協議会、老人クラブ連絡会、公民館主事会、岐阜空襲を記録する会、 岐阜県歴史教育者協議会、小中学校校長会、教育長、市長室長、総務部長、 教育委員会事務局長、生涯学習推進担当参事、文化行政推進担当参事、 歴史博物館長
94年度から嘱託員を採用 95年7月までに329点収集、歴史博物館で保管
94年9月、行政視察として「ピースおおさか」「国際平和ミュージアム」見学
9、9月市議会での浅野市長答弁(1993,9,17)←発言取り消し申し入れ 14名
細川首相の侵略戦争発言に対し、「遺族のことを思うと、すべてを侵略戦争と言い放つことは、国民の一人として誠に残念に思う」
10、市長交渉(1994,9,4)市長・文化課課長 11名
複合施設でということも含めて、四次総に位置づける
11、岐阜市議会で市長答弁=平和館建設へ前向き姿勢(94,10)
12、加藤助役との交渉(95,5,10)
「800人からの犠牲者を出していることを考えると、市の中心部にモニュメント的な場所をつくり顕彰するのは当然。複合施設になると 思うが、今年度の四次総に入れ、芽出しをしなければと考えている」
13、市長宛「岐阜市平和館建設要望書」署名始まる(95,8)
署名8,781名分提出、市長交渉(95,11,21)
「平和館はいずれにしても単独でなく複合施設として考え、来年度から始まる四次総の早期に実現したい。他の施設の見学もして いる」
14、四次総に位置づけ(96,3月議会)
5,交流−(1)国際交流
【現状と課題】(4項目目)本市は昭和63年に「平和都市宣言」を行いましたが世界に目を向けると平和を脅かす様々な出来事が起 こっており、平和に対する認識を新たにする必要があります。戦争体験者が減少し、戦争に対する認識が風化しつつある今、戦争と いう悲劇を繰り返さないためにも、戦争について学び、平和の尊さを認識する必要があります。
【基本方針】(3項目目)問題は過去の戦争を繰り返さないようにする啓発だけに終わることなく、全世界に目を向け、飢餓、貧困、環 境破壊、人権抑圧、人種差別、民族紛争なども捕らえ国際平和を本市はめざします。
【主要施策】平和意識の高揚と展示機能の充実=人類にとって永遠のテーマである平和意識の高揚を図るため飢餓、環境破壊をは じめとする種々の視点から資料展示を通じ、広く啓蒙活動を行います。
15、担当部署を、市教委文化課から、総合企画部文化行政推進室へ(96,4)
16、岐阜市主催平和展の開催「子供たちへ伝える平和のための資料展」(1996)
テーマ「岐阜空襲」7,9〜30 戦時下のくらし」 8,5〜30 岐阜市民会館第6集会室
(93,5u) 予算200万円(以後99年まで 毎年開催)
17、岐阜駅西陸橋取り壊しにともなう戦災遺物の発掘
97,3,23 7,26 8,13 約3、000点 内1,000点は市歴史博物館で保存
18、市長交渉(97,10,17)市長、総合企画部参事、室長
13名
「今年度末までに公共施設の設置配備の基本構想をまとめるが、もし平和館が改築する市民会館の中では無理ということになれ ば、同時にどこへつくるかを明らかにする」
19、「市民文化活動拠点施設整備基本構想(案)」策定(98,3)
市民会館改築後の施設の2階中央図書館の一角に、約135uの「平和資料室」を配置。
「中央図書館機能」F市民要望と社会要請の両面に応える資料構成を図る
(5)岐阜市の戦災資料の展示と関連図書の提供で、戦争の悲惨さと愚かさを訴えるコーナーを設置する。資料を適宜入れ替えて企 画展を実施することも可能である。
この案は劇場設置場所等の問題でくずれ、新たに生涯学習関係の施設とともにJR岐阜駅高架下へ設置する案が浮上し、実施設 計費(平和資料室分としては100万円)が99年度予算に計上された。2001年オープンをめざす。(総合企画部文化生涯学習課が担 当)
20、岐阜市JR岐阜駅高架下「ハートフルスクエアーG」計画についての説明-2001.4.6
2002.1.26オープン予定 平和資料室110u
倉庫10u 備品予算300万
21、工事完成(12.15〜18) 検査・引渡し(12,25頃)
22、平和資料室オープン(2002.1.26)
U、「ハートフルスクエアーG」の概要
1Fに図書館・消費生活センター・体育ルーム(多目的、柔道場・剣道場)、2Fは岐阜市文化生涯学習課が担当、生涯学習セン ターと女性センター(平和資料室、音楽スタジオ、パソコンルーム・情報コーナー・交流サロン・研修室---),3はF駐車スペース(53台)
平和資料室 展示室 110u 倉庫 10u
第一室 岐阜市空襲と市民生活をテーマにした展示
左手に空襲以前--防空、戦意高揚 米軍の偵察と空襲準備
正面に岐阜市焼け跡パノラマ写真と空襲遺品
右手に空襲以後--焼け跡、バラック生活
奥の平台に岐阜市焼失地域を示すジオラマ
手前の平台に空襲遺品(発掘品)
ガラスケースに防空用具や子供玩具、代用品、雑誌グラフなど
第二室 特別展「岐阜から戦争の時代に関係した人々」3月末まで
黒木博司(人間魚雷回天) 竹中彰元(反戦僧)
杉原千畝、樋口季一郎(ユダヤ難民救済)
サイパン玉砕の郷土部隊や軍隊生活など
V、問題点と今後の課題
1、 ビデオ監視による無人管理がのもとで、つくる会のメンバーが適宜説明などに当たっているが、いつまで続けられるか。アンケ ートでは「スタッフの説明が欲しい」への反応が多く、スタッフの常駐が望ましい。それにより展示方法や内容も充実できる。
2、 展示の内容を説明するパンフが必要ではないか。
3、 つくる会と市との関係の位置づけが不明確。運営委員会のような組織や友の会などの市民組織も必要ではないか。市は市文 化事業財団へ委託を考えている。
4、 「戦争の悲惨さと愚かさ」をある程度追及できたかと思うが、戦争の犯罪性、加害の側面を今後どのように扱っていくかが課題 となる。
被爆56年 岐阜空襲の夕べ 開催
と き 2001年7月9日(月)19;00より
ところ 教育会館2階 岐阜市美江寺町2-1 主催岐阜市平和館をつくる会
岐阜市役所からは、文化生涯学習課の古田課長、秋元、村山氏、岐阜の空襲記録運動を取材しているNHK
情報ネットワークの取材スタッフが特別に参加されました。
内 容 @ 新作ビデオ 「岐阜空襲―芽ぶけミヤコから」
A 岐阜市平和資料室の構想について意見交流がおこなわれ、多くの意見・要望」がだされました
少ない予算をどう工夫してよい展示にしていくか
無人施設の予定だが、有人化か必要な場合にはボランテアを活用する
個別ビデオとか証言を読める装置とか、図書やパネルの貸し出しなど市民が参加活動できる施設だとよい
他の施設利用と同じように、小中学校の団体見学の際のバス代を半額免除にしてほしい
空襲、戦時下のくらしなどとともに今日の問題も年表などで取り上げたい
「岐阜市平和都市宣言」「三次総」の精神を展示の理念としたい
特別展には人間魚雷回天で殉職した岐阜中学出身の黒木博司(海軍少佐)、ナチス迫害から逃れてきたユダヤ人を数千名「満州」に受け入れた樋口季一郎(ハルビン特務機関長、少将)を取り上げたら
B 平和資料室に展示品として考えられるものを持ち寄ろうでは、
人間魚雷回天の潜望鏡、シベリア出兵時の
岐阜県知事などの寄せ書きのある日の丸などが紹介されました。
「岐阜市平和資料室」の基本設計できる
96年以来紆余曲折はあったが、岐阜市はJR岐阜駅高架下に「平和資料室」を設置することとし、99年予算で設計費
が計上された。その後、3階の計画が騒音などの問題で2階へ移動することになったため、予定より遅れていたが、2000年6月基本設計ができあがった。
それによると、高架下2階の生涯学習施設の東部分に、「平和資料室」(約100u)と倉庫が入れられている。来年度着工、2002年オープンの予定という。総合企画部文化・生涯学習課が担当している
この間、岐阜市は「子どもたちに伝える平和のための資料展」を開催(隔年をコミセン移動の巡回展としている)、目玉とする模型(B29、集束焼夷弾、消失した岐阜市のパノラマ模型を毎年制作するなど、前向きに取り組んでいる。
戦災遺品の発掘
岐阜駅西陸橋での戦災遺品、3回目の発掘。焼夷弾も出てきました。(1997.8.13)

発掘された遺物の中に、いくつかコンパクトがありました。その一つを開くと、折り畳まれたまま蒸し焼きになった新聞紙が詰まっていました。
よくみると、「激戦中」「□日中に」とか、戦時中をあらわす見出しが、読みとれます。当時の人に聞くと、パフがないので新聞紙を代わりに使っていたのだそうです。時代を示してくれる貴重な資料となりました。
それにしても、最後まで肌身から離さないコンパクトを焼け跡に残した持ち主の女性は、どうしたのでしょうか。
岐阜市平和館をつくる会の活動
岐阜市平和館をつくる会は、1993年4月24日、ピースおおさか運営委員寺田英夫氏を招いて、市民会館で発会総会を開きました。岐阜市に平和館をつくってもらおうと、24団体か参加しました。
およそ次のような活動を、行ってきました。
1993.8.15 「岐阜の戦争遺跡を訪ねて」の刊行
1994.8.11〜16 「'94岐阜平和展-50年前は戦争だった−」 岐阜市民会館
1995.11.1〜96.7.9 市民連続平和講座「50年前は戦争だった」開催5回
「市民生活と軍隊」「建国記念の日を考える」「学校も戦場だった」
「岐阜と朝鮮・中国」「岐阜空襲から50年」
1995.8.1 市長宛「岐阜市平和館建設要望書」署名始まる
1995.8.4〜8 「子らに伝えよう−岐阜戦争・平和展」開催 近鉄百貨店入場者18000人
1996.3.1 岐阜市、平和資料展示を四次総に位置づけ
1996.7.1〜8.30 岐阜市、「子どもたちに伝える平和のための戦争展」開催 市民会館
以後、毎年開催
1997.2.23〜8.13 岐阜駅西陸橋取り壊しにともなう戦災遺物の発掘 3回約3、000点
1998..7.19〜20 「空襲・戦災を記録する会第28回全国連絡会議岐阜大会」開催