| *辻さんの語るインパール作戦とは、どんな戦いだったのか。 ニューギニア、ガダルカナル・・・兵士たちは見捨てられた ビルマ(現ミャンマー)を占領した日本軍が、さらに国境を越えインドの都市・インパールを目指して侵攻した1944年のインパール作戦。 この作戦に参加したビルマ方面軍傘下の大15師団(6万人=弓、祭、烈の3師団で構成=)のうちわかっただけで2万人以上がなくなっています。 この3師団は同年3月、チンドウィン川をいっせいに渡ります。弓、祭師団はインパールを目指しました。 辻さんが所属した烈師団は、インパール北部の補給基地・コヒマ攻略を目指して侵攻しました。持たされたのは一人当たり20日分の食料と、砲車やや砲身に分解した山砲(山岳戦用の大砲)等の武器。標高2千〜3千メートル級のアラカン山脈を越え、数百キロを行軍して運べる範囲の武器でした。弾丸も例えば、山砲1門で1日10発程度の量でした。 第15軍司令官の牟田口康也中将は「武器・食料は英軍から奪え」と命じました。 迎え撃つ英軍は近代兵器を備え、制空権を握っていたので空輸での補給でした。烈師団が1発砲弾を撃てば数千、数万の砲弾が返ってくるという戦闘でした。 6月1日から、命令に反して敗走が始まりました。駐屯地・ウントウまでの数百キロを雨季の豪雨の中、食料を求めつつ密林や湿原を歩きました。とりわけチンドウィン川までの道は行き倒れが多かったことから、兵士は「白骨街道」と呼びました。そのまま歩き続け倒れれば靖国神社に通じるという意味で、「靖国街道」とも呼ばれました (続く) |
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