| 物資とともに労働力も極度に不足した日本は、中国人の強制連行を閣議決定(42年)。現地では労工狩り(労働者狩り)とも「ウサギ狩り作戦」とも言いました。高橋さんも44年、この作戦に駆り出されました。村落の四方から包囲を縮め、逃げる人々や農作業中の農民を捕まえていく。後ろ手に数珠つなぎにして牛か馬のように追い立て、トラックで都市に集めました。やがてトイレも窓もない貨車に閉じこめ、日本の炭坑や建設現場に送りました。 討伐行軍中、道端に子どもの死体が転がっているのを何度も見ました。むしろをかぶせてあるのはよいほうで、野犬がむらがっていました。 「これが『聖戦』『アジア解放』の実態だったのです」 人間の心再び 終戦時、北朝鮮にいてソ連軍の捕虜に。シベリアに抑留され強制労働5年。50年7月、戦犯として中国に身柄を移され、「撫順戦犯管理所」でさらに6年過ごしました。 管理所の職員の中には肉親が日本軍に殺された人がいました。しかし、所長以下職員は一度も手をあげることはありませんでした。罵倒さえしませんでした。それどころか、自分たちはまずいコーリャン米を食べ、日本人には白米を腹いっぱい食べさせました。 やがて、自分の犯した行為に対する罪の意識が芽生えてきました。 一方では、軍隊の中で命令を実行せざるを得なかった自分はむしろ被害者ではないのかという思いも。苦しい葛藤が続きました。「非人間的な命令をなぜ拒否しなかったのですか」「中国人はあなた方に中国に来てくれと頼みましたか」。返す言葉がありませんでした。 「もちろん天皇の戦争責任は消せない。しかし、被害者は目に見えない命令者ではなく、目の前にいる実行者の行為を心に刻み、呪いながら死んでいったんです。私は加害者であり、下手人なのだと思えるようになりました。鬼であった私は、人間の心を取り戻すことができたのです。」 (続く) |
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