共稼ぎ教師への応援歌
 全国に共稼ぎ教師の家庭は実数を調べたことはないが相当な数にのぼるであろう。私の知人にも共稼ぎ教師は多い。ある意味、日本の教育は多くの共稼ぎ教師に支えられていると言っても過言ではないだろう。そこには共稼ぎをしないと家計の維持・子どもの教育が困難であるという厳しくも悲しい実情がある。
 しかし、教師の共稼ぎを続けることはそんなに簡単なことではない。私も20数年来共稼ぎ教師を続けているので、その苦しみや喜びがよくわかるのである。ここは共稼ぎ教師を応援するページです。
1・権利はきちんと行使しよう!

長男が誕生したとき、家内は小学校、私は中学校の教師だった。祖父母とは遠方の別居生活。子育てをどうするか。当時は今と違い、産前産後の休暇が何週間かと、誕生から満1歳までの1年間の育児休業制度が当面の支えであった。
 ところが大きな狂いが起きた。
育児休業を取って子育てをしていた家内は、長男誕生の翌年3月初め、突然学校長からの呼び出しを受けた。何事かと出頭した家内に学校長は「4月から学校に出てください。休業期間は5月末迄(長男の誕生日が5月末)ですが、途中で担任が変更になるのは子どもにも親にも良くありません。これは事務所(現教育振興事務所)からの指示でもあります。」というものであった。家内は泣きべそをかいて帰ってきた。そんな馬鹿なと思っても、復帰後のことなど考えると、当時は拒否することなどできなかった。
 幸い長男は順調に育ってはいたが、未だ満1歳にも満たない乳児を抱えて1ヶ月後には職場復帰しろとは一体どうすればいいのか。しかしどうすることもできない。思い余って学級通信に事情を書き「SOS!」。幸い学級の父兄の一人が「みてあげるよ!」と言ってくださってお願いすることになった。以来、毎朝、私は通勤の車に長男を乗せてみてくださる父兄の家経由で学校に通った。長男は朝家を出るときには、「ママにバイバイは?」と言うと「ママ、バイバイ!」とまだ十分回らぬ舌で答え手を振って私に抱かれて車に乗り込む。しかし、預かってもらう父兄(バーバーと呼んでいた)の家に近づくにしたがって段々元気がなくなって口数が少なくなるのは本当に辛かった。帰りは主に家内のお迎えだったが、いつも「ママー」と飛びついて来た。バーバーは本当によくして下さり、今でも感謝の気持ちでいっぱいであるが、せめて満1歳になるまでは規則どうり家内の休暇が欲しかった・・・・。

 家内のような仕打ちを受けた教師は多く、中には未熟児で生まれ、いまだ標準体重に達しない乳児を抱えた女教師が復帰か退職かを迫られたケースもあったと聞いた。ひどい話である。当時でも育児休業は、満1歳の誕生日までと明記されていたのにである。
 その後、組合の先生達の援助を受けて、こうした不当な請求を却下できたということを聞いたときは本当にうれしかったものだ。やはり、権利はキチッと行使すべきなのだ。自分の権利を守れないで、どうして子ども達の権利を守ることができるのか!自らの権利を安易に捨てる教師は、子ども達の権利を安易に奪うことがないだろうか・・・・。共稼ぎ教師のみなさん、遠慮しないで権利を主張し行使しましょう!愛するわが子のために・・・。日々守り育てる子ども達のために・・・。私も次男の時は、組合の助けも借りて、きっちりと権利行使ができました