4.お地蔵さん・・
ある日の昼下がり、私はこのお地蔵さんにしばし手を合わせていた。蝉の声以外は何も聞こえてこない。静かな静かな山村である。静寂を破って小学生の一団がやってきた。
「おじさん、なんでお地蔵さんにお祈りしているの?」「何を祈っているの?」子ども達には私の姿が余程奇異に見えたのだろう。
「このお地蔵さんはね・・・」
昭和48年、小学校に入学したばかりのK君はここで工事の車にはねられた。入学祝いに祖父に買って貰ったまだ補助輪付きの自転車で道路を横切ろうとしたのだ。交通事故
など滅多に起きない静かな山村だったのだが・・。事故現場に一番早く駆けつけたのが、小さな川を挟んだ小学校で体育の授業をしていた私だった。自転車は原型を大きく損
なう形で壊れ、k君はその先に顔、頭、足から血を流す無惨な姿で倒れていた。救急車を待っていては間に合わない。同僚のk先生がk君を抱きかかえ、私の車の後部座席に乗
りこみ、村から1時間程はかかる町の病院まで運んだ。必死にハンドルを握る私にk君の「うー、うーー」といううめき声が聞こえる。山道は蛇行してやっとすれ違いができる
程度の2車線!事故が怖い!気は焦る!下から登ってくる車が異常に気がついてくれるように、クラクションを殆ど鳴らしっぱなしにして、できるかぎりのスピードで道を急いだ!
途中で救急車に出会ったが搬送する時間が惜しい、k君を乗せたまま救急車の後を病院まで突っ走った。後にも先にもこんな運転はしたことがない。夢中だった。
病院では直ちに手術室へ運ばれた。私はその前で立ちつくしていた。ほどなく地下足袋に麦わら帽子、腕抜きをしたままのk君の母親が廊下を必死に
走ってこられた。「先生!kは生きているよね?生きているよね!」と私の腕を痛いほどに掴んで叫ばれた。手術室の前で母は跪き手を合わせ「kを助けてください!kを助け
て下さい!」と叫び続けられ、遂に気を失って倒れられ別室に運ばれた。父は手術室を睨みつけ握りしめた両拳が震え続けていた。
どれぐらい時間が経ったのだろう。手術室から姿を見せた医師は別室に私たちを導き、非常に危険な状態であること、今夜を乗り越えることができればあるいは・・、しかし、
脳が相当痛んでいるので一命を取り留めても植物人間のようになる可能性が強いことを告げた。それはまさに悪魔の宣告のようだった・・・。母はまた気を失って倒れられた。
長い長い夜だった・・。翌日の午前2時頃、親族が祈り続け見守る中、k君は息を引き取った・・・。小学校生活わずか1週間程、余りに余りに短いk君の人生であった・・・。
葬儀から2週間、担任のN先生と一緒にk君が学校に置いていた私物を届けに行った。母の髪は僅かの間に真っ白になっていた・・・。母は私物を受け取られなかった。「kが
死んだとはどうしても思えないのです。今にも返って来るような気がするのです。学校に行った時にkが困るのでもう少し、学校に置いてください。」と懇願された。私たちは
又泣きながら私物を持ち帰った。何ヶ月かが過ぎ、k君のご両親は事故現場の脇にお地蔵さんを建てられた。台座には「交通安全」と刻印されている。今夏も真新しい供花が供え
られていた・・・。
私に問いかけて来た小学生達も私と一緒に小さな手を合わせてくれた。天国のK君がきっとこの子達を守ってくれそうな気がする・・・・。、